ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「越境する共同体」

2017-09-29 23:00:32 | 説教 使徒信条
9月24日の主日礼拝の説教、テキストは「エフェソの信徒への手紙」4章1節~6節
タイトルは「越境する共同体」でした。





放射能の半減期について話していたとき友人が呟きました。
「地球で人間が一番罪深く愚かだね~ せめて猿か犬くらいの知恵だったら
よかったのに。 立派に子孫は残せるし、何よりもこんなにも取り返しの
つかないほど地球を汚さなかった・・・・・・」
教会も罪深く不完全な人間の集まりです。でも教会の頭はイエス・キリストです。
私たちクリスチャンは主をのみ仰ぎ見、生きています。主によって集う限り、
主から与えられた知恵によってより賢明に謙虚に平和に過ごせるはずです。
この繋がり、この交わりの輪を何とか広げられたら、と私は願っています。
ノンクリスチャンの友人の呟きは続きました。「神様はなんで人間をこんな
風に造ってしまったんだろう、神様のミスなのかな~」
私「・・・・・・・」

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


気温は夏のようでも風は秋の気配、清々しい公園でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の教会

2017-09-25 17:38:20 | 美竹教会
昨日の朝、礼拝に教会に出かけてビックリ!
教会の玄関先が美しい花であふれていました。
美竹教会は花の教会になりました。 (^-^)
最近、転会なさった方からのプレゼントだそうですが、
清々しい花たちに迎えられて本当に明るい気持ちになりました。 
Iさん、ありがとうございます。




ガラケーで撮った写真はイマイチですが、本当に美しいでしょう?

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃美歌316番 「主よ、試み受くるおり」

2017-09-21 22:45:18 | 讃美歌
9月17日の主日礼拝で歌いました。

讃美歌316番「主よ こころみ」
“In the hour of trial” James Montgomery, 1834
「PENITENCE」Spencer Lane, 1879

1 主よ、こころみ うくるおり、いのりたまえ わがために。
  こころおそれ 迷うときも、あいのみかお 向けたまえ。

2 世のたからは 目をうばい、世のほまれが さそうとき、
  十字架の主の みくるしみを、しめしたまえ わがむねに。

3 わずらわしき 世のわざに、やるせもなき かなしみに、
  なおひそめる いつくしみを、見させたまえ あやまたず。

4 塵より成る このわが身、塵にかえる そのときも、
  主よ、御顔を あおぎ見つつ、ゆかせたまえ みもとへと。

この讃美歌に関する日本語解説が見つからず苦労しました。
↓ 下の解説はいかにも不十分なものです。
作詞者、作曲者の名前をクリックすると英文の解説が出てきます。
お時間のある方はどうぞお読みください。
私は日本語だけ、英語は無理です・・・・・💦 
Penitence は「懺悔」という意味でした。

作詞者であるスコットランドのジェームズ・モンゴメリー(James Montgomery, 1771-1854)は
生涯400もの讃美歌を著しています。
1833年から王室より200ポンドの年金が与えられています。(The Cyber Hymnalより)

スペンサー・レーンについて
ロードアイランドのウーンソケットにあるセントジェームス教会での日曜の朝礼拝の後、牧師は
夕方の礼拝のために賛美歌をレーンに渡しました。 レーンはその賛美歌が気にいらなかったので、
彼の妻が夕食を料理している、その間に「PENITENCE」を作って、これを使用しました。
この詩はチャールズ・L・ハッチンズ(Charles L. Hutchins、1874)が「教会の賛美歌」で
初めて出版しました。 この曲はレーンの賛美歌への唯一の貢献です。

ここをクリックすると讃美歌316番のメロディーを聴くことができます。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


今は夏鳥と冬鳥の端境期で公園にはこれといった野鳥の姿は見られません。
<ヤブラン>が今を盛りと咲いていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「時の間の旅人」

2017-09-15 19:22:43 | 説教 使徒信条
9月10日(日)主日礼拝の説教
テキストは「テモテへの手紙二」 タイトルは「時の間の旅人」でした。




“時の間の旅人として託されていること、それが、み言葉を宣べ伝えること、
折がよくても悪くてもイエス・キリストの福音を語ることに励むこと、咎め、
諫め、励ましながら。忍耐強く、十分に教えることだ” 
“教会が終わりの日を見据えて、なすべき務め、それは、キリストのみ言葉を
足しもせず引きもせず、盛らず削らず、その喜びの音色を損なわず飾らず、
響かせること・・・・・”
今日のみ言葉もなかなか厳しいものでした。
願わくは私を勤勉で遜(へりくだ)るとしてください。自分の力を出し惜しみせず
驕ることなく、丁寧に大切に時の間を歩ませてください。私たちは救われた喜びの
中に生きている者なのだから、その信仰が原動力となってエンジン、フル回転で
伝道の道を歩めるハズですものね。 アーメン。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


秋の蝶<ウラナミシジミ>です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本の伝道を考える⑤ キリストへの愛と忠誠に生きる教会」

2017-09-12 22:36:55 | その他
前の美竹教会牧師、現在は曳舟教会牧師の上田光正先生からご著書、「日本の伝道を考える⑤ 
キリストへの愛と忠誠に生きる教会」
をご恵贈いただきました。
367頁というかなり厚い書物です。私のような素人信者が最後まで読み切るには時間がかかり
そうです。特に最近は読んでも忘れることが多く、読書の速度がますます遅くなりました。(涙)

「はじめに」のなかで「キリスト者には神を愛し、隣人を愛するという被造物としての最高・
最大の自由が与えられており、教会形成と伝道に参与できるということは、キリスト者にとっての
最大の務めであると同時に、その自由の具体的な行使であり、喜びであり、そして、「永遠の命」の
望みを抱き続けることである。」ということが上田先生の基本的な考え方だ、と書かれています。

「序章」には「わたしたち日本のプロテスタント教会の現状は一つの抜き差しならぬ危機的な
状況を迎えつつあります」と書かれています。私も、今の教会が何年か先にはどのようになって
いくかを考えると、とても楽観的にはなれません。地球の環境破壊や温暖化の問題。 
北朝鮮、中国、アメリカ、ロシア、日本をめぐる政治情勢、シリアやIS国の紛争、頻発する
テロ行為等々、世の中不安だらけです。こんな中で、神様による救いを信じていない人は、
日本人は、一体何を頼りに生きているのでしょう。
今こそ神様により頼む生き方が必要で、主にあって、主によって互いを愛し合って生きることが
必要ではないか、と素人信者の私は考えます。
神様の救いに与るということは、天の国を約束されて最終的には神様の御許で安らぐという
平安の中で、現在を生きる、ということだと思います。
そして、それを伝えていくのが今の私に考えられる「伝道」です。

さてそれでは今、私の教会で伝道に参与するとは具体的に何をどうしたらよいのでしょう。
多くの方に教会に来ていただき、礼拝に加わっていただき、神様のみ言葉によって救われ、
平安を味わっていただくためにはどのような行動が今、私たちに求められているのでしょうか。
伝道は商売ではないし、神の救いのみ言葉は商品でもないので伝道について、効率の良い
ノウハウなどはあろうはずがありません。カリスマ的な伝道者が現れて強力な磁力でキリスト教に
誘う、などということはあり得ないだろうし、それが良いのかどうかも疑問です。
バザーや後援会(特別伝道集会)、子どもを対象とした遊びの広場、赤ちゃんや若いお母さんを
対象とした交流の場の提供などなど教会主催の様々なイベントも考えられます。
各々の教会が置かれた環境の中で伝道の道が示されるのでしょう。

そして、私の場合は毎日聖書を読み、朝夕祈り、日常にチャンスがあれば必ず神様のみ言葉を
証しする、友人知人には私がクリスチャンであることを話し、礼拝にお誘いするくらいしか
成し得ていません。今こそ神様による救いが必要な時、全力で伝道すべき時、とは思うものの、
具体的には、神様のみ言葉を胸に各自が置かれた環境のなかで常に「伝道のみ業」に参与する
という思いを胸に生きること、でしょうか。 歯切れ悪いですね~ <(_ _)>
私のトボトボとした伝道の歩みの中で、いつかお一人でも神様の救いの道にお誘い出来たら
望外の幸せだと思っています。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


