ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「主の祈り」

2017-05-06 16:36:24 | 説教 主の祈り
4月30日(日) 主日礼拝の説教
テキストは「マタイによる福音書」6章5節~13節 タイトルは「主の祈り」でした。





神様への祈り、真剣に祈ろうとすると本当に難しく言葉に詰まってしまいます。
賛美や感謝は一行くらいで終わって、そのあとは延々とお願いの祈りになってしまいます。
重い悩みを抱えている私は、そのことを一心に祈りますが、毎朝毎晩、いつもいつも
願い祈っているうちに何となく惰性に流されて、心からの祈りなのに真剣さが薄れています。
お祈りは本当に難しいです。
「主の祈り」はイエス様が私たちに口移しで教えてくださった神様への祈りです。
賛美、感謝、願いのすべてが込められています。
せめて「主の祈り」は何十回、何百回と祈っても心を込めて祈りたいと自戒しています。

実は、左近牧師は時々、礼拝の司会もなさることがあるのですが、礼拝の始まりに祈る
左近牧師の祈りは、本当に、ほんとうに! 心打たれます。
説教のプリントは勿論いただいて嬉しく有難いですが、私は左近先生の礼拝の始まりの
祈りのプリントを頂きたいと思っています。 でも祈りは神様に捧げるその時の心なので
プリントなど論外なのでしょうか? 
祈祷集というものも存在しますから、祈りのプリントも頂けるかもしれません。 
機会があったら左近先生にお尋ねしてみたいです。


可憐な<ネモフィラ> 
神様の身許に召されたアルトマン・ユキコさんに届けたいです。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「低きに下る神」

2015-03-22 22:19:00 | 説教 主の祈り
今日の礼拝説教
テキストは「詩編」150篇1節~6節 と 「フィリピの信徒への手紙」2章6節~11節
タイトルは「低きに下る神」でした。




以前、上田牧師が説教の中で、願い事が多く賛美と感謝の少ない日本人の祈りについて
言及されたことがあります。
私は旧約聖書の中では「ダビデ王の祈り」と「ソロモン王の祈り」が好き(ってヘンですが)
なのですが、二人(特にダビデ王)の祈りは神への賛美の言葉がとても印象的です。
詩編は賛美の祈りの詩だそうで、たしかダビデ王の詩が一番多く採用(?)されているの
ですから、二人の王の祈りが素晴らしいのは当然かも知れませんん。

祈りの苦手な私は毎朝毎晩、願い事ばかりの祈りを繰り返しています。
どうしても神様にお願いしたい思いがあって、そうなってしまうのですが、
時々自分の祈りが嫌になります。
そんな時は心を込めて「主の祈り」を祈ります。 
「主の祈り」は本当に良い「祈り」です!
礼拝の当番で「献金の感謝の祈り」をする時がありますが、神様への祈りなのに、
どんな風に祈ろうか、何を言ったらそつのない祈りになるのか悩んでしまいます。
本当に、愚かで信仰薄いクリスチャンです、反省!
左近先生の「主の祈り」についての連続説教のお陰で、神様の御姿を見上げながら神様に
祈りをささげる、ということが身に迫ってくるようになりました。感謝です。

  
  公園で何やら餌を啄む<シジュウカラ>

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「試練からの救い」

2015-03-15 21:16:21 | 説教 主の祈り
今日、3月15日、受難節(レント)第4主日礼拝の説教
テキストは「イザヤ書」40章27節~31節 と 「コリントの信徒への手紙 一」10章13節
タイトルは「試練からの救い」でした。







  
  公園の脇を流れる川に<コサギ>がいました。
  夕陽が川面に照り映えて気持ちのよい写真が撮れました。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赦すということ」

2015-03-08 21:09:18 | 説教 主の祈り
今日の礼拝説教 テキストは「詩編」22編2節~12節 「ルカによる福音書」23章32節~34節
タイトルは「赦すということ」でした。






“我らに罪をおかす者を我らが許す如く、我らの罪をも赦したまえ”
イエス様は私たちに躊躇や後ろめたさを味わわせるためにこの祈りをお教えになったのではない。
主の祈りは私たちをキリストに導き出会わせ、キリストの救いを味わわせるために私たちに教えられたもの。
私たちが赦す、赦さないのレベルをはるかに超えた神の愛に私たちは包まれ、赦す者へと召されている。
う~む、そんなにも愛され赦されているのに、なぜ私は身近な人をせめてしまうのでしょうか!
やはり、少し、かなり、神様に対して“後ろめたい”と思ってしまう私はまだまだ御言葉を咀嚼できていませんね。 



公園のイケメン、ジョビ男君<ジョウビタキ(♂)>です。
3月、そろそろ遠いシベリアへ旅立ちでしょうか。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「空の鳥を見よ」

2015-03-01 21:32:14 | 説教 主の祈り
今日の礼拝説教 
テキストは「詩編」78章23節~29節 「マタイによる福音書」6章25節~26節
タイトルは「空の鳥を見よ」 




そう言えば、子供の頃は食前の感謝の祈りをしていました。
何十年もの「放蕩息子状態」から神様に再び招かれ、教会に戻ってからも私は食前の祈りをしていませんでした。
なんと言うことでしょう!
与えられている務めと命を全うするために、神様によって整えられた食卓、主共にいます食卓、聖なる糧。
感謝していただく食事は単なる生命維持のための糧に終わらない、清さをもって魂の味わいとされる。
食前の祈りをするたびに、与えられた糧がはるかに仰ぎ見る御国の明日を生かされる糧となる。
神の御許で味わう新しい命の食卓を望み見ることへと招かれている。 感謝です! アーメン。



川で<コサギ>を撮りました。
もう春ですね、コサギの目の下がピンクの婚姻色になっていました。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「委ねる祈り」

2015-02-22 21:15:17 | 説教 主の祈り
今日、2月22日の主日礼拝の説教 
テキストは「イザヤ書」55章8節~11節 「マルコによる福音書」14章32節~36節
タイトルは「委ねる祈り」でした。








公園に居ついたジョビオ君<ジョウビタキ(♂)>
すっかり慣れたのか手乗り状態まで近づけました。 (^-^)


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
先週の水曜日(2月18日)から4月5日のイースターまで、受難節(レント)に入りました。
左近先生がアメリカで過ごされた町では受難節の始まる「灰の水曜日(Ash Wednesday)」の
昼過ぎには町の多くの人がおでこに黒い印を付けていたそうです。
受難節の主のみ苦しみを覚えるという意味で、灰の水曜日には近くの教会の昼の礼拝に出席して、
前年の「棕櫚の主日」に燃やした棕櫚の灰をおでこに付けてもらうのだそうです。
(今日の子供説教で話されたお話です。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「到来する御国」

2015-02-15 22:18:02 | 説教 主の祈り
今日、2月15日の礼拝説教 です。
テキストは「イザヤ書」63章15節~19節 と「マルコによる福音書」1章14節~15節
タイトルは「到来する御国」でした。





  
  公園の<ウグイス>です。
  春も近づき、ウグイスも笹薮から表に出てくるようになりました。

  美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
  どうぞ教会の扉を押して礼拝に集い、左近豊牧師の説教をライブでお聴きください!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「祈るときには」

2015-02-08 22:02:36 | 説教 主の祈り
今日、2月8日の説教 テキストは「詩編」86篇11節~13節と「マタイによる福音書」6章5節~13節
タイトルは「祈るときには」でした。

  
  
  
  
  

「主の祈り」を祈るときに、イエス・キリストの語り口と眼差しに出会う、私たちはイエス・キリストに出会うのです。
この言葉を聞いた瞬間、これまでの私の祈りは何だったのか、と目の覚める思いがしました。
深く心打たれた秋月辰一郎医師の話に続いて、祈りの眼差しの向かうべきところ、何処にいても
神への真摯な祈りはできるという話。 父なる神をのみ見上げて祈るとき、私たちは、私たちの求めを満たしてくださる方、
神に出会う祈りへと解き放たれてゆく。 キリストはその道を示す祈りを私たちに教えてくださった。 
心に響き、強く残る説き証しでした。
今日から「主の祈り」をはじめとして、すべての祈りを真剣に、神様をしっかり見つめて祈ろうと思いました。
(青いマーカーで囲んだ部分は、説教を聴いている時によく分からなかったものです。
今、読み返しても、私にはよくわかりません。 (^^;) )


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
左近牧師の熱い、篤い説教を是非ライブでお聴きください。
日曜日午前10時半、美竹教会の扉を押して礼拝においで下さい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする