ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「善き音ずれ」

2014-11-30 23:23:02 | 説教
今日の説教 テキストは「イザヤ書」49章1節~5節 と 「ルカによる福音書」1章8節~17節
タイトルは「善き音ずれ」でした。

今日の説教のタイトルの「音ずれ」は「訪れ」のことでありますが、日本に最初にきたアメリカ
の宣教師が子供向けに作った雑誌のタイトルも「喜びの音ずれ」と言うものでした。
クリスマスの喜びは美しい音色をもって私たちの許に訪れるものでもあります。
中国語では「福音」と表します。

さて、教会では今日からが新しい年を刻むことになっています。
今日はそのアドベントの第1主日です。
アドベントという言葉はラテン語のアドベニーレ(到来する、何かが来る)から来ていますが、
アドベンチャー(冒険)という英語もまたこのアドベニーレから派生した言葉です。

今日のテキスト、ルカ伝の出来事は年老いた祭司、ザカリアの冒険の物語です。
冒険に招かれているのは決して王や貴族、傑出したものだけでなく、私たちすべての人が
老いも若きも招かれています。

ザカリアは夫婦そろって立派な人たちであったと記されていますが、彼らはまた陰の部分も
持った夫婦でした。 それは与えられた神の恵みを引き継ぐべき子供が無かったことです。
ザカリア夫婦は期待し待望し、祈り、いつしか諦め嘆いていたことでしょう。
神からの祝福は本当にあるのか、疑いを持ったかもしれません。
埋められない欠乏感のなかで臨んで待つことが無くなり冒険からは遠い所にいました。
そのザカリアのもはや夕暮れに近い生涯にサプライズが起き、ザカリアを信仰の冒険へと誘いました。
しかも歴史と常識をくつがえす出来事に投げ込まれたのです。

生れた子によって新しい夜明け(歴史の幕開け)に招かれたのです。
彼に不安と恐怖が伴ったのは自然のことです。
(私たちもまた、ザカリアと同じように大いなる冒険に招かれています。)

旧約聖書には「恐れるな」という神の言葉が何回も何回も出てきます。
アブラハムは老いてから神の「恐れるな」という言葉によって、新しい地へ旅立つ冒険に招かれました。
モーセの出エジプト、エジプトからイスラエルの民を引き連れて逃れる時、前には対岸の見えない紅海、
後ろにはファラオの軍勢という状況で「恐れるな、主があなたたちのために闘われる」と語る
神の御業によって救われました。
ザカリアも「恐れるな」という御言葉を聞きました。(13節)

生れたザカリアの子に与えられる役割はサムソンやサムエルのようなナジル人と同じもので、
17節にはエリヤの名前も出てきます。
旧約聖書に鳴りわたる恵みと喜びの響きに呼応してザカリアに告げられた言葉。
生れてくる子が指し示す真の救い主を与えられ、ザカリアは冒険心を持って待つ者となり
心と魂を整えてゆくのです。

使徒信条に「かしこより来たりて生ける者と死ねるものを裁きたまわん」と最後の審判の言葉があります。
この、キリストが再び来られる日の裁きは喜びであり恵みです。
ヨハネ黙示録には「あらゆるものが神を賛美し、そこにはもはや死、哀しみ、嘆き、労苦は無い」と
書かれていますが、それがイエスが再び来られる日なのです。
この世の悪が正される希望の時、解き放たれ慰められる時なのです。
再び、主よ来りませ(マラナタ)終わりの日は喜びとまことと讃美を持って待ち望む日であります。

主はすでに神の裁きに御自身を与え私たちの身代わりとなってくださった。
この方が来てくださるのだから神の裁きはキリストによって済んでいるという大きな慰めが与えられています。
終わりの日に再び来るイエスを待ち望む、福音の到来を仰ぎ見る幸いを感謝致しましょう。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以上、文責はゆうゆうにあります。)

今日は、礼拝後青山学院大学のハンドベルクワイアによるミニコンサートが開かれました。
クリスマスの訪れを「善き音ずれ」として、賛美の音色で迎える・・・・・
アドベント第1主日にふさわしい素晴らしい音楽を楽しみました。
嬉しいことに友人が二人、ミニコンサートに来てくれました。
しかし、その所為かなんとなく落ち着かず、説教の要約はいつも以上にまとまりませんでした。 m(_ _)m



紅葉の映り込んだ池に浮かぶ<ハシビロガモ(♂)>です。


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礼拝堂のアドベントクランツの蝋燭、4本のうちの1本が灯りました。
1本目は“hope”2本目は“peace” 3本目は“joy” 4本目は“love”を意味するそうです。
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聖書の学びⅡ Who is Jesus? (1)

2014-11-28 08:46:09 | 「聖書を学ぶ会」
今回(11月23日)はイエス・キリストはどんな方であったのか、についての第一回目でした。
一般社会でのイエス像、聖書を証言する教会におけるイエス像について学びました。


この歌はイエスについての教理的教えを易しい言葉で詩っています。

「この人を見よ」という言葉はずっと教会で言われてきている言葉。
このタイトルでたくさんの絵画が描かれている。

イエスは子供の頃、ヨシュア君と呼ばれていたかもしれない。

聖書の書かれていなかった時代、これらは持ち運べる神殿として、
王や祭司、預言者が油注がれた者であった。 ヘブライ語で「メシーア」

バビロン捕囚によって信仰活動は抑えられ失われ、いつか「メシーア」は
待ち望むものとなった。 これがイエスが来た喜びにつながっていた。 
イエスはキリストである。 キリスト教は「仮現論」にくみしない。



<ハナミズキ>の赤い実です。


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今週の聖日は礼拝後12時20分から「青山学院大学ハンドベルクワイア」によるミニコンサートです。
多くの方が美しい音色を聴きにいらしてくださると嬉しいです。
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讃美歌504番

2014-11-27 13:19:06 | 讃美歌
先日11月23日は「収穫感謝礼拝」で、主の恵みによる収穫を感謝いたしました。
礼拝で歌った、讃美歌504番「実れる田の面は」です。

1)実れる田の面(も)は 見渡す限り
  穂波の立ちつつ 日影に匂(にお)う
 
 Chorus:
  垂穂(たりほ)は色づき 敏鎌(とがま)を待てり
 いざいざ刈らずや 時過ぎぬ間に

2)しののめと共に とく起き出(い)でて
  暮れ果つるまでも 刈らしめ給え
Repeat Chorus.

3)刈り入れ豊かに 刈り手は乏(とぼ)し
  勤(いそ)しむ僕(しもべ)を 主よ、増し給え
Repeat Chorus.

4)刈り入れ終えなば 天つ御倉(みくら)に
  収めて祝いの 筵(むしろ)に侍(はべ)らん
Repeat Chorus.

“Far and near the fields are teeming” by J.O.Thompson, 1885
「REAPERS」 by J.B.O.Csemms, 1885

ネットで讃美歌の解説は見つけられませんでしたが、
収穫感謝祭(11月25日)についての記述がありました。*********************
 
1607年ごろ、当時、英国国教会に圧迫されたピューリタン(清教徒)と呼ばれた人々は、
信教の自由を求めてオランダのアムステルダムやライデン地に逃れました。
しかし、ここでも迫害を受けたので、自由の天地を求めてメイフラワー号という船に乗って
アメリカ大陸を目指しました。
男子78名、女子24名、計102名の人々が2ヶ月もかかって大西洋を渡り、1620年の秋の暮、
「新大陸」に到着しました。
この人々が、米国独立の理想の礎石となったピルグリム・ファーザーズと呼ばれる一群でした。
しかしこの地方は非常にやせた土地で、翌年の夏までに半数の人が死んでしまうような過酷な毎日でした。
彼等の大部分は都会出身の、いわゆる知識階級の人々で、農業についても開墾についても、
ほとんど知識と経験をもっていませんでした。
やがて遅い春が来たとき、冬の間に親しくなった、近くにいた先住民のインディアンたちが、
とうもろこし、えんどう豆、小麦、大麦の種を分けてくれ、播き方を教えてくれました。
そして、秋が来て最初の農作物を収穫した時、彼らは開拓地の教会に集り、感謝の礼拝をささげ、
また家庭にインディアンの友人たちを招いて、感謝祭の食事を共にしました。
とうもろこしや小麦のパン、カボチャパイ、野性の七面鳥に鴨のロースト、
それに野性のつるこけもものゼリー状のソースなどをそえてのごちそうでした。
1864年、リンカーン大統領はこの出来事を記念して11月第4木曜日を祝日に定めました。

今は、日本の教会では11月第4日曜日を収穫感謝の日として、野菜や果物を教会に持って集り、
祭壇にささげて礼拝を守ります。
また、その献げ物を施設などに届けて感謝を分かち合う教会もあります。**********************


讃美歌504番はココをクリックすると聴くことができます。



<アオジ>が山から下りてきました。今シーズン初撮りです。


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「命のリレー」

2014-11-24 23:13:31 | 説教 十戒
昨日(11月23日)の礼拝説教
テキストは「出エジプト記」20章12節 と 「エフェソの信徒への手紙」6章1節~4節
タイトルは「命のリレー」でした。






昨日も、礼拝後、受付の近くで左近先生から説教要旨のプリントをいただきました。
プリントをいただけるとは思っていなかった私は、昨日も説教をお聞きしながら、そこそこ力を入れてメモを取っていました。
メモを取るのはこのブログに、少々(かなりかな?)のミスはあっても、説教要旨を載せたいと思っているからです。
左近先生の要旨を読んでいただけるとお判りになると思いますが、先生のお説教は生き生きとしてとても心踊るものがあります。
これは私のメモによる、私の要旨ではとても表し尽くせず、言い尽くせません。 力不足です。
その上、メモを取りながらだとライブでお聴きする感動も薄れるようで、やはり講壇を見上げながらお聴きしたいです。
左近先生、毎週プリントをくださるのカナ~?
だとしたら、メモを取らず集中してお説教をお聴きするのだけれど・・・・・
(私の小さな、あまり建設的ではない心配ごとです。)


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今、ホームページに美竹教会でのイベントの写真ページを作ろうかと考えています。
素人の私がホームページビルダーであれこれ頭を悩ませています。
どなたか「な~んだ、ゆうゆうさん、任せてくださいよ~」と言ってチャッチャッとやって下さる方はいないでしょうかね~.
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聖書の厳しい言葉

2014-11-21 21:36:31 | 今日の聖句
今日の聖句は 「申命記」5章8節~10節 です。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である。
わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、
幾千代にも及ぶ慈しみを与える。


この聖句は、先日の修養会で求道中のNさんが発題された箇所です。
仏教や神道が生活の中に浸透している日本においては生活の様々な場面で、キリスト教から見たら
異教の神々に手を合わせたり参拝したりする機会が多々あります。
そのような時に罪が孫子の代にまで及ぶのはとても耐えられない、と真剣に発題されました。

私は、旧約聖書のナアマンの記事を思い出しました。
預言者エリシャによって重い皮膚病が癒され、ヤハウェ礼拝者となった、ダマスコの王ベン・ハダトの軍司令官
ナアマンが下のようなことをエリシャに尋ねるのです。

「列王記下」5章17節
「ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。
わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。
そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。
わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦して下さいますように。」
エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。


神様が、Nさんの真剣な思いを篤い信仰に変えていってくださいますように、心からお祈りします。

今、新約聖書はヨハネ伝を読んでいます。 
下の聖句は、自分が見えていると傲慢に思いこむことは容易く罪につながるようで、私にとって、
これも厳しい聖句です。
「ヨハネによる福音書」9章41節
イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。
しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」



北の国から渡ってきた<ツグミ>春まで日本で過ごします。
背景のすっきりした野鳥写真が撮れました。 (^-^)


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今週の聖日 11月23日は礼拝の前 午前10時から10時20分までは「聖書の学びの会」です。
十戒の続きが話される予定です、楽しみです。
教会は初めて、という方もどうぞ安心して扉を開けてお訪ねください。
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讃美歌301番

2014-11-19 20:55:21 | 讃美歌
讃美歌301番 「山辺に向かいて」  一昨日の永眠者記念礼拝で歌いました。

 1)山辺に 向かいて我 目を上(あ)ぐ
   助けは いずかたより 来(きた)るか
   天地(あめつち)の御神(みかみ)より 助けぞ我に来る

 2)御神は 汝(なれ)の足を 強くす
   御守(みまも)り あれば汝は 動かじ
   御民をば守る者 まどろみ眠りまさじ

 3)御神は 仇(あだ)を防ぐ 盾なり
   汝(な)が身を 常に守る 陰(かげ)なり
   夜は月、昼は日も 汝(なれ)をば損なうまじ

 4)御神は災いをも 避けしめ
   疲れし魂をも 休ます
   出(い)づるおり、入るおりも 絶えせず汝を守らん

  作詞 別所梅之助
  作曲 Charles henry Purday,1860

作詞者の別所梅乃助は明治の初めに生まれ、太平洋戦争終了間際まで生きました。
牧師でもあり、日本のいくつかの著名な讃美歌の編集に携わりました。
青山学院の国語の教師の経験もあり、美しい日本語の歌詞を志しました。
きっと同級生の中田重治の影響もあるでしょう。
共にYMCAで伝道活動をしました。

作曲はイギリスのチャールズ・ヘンリー・パーディ。
Purday は Dr.John Cumming が牧師の間(1840年代)ロンドンの
Crown Court Scots Church in Covent Garden の讃美歌指導者に任命された。
Dr.Cumming 牧師の教会はとても人気があったので、 Bow Street と Drury Lane では
礼拝へ行くための乗り物の群れが込み合って動けなかったと言われています。
Purday は素晴らしい声楽家で、ヴィクトリア女王の戴冠式でも歌いました。
彼は音楽出版者となり、著作権法の改正運動の先駆者でもありました。 
↑ 以上、ネットからの引用です。 m(_ _)m

この詩は詩編121篇をモチーフにしています。
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見も盛る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り 
あなたの生しいを見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。