<ボタンクサギ>で吸蜜の<クロアゲハ>
花も蝶もそろそろ終わりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃美歌224番 「勝利の主イエスの名と」

2017-09-08 11:52:55 | 讃美歌
9月3日(日)の礼拝で、実に久しぶり!に新しい讃美歌を歌いました。
当然ほとんどの方がよく歌えませんでした。 練習しなくては。
このブログのカテゴリ「讃美歌」も久しぶりの更新です。

讃美歌224番 「勝利の主イエスの名と」
    Ye servants of God, Your Master proclaim, Charles Wesley,1744
    「PADERBORN」Paderborn Gesangbuch,1765

1)勝利の主イエスの名と 栄光の神の国
   四方の民にのべ伝え 広めよとの声聞こゆ

2)主の救い神のわざ そのままに受け入れて
   生まれ変わりともどもに 神の国へ進みゆけ

3)人々よみ救いを 心より喜びて
   歌声あげもろともに ほめ称えよ主のちから

4)いざ歌え救われて 喜びに踊るもの
   のべ伝えよみ恵みの いとも奇しき神のわざ

歌詞の作詞者チャールズ・ウエスレイ(Charles Wesley 1707-88)はメソジスト教会の
創設者John Wesley(1703-91)の弟で、数多くの優れた讃美歌を作詞しメソジスト運動の
進展に大きく貢献しました。英語讃美歌作者の中の王者と目されている人です。
英国に於けるメソジスト運動推進の初期の段階でウエスレイ兄弟は様々な迫害や困難に遭遇したが、
この歌はそうした中で同信の人々を鼓舞するために1744年“Hymns for Times of Trouble 
and Persecution 困難と迫害の時のための讃美歌”と題して公にされました。
1744年は、後のメソジスト教会の組織的基盤となる毎年一回の合同会議
(The annual Conference)が初めて開かれた年でもあります。

曲はドイツの“Paderborn Gesangbuch,1765”から英国の“Hymns Ancient and Modern,1916”に
採用されたものだが、原曲(1765年当時)は少し異なります。
The Hymnal 1982 Companion, vol. IIIB (p. 1000) によると、18世紀に流行した曲で、
"Mein Hertz sey zufrieden  ―私の心は満たされていますー" の歌詞。

更にもともとは民謡で、断定はされていませんが1742年に出ていたようです。
1807年の Buschinig and von der Hagen's collection of German folk songs の
ヴァージョンの旋律は少し違っています
Brahms の 編曲が "forty-nine folksongs" の第9番にあるそうです。
Paderbornはドイツ中部地方にある都市の名前です。  (以上、ネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌224番を聴くことができます。

美竹教会のホームページとFacebook、ツィッターです、クリックしてお訪ねください。



最近ちょっとご無沙汰ですが、公園の<カラスウリ>は
そろそろ色づいているでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しい日曜日!

2017-09-04 15:15:58 | 説教 使徒信条
嬉しい9月3日の礼拝でした。 左近牧師が説教の中で話されていますが、美竹教会に
新しいメンバーがお二人加えられました。 神様に感謝です。
小学生のころから姉がやっていた教会学校(土曜学校)に通い(場所は我が家でした(^-^))
中学生になって教会の礼拝に出席するようになった私の場合は、十代の終わりに、ほとんどきちんと
聖書を通読したこともなく、キリスト教のことも(多分)あまり分からず、すらり~と川の流れが
川の石を乗り越えるように受洗してしまいました。
今になって当時の自分を思うと、そんな感じです。
その「な~ンとなく、という感覚」はいまだに私の信仰に尾を引いていて、教会の活動、つまりは
伝道にも、私は腰の引けたところがあります。
今回のお二方はほんとうに立派で、素晴らしいです。本当に、本当に嬉しいことです。
新しい教会の兄弟姉妹に倣って(引っ張られて、でもいいワ)私も少しでも御言葉を証しする毎日を
送りたい、心を高く上げて、とあらためて心から神様にお祈りしました。

この日の説教 テキストは「マルコによる福音書」16章19節~20節
タイトルは「キリストの居場所」 でした。





美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツィッターもご覧ください。


夏もそろそろ終わりかけているような・・・・・
静かな夕暮れの公園です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする