ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌66番

2013-07-29 17:02:46 | 讃美歌
讃美歌66番 「聖なる聖なる聖なるかな」

1. 聖なる、聖なる、聖なるかな
  三つにいまして ひとつなる
  神の御名をば 朝まだき
  おきいでてこそ ほめまつれ

2. 聖なる、聖なる、聖なるかな
  神のみまえに ひじりらも[4]
  かむりをすてて ふしおがみ
  みつかいたちも み名をほむ

3. 聖なる、聖なる、聖なるかな
  罪ある目には 見えねども
  みいつくしみの みちたれる
  神のさかえぞ たぐいなき

4. 聖なる、聖なる、聖なるかな
  み手のわざなる ものみなは
  三つにいまして ひとつなる
  神のおおみ名 ほめまつらん

↓ 下はネットから拝借した解説です。

世界的に無比の地位を占める礼拝の歌である。
原作者Reginald Heber(1783-1826)はオックスフォードを卒業し英国で教会を牧していたが、
インドのカルカッタに赴任中病にかかり43歳で急死した。
イギリスの5大讃美歌作者の一人である。

作曲者John Bacchus Dykes(1823-1876)も牧師だが、幼少の頃より音楽の才に恵まれ
オルガン、ピアノ等の楽器の演奏に優れていたが、同時に300以上の讃美歌を作曲した。

元の曲名が「Nicaea」と付けられているのは、この歌詞が三位一体の教義を歌っているところから、
三位一体の教えが確認された第1回の公会議「ニケア(Nicaea)公会議 A.D.325年」にちなんで名付けられた。
Nicaeaは,現在のトルコのイスタンブール(ビザンテイン当時のコンスタンテイノーブル)に近いところにあった。

現在、英米の讃美歌集でNicaeaを含んでいないものはないと言っても過言ではなく、曲の形からみても、
その普及の点からみてもドイツにおける「神はわがやぐら」のように、英国讃美歌中の珠玉の一つということができる。

讃美歌66番はココをクリックすると聴かれます。



<ウリハムシ>体長7~8㎜のハムシです。 
キュウリやカボチャなどの作物によくつき、多数が集まってよく飛ぶことなど
目立つ点が多く、ハムシ類では最もよく知られています。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
人生に疲れた時、心痛むとき、神さまがいつも私と共にいてくださる平安を感謝しています。
あなたも教会にいらしてご一緒にお祈りいたしましょう。

明日、明後日と出かけますので、ブログはお休みいたします。 m(_ _)m
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「今、行きなさい」

2013-07-28 18:44:37 | 説教
今日の主日礼拝説教 テキストは「出エジプト記」 3章1節~10節
タイトルは「今、行きなさい」 でした。

今日は、夏期伝道生として派遣された東京神学大学4年生のK神学生によって御言葉の解き証しがなされました。

モーセは、しゅうとであり、ミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、
神の山ホレブに来た。 そのとき、柴の間に燃え上っている炎の中に主の御使いが現れた。 彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、
柴は燃え尽きない。 モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。 神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。
彼が、「はい」と答えると、神が言われた。 「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は
聖なる土地だから。」神は続けて言われた。 「わたしはあなたの父の神である。 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」
モーセは、神を見ることを畏れて顔を覆った。
主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々とした素晴らしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、
ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。
また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。
わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。



神からモーセへの声は私達へのものでもある。 神の御声のする場所は聖なる場所である。
教会がまたしかり、教会は聖なる場所であり、礼拝に参加するということは緊張を持って臨むべきことである。 
礼拝に慣れると言うことはおかしいことで、父なる神に向かう緊張感に満ちた礼拝に慣れるはずのものではない。
人の世の流れがすべて切断され、イエス・キリストの御言葉を与えられる、永遠につながる場である礼拝はこの世と隔たっているものである。
わたし達は自分の力ではなく、神から呼ばれ赦されて礼拝に立っている、これは神の一方的な行為である。
神の御前に集い、礼拝に出ることはすなわち神の呼びかけを示している。

モーセの日常に神は現れた。 3章1節の「ある時」神は御手をもってモーセを捉えられた。
この時、モーセの日常は断絶し神の御計画に引き入れられたモーセには一つの道しか残らなかった。
神の救いの御業に参与するという使命が与えられた。