私の姉が重篤な病気で死に向かっていると思われたとき、伝道師の上の姉が
病院で読んだ聖句が詩編121篇でした。
一昨日は永眠者記念礼拝でしたが、この讃美歌も私たちが死に向き合う時も
傍らにいます神の見守りのうちにある、ということを歌っています。

ココをクリックすると讃美歌301番を聴くことができます。



公園脇の川の<キセキレイ>です。
寒くなって上流から都市公園に戻って来ました。

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クリスマス委員会ももたれ、クリスマスに向けてのご案内のチラシや葉書の準備が始まりました。
今年のクリスマス礼拝、教会学校の生徒さんと一緒の祝会、イブの夕拝(キャロリング)は
どんな風になるのでしょうか、楽しみです。 (^-^)
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「嘆きの谷の先に」

2014-11-17 22:32:25 | 説教
昨日11月16日の永眠者記念礼拝の説教です。






目を閉じてテニスンの詩を聞いている時には自分が砂州を超えて遠く、海の彼方に漕ぎ出すような
気分になり、オットットっと危うく踏みとどまった感がしました。 (^^;)
左近牧師の説教は臨場感があります。 是非、一度礼拝にいらしてお説教をお聴きください。



公園の水場に<トラツグミ>が現れました。
いよいよ冬鳥のシーズンが始まります。

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共観福音書

2014-11-15 21:39:01 | 聖書
どう考えても「ヨハネによる福音書」は最初から難しい。
フト、共観福音書という言葉が頭に浮かびました。 昔、どこかで聞いたような。
 
早速ネットで検索したところ、Wikipedia に易しい解説がありました。****************↓

Synoptic Gospels 共観福音書(きょうかんふくいんしょ)は、キリスト教の新約聖書の四つの福音書のうち、
ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のことを指す。
この3つには共通する記述が多く、同じような表現もみられる。
聖書学の研究の結果、本文を相互に比較し、一覧にした共観表(シノプシス synopsis)が作られたことか
共観福音書と呼ぶようになった。

ヨハネ伝は同じ出来事を描写するときにも、他の3つとは異なった視点やスタイルをとることが多い上に、
他の3つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。
イエスを神であると明言し、はっきり示すのはヨハネ伝のみである。

マルコ伝の661節のうち、606節がマタイ伝と、320節がルカ伝と共通する内容だと言われる。**************

昨夜、ざっとではありますが、マタイ、マルコ、ルカ、を見直してみました。 読み直したのではありません。(^^;)  
やはり、ヨハネ伝は違う気がしました。 どうやら素人信者の私の感覚は間違ってはいなかったようですね。
それにしても今頃気付くなんて、福音書を読むのは何度目なのヨ、自分! と思わず突っ込みを
入れたくなるほど私は、いい加減な聖書の読み方をしているようです。 反省しました。


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明日の礼拝説教ではどんな説き明かしが聞けるのでしょう、楽しみです。
ア、礼拝は決して説教だけでなく、祈りも讃美歌も献金も全てが神さまを賛美するものですね。
明日も思いきり大きな声で讃美歌を歌います!
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永眠者記念礼拝

2014-11-15 12:40:02 | 美竹教会
美竹教会の明日の礼拝は「永眠者記念礼拝」です。
下の葉書は天に召された美竹教会員の、主にご遺族の方々に、左近先生の
メッセージを添えてお出ししたご案内です。


美竹教会の先達にゆかりの方々が主のお招きにより、
明日の礼拝にお出かけくだいますように、心からお待ちしております。


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「イエスについての証し」 

2014-11-14 22:43:31 | 今日の聖句
今日の聖句は 「ヨハネによる福音書」5章31節~40節 です。

「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
わたしについて証しをなさる方は別におられる。
そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。
あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。 
わたしは、人間による証しは受けない。 しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。
ヨハネは燃えて輝くともし火であった。 あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。
しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。 父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、
つまり、わたしが行っている業そのものが、父が私をお遣わしになったことを証ししている。
また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。 
あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。
また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。
父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。


今日の聖句は、分からない部分がたくさんあります。
このあと、5章の最後まで、モーセのことに言及しながらのイエス様の御言葉が続きます。
5章31節から5章の終わりまでは「イエスについての証し」という中見出しが付いていますが、
分からない部分がたくさん、というよりは、この部分はほとんど分かりません。

福音書は何回か読んでいますが、この「ヨハネによる福音書」が四つの福音書の中で
一番難しいような気がします。
他の福音書に関しての記憶もあやふやではありますが、ヨハネ伝、まだ読み始めですから、
できたら時々、他の福音書とくらべながら、これからしっかり読んでゆこうと思います。



<翡翠>の背景も秋らしくなりました。

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