わたし達とモーセは異なっているが、しかし神と出会う礼拝で御言葉が与えられる瞬間、キリストが私達とお会い下さるとき、
わたし達とモーセは同じである。 わたし達は週ごとに燃える柴を経験しているのである。
信仰が深まるほど礼拝に慣れるということは無いはずである。
神の召しは人間の思いを破壊する。 自分が召されたかったから召されたのではない。
選ぶのは私達ではなく、神によって私たちが選ばれているのである。
モーセに与えられた道は一本、神に従う道のみ、わたし達も同じである。

神はすぐ近くにいて下さる。
わたし達の命に理由を与えて下さる。 生きていることの根拠である。
主は私たちの痛みを知っていて、憐れんで降ってくださる。
これは永遠の昔から決まっていたことなのです。      (・・・・・・・・・・・・・・・・以上、文責はゆうゆうにあります。)


メッセージが明確で、わたしにはとても分かりやすい説き証しでした。
これからの一週間も神様の御声を聴きながら過ごしましょう、との思いが強まりました。

Kさん、暑い夏、美竹教会でのご奉仕ありがとうございます。
健康に注意して、私たちを導いてくださいね。




夏の夕暮れの公園 <コサギ>清々しい白さでした。


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今年は8月も教会学校は開かれます。
お父様、お母様方、夏の日曜日、お子様とご一緒に礼拝にお出かけください。
きっと良い経験になると思います。
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「神の霊の宿る人」

2013-07-26 23:36:10 | 「先週の講壇より」
7月14日(日)の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りましたので、転載いたします。
テキストは「創世記」41章37節~46節 タイトルは「神の霊の宿る人」でした





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讃美歌67番 「万(よろず)の者」

2013-07-25 22:30:49 | 讃美歌
讃美歌67番「万(よろず)の者」

1)万(よろず)の者 永久(とわ)にしらす 御父(みちち)よ
  今恵みを 下(くだ)し給え 御名をほむる 我らに

2)人となりし 救いの御子 主イェスよ
  利(と)き剣の 御言葉もて 示し給え まことを

3)いとも強き 慰め主 御霊(みたま)よ
  我が心を 治め給え 今より後(のち) 離れで

4)三つにまして 一人にます 御神よ
  御名の栄え ほめたたえて とこしなえに 従わん

作詞者不明の有名な礼拝の歌だそうです。
「三一(みいつ)の神への讃美歌」と題して Charles Wesley (1707-178) の歌と共に一枚の詩集に印刷されていて、
その現物は大英博物館に保存されています。 ウエスレーの作とする人もいたが確証はないそうです。

Felice de Giardini (1716-1796) の曲によって世界的に歌われ、あらゆる歌集に採録されている有名な讃美歌です。
ジャルディーニはイタリア人。 ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者として広く知られたひとで、ヨーロッパ各地を
演奏旅行しロシアで客死しました。

この曲は英国では TRINITY, ENGLAND, NISCOW, GIARDINI などの曲名で呼ばれ、
アメリカでは TRINITY, ITALIAN HYMN と呼ばれています。
1769年に Hymn to the Trinity という名称で初めて発表されたそうです。


讃美歌67番のメロディはココで聴けます。



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夏の遠足

2013-07-24 21:10:34 | CS(教会学校)

美竹教会の教会学校では、↓のような要領で夏の遠足をいたします。

日時 & 場所  8月5日(月) 葛西臨海公園
スケジュール  9:10 教会集合
          9:40 教会出発
          10:30 葛西臨海公園到着
          11:00~11:30 昼食(展望レストハウス)
          11:45~13:45 水族園見学
          13:45~14:45 公園で休憩
          14:45 葛西臨海公園出発
          15:45 教会到着 冷たいお茶をいただいて、お祈り、解散

持ち物  帽子、水筒、おやつ(各自300円までのおやつを持って参加しましょう)
参加費  子供は無料  大人は2000円です。
申し込みの締め切りは7月21日(日)でした。 もう過ぎてしまいました。 m(_ _)m


参加するみなさん、熱中症に注意して、楽しい一日をお過ごしくださいね。
お世話くださるCSの先生方、よろしくお願いいたします。
お手伝いできなくて申し訳ないです。



クルマユリに止まる<クロアゲハ>


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今年は8月も教会学校があります。みなさん、頑張って出席してくださいね!

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また系図です

2013-07-23 22:58:43 | 今日の聖句
ノアからアブラム(後にアブラハム)までの系図が「創世記」10章と11章に記されています。
ノアにはセム、ハム、ヤフェトという三人の息子がいました。
長男セムに連なる子孫の何代か先の「テラ」に三人の息子、アブラム、ナホル、ハランが生まれ、アブラムは後にアブラハムになり、
ダビデに至り、キリスト・イエスまで続きます。

セム → アルバクシャド → シェラ → エベル → ペレグ → レウ → セルグ → ナホル → 「テラ」 → アブラム、ナホル、ハラン

10章25節~31節
エベルには二人の息子が生まれた。一人の名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、ペレグといい、その兄弟はヨクタンと言った。

ヨクタンにはアルモダド、シェレツ、ハツァルマベト、イエラ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、バヒラ、
ヨバブが生まれた。
これらは皆、ヨクタンノ息子であった。
彼らは、メシャからセファルに至る東の高原地帯に住んでいた。
これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたセムの子孫である。


ペレグが主流でアブラムに繋がってゆきます、ヨクタンは傍系ですね。

10章2節
ヤフェトの子孫は、ゴメル、マゴグ、メディア、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスであった。

ヤフェト→ ゴメル → アシュケナズ、リファト、トガルマ
ヤフェト→ ヤワン → エリシャ、タルシシュ、キティム、ロダニム

海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。

10章6節
ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。

ハム→ クシュ → セバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ、ニブロド

10章10節~20節
ニブロドの王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカド(これらはシンアルの地にある)
ニブロドはその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ。レセンを建てた。
レセンはニネベとカラの間にある、非常に大きな町であった。

エジプトにはリディア人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。
このカフトル人からペリシテ人が生まれた。

カナンには長男シドンとヘト、またエブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、
ハマト人が生まれた。 その後、カナン人の諸氏族が広がった。 カナン人の領土は、シドンから南下してゲラルを経てガザまでを含み、
さらに、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイムを経てラシャまでを含んだ。
これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。


傍系のヤフェト、ハムにも子孫が様々な地域に増えてゆきます。
それにしても狭い地域に沢山の民族、氏族がいるお国柄(地域性)なのですね~

「テラ」の系図
アブラム(妻はサライ)
ナホル(妻はミルカ、彼女はハランの娘)
ハラン(父のテラより先に故郷カルデアのウルで死亡) → ロト

11章31節
テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、
カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。
彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは二百五十年の生涯を終えて、ハランで死んだ。


系図を見るとまとめてみたくなります。 私の覚書です。 m(_ _)m



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私の今も神が遣わされたもの?

2013-07-22 20:42:36 | 説教
私が、何十年も遠ざかっていた教会に戻ったのは、心を病むほどのつらい出来事に遭遇したからです。
悩む私をみて姉は教会に戻るように、神様の御許に戻るように強く勧めました。

姉の言葉に従い聖書を読み、祈り、礼拝に出るようになって(神様の御顔を仰ぎ、手を合わせて祈ることで)
私は何とか気持ちのバランスを保ち、平安な日常を過ごすことができるようになりました。

私も神様のご計画に組み込まれ、今の場所(境遇)に神様から遣わされていると考えると、無意味で
むなしい私の人生も、意味あるもの、使命を持ったもの、と信じられるようになりました。
毎朝、あ~あ、今日も目覚めてしまった、という感慨ではなく、今日一日も少しでも神様の御言葉を証し
する者として過ごしたい、と目的意識を持つことができるようになりました。

非力な私でも、なんとか神様の福音を一人でも多くの方にお知らせしたいと願う毎日を心から感謝しています。
私にも使命があり、神様の御用に用いられているということが信じられるのは何よりも嬉しく幸せなことです。

もし、私がつらい出来事に遭遇せず、私から見て順風満帆の暮らしを続けていたら、教会に戻ることもなく
聖書も読まず、祈りもせず、神の御許に戻ることなく人生を終わっていたことでしょう。
私が神の御許に戻ることが神様のご計画であり、今の私の場所は神様が私を遣わされた場所なのだとしたら
私はそのことに素直に心から感謝します。

しかし、そのために私の存在そのものを否定するような、人生全体を否定するような、悲しくつらい出来事が
私を襲ったのだとしたら、あまりにも悲惨な気がします。

今でも続いている悲しくつらい出来事が無かったとしたら私は神様の御許には戻らなかったかもしれない・・・・
教会に連なる現在の幸せと、あのまま続いたであろう順風満帆の生活とどちらがよかっただろう・・・・・
比べるのはおかしいのかもしれませんが、私はその思いから離れられません。
神様を仰ぎ見ながら信仰の生涯を全うする幸せと、つらい出来事に出会わず神様に戻ることなく過ごして
いたであろう生活と、比べるのは愚かだし、いまさら取り返しはつかないのに、今でも、考えてしまいます。

すべては神のご計画だったのだとして、私の払った犠牲はあまりに大きなものです。
私の悲しみは、神様に信頼して生きるという幸せを得るために必要なものだとしても、身から出た錆とはいえ、
やはりそれは私にとってかなり残酷なものです。

エジプトに売られ、誤解から地下牢に十年以上も閉じ込められていたヨセフは毎晩どんな祈りを神に
捧げていたのでしょう。 涙ながらに神に訴え、枕を濡らして眠る夜も多かったことでしょう。
今私は、すべては御心のままに、と祈るのみです。

(昨日の礼拝説教「遣わされたのは神」をお聞きして埒もないことを考えました。)



<アオスジアゲハ> 今年の公園は蝶が少ないような・・・・


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教会に連なり、神様に見守られる生活は真の平安に満ちています。
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「遣わされたのは神」

2013-07-21 22:46:42 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「創世記」45章1節~8節 タイトルは「遣わされたのは神」でした。

ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。
だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。
ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。

ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」
兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」

兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、
わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責めあったりする必要はありません。
命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。
神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者をあたえ、あなたたちを生きながらえさせて、
大いなる救いに至らせるためです。
わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。
神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。



「創世記」の37章から51章までの長いヨセフの物語は、神が私たちの主であるとはどういうことなのかを私達に考えさせる話です。

ヨセフの信仰はエジプトでの22年間の苦労の結晶ともいえるものになっていました。
ところで、この物語の主人公は誰でしょう、ヨセフか、兄弟や父か、運命か、神か?

・自分が不幸な星の下に生まれたと考えると、その人生には諦めしかありません。
・兄が悪かったと考えると、復讐と憎しみに走り、悲しい涙の人生となります。
・神がそのような境遇に自分を遣わされたのだと考えると、自分の人生の主人公は神である、
 わたしの唯一の主人は神であると思えます。

私共の日常は些細なことの連続ですが、ここに私を遣わしたのは神だという信仰をもつと日々は耐えられるものとなります。

まず、いかなる境遇でも感謝し、生きる喜びが自覚できるはずです。(私たちははたしてどれくらい、自分の人生に感謝しているでしょうか。)
そして、一日一日を精一杯生きることができるようになり、人を赦す気持ち、シャーローム(平安)に導かれます。
最後に、そうなると私たちの人生の一齣ひとこまが意味あるものとなってきます。

全世界の救いのために、ヤコブの末からキリストが生まれるためにヨセフを用いられた神は、わたし達一人一人をも今、用いて下さっています。
わたし達は世の中の人に福音をもたらす器として用いられ、使命を与えられ、遣わされています。
神を中心とする、主人公とする生活をしたいものです。   
                              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上文責はゆうゆうにあります。

ともすると何のために生きているのか、私の人生なんて空しいもの、と考えがちな私ですが、
今日の一日は神さまに遣わされた一日と考えると、毎日を大切に生きるようになれる・・・・・・はずです。
しかし、心に深い傷、痛手のある私は、神さまが今の境遇に私をお遣わしになったと中々素直には思えませんが、
あまりに心が痛むので、これは神さまの御計画、神さまが私に与えられた場所なのだ、と信じることによって傷をいやしています。
卵が先か鶏が先か・・・・・・私は心の痛みを和らげるために神様の御計画という考えにしがみついているような気もします。 (T__T)
そう考えると苦しみが少し減少し、そして、そのことを神様に感謝する、というわけです。

この苦しみが私をして神の御許に、教会に戻してくださったのは事実なのですが、こんな苦しみがなくても神様に感謝いたしますから、
どうぞこの苦しみを取り除いてください、というのが本心です。


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<ネキトンボ>というトンボです。
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神さまはお一人では?

2013-07-20 23:30:37 | 今日の聖句
今日の聖句は「創世記」 6章1節~8節です。

さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」
こうして、人の一生は百二十年となった。
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。
これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。


上の聖句の中に「神の子ら」という言葉が出てきます。
神さまは唯一、ただお一人として、お子達がいたのでしょうか。

「創世記」3章22節には
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある
。」
と書かれています。 「我々の一人」・・・・どういうことでしょうね。

聖書の神話もギリシャ神話やシュメールやエジプトの神話の影響を受けていて
多神教的な記述になったのでしょうかしら?

「付録 旧約聖書成立の概要 (その1)」の中に
「古代ヘブライ語の旧約原本によれば、創世記の第1章に登場する神はエロヒム(Elohim、神々という複数形)とあり、
第2章の4節からはヤハウェ(ヤハウェー、Jawhe)の名前で書かれていまして、後の文章も全般に渡りエロヒムか
ヤハウェのどちらかあるいは両者一緒に使われています。」という記述があります。
 
ということはエロヒムだとしたら、神さまが複数と言うことも有り、なのでしょうか。

無知な私が聖書を読むと、あっちもこっちも気になること、分からないことばかりです。
それでも私は神様を信じさせていただいて、毎日聖書を読んで心満たされています。 感謝。




<ゴイサギ>という鷺です。
命名の由来は、白い冠羽が五位という位を持つ
お公家さんを連想させたのでしょう。(多分・・・・)



明日は日曜日、美竹教会の礼拝は午前10時半から始まります。
心に重荷を負っているかた、人生の意味を模索している方、どうぞ教会の扉を開けてお訪ねください。
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系図

2013-07-19 23:28:51 | 今日の聖句
「創世記」4章  2節b~5節a  カインとアベル

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子(ういご)を持って来た。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。



カインはこの後、弟アベルを殺してしまい、主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住みました。
なぜ主はカインの献げ物には目を留められなかったのでしょうね、神様の御心は私には測り難し、です。


4章17節~
カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたが、その町を息子の名前にちなんで
エノクと名付けた。 エノクにはイラドが生まれた。
イラドはメフヤエルの父となり、メフヤエルはメトシャエルの父となり、メトシャエルはレメクの父となった。
レメクは二人の妻をめとった。独りはアダ、もう一人はツィラといった。
アダはヤバルを産んだ。ヤバルは家畜を飼い、天幕に住む者の先祖となった。
その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。
ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄で様々の道具を作る者となった。
トバル・カインの妹はナアマといった。


主流からはずれ、傍系となった「カインの系図」は上のように記されています。


「創世記」4章25節~26節
再び、アダムは妻を知った。 彼女は男の子を産み、セトと名付けた。
カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。
主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。


5章 アダムの系図

2節
アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。
アダムはその子をセトと名付けた。

6節
セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。
9節
エノシュは九十歳になったとき、ケナンをもうけた。
12節
ケナンは七十歳になったとき、マハラルエルをもうけた。
15節
マハラルエルは六十五歳になったとき、イエレドをもうけた。
18節
イエレドは百六十二歳になったとき、エノクをもうけた。
21節
エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。
25節
メトシェラは百八十七歳になったとき、レメクをもうけた。
28節
レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。
彼は「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。


このノアが、あの「ノアの箱舟」のノアです。
イスラエルの民の主流はアダムから始まりノアまで来ました。

このノアがアブラム(後にアブラハム)までつながっていきます。

「創世記」と並行して読んでいる「マタイによる福音書」の書き出しも「イエス・キリストの系図」から始まっていて
アブラハムからイエスまでの系図が記されています。

系図や人の名前を見ると整理したくなります。 どこまで続くか・・・・・(^^;)


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日曜日の礼拝に是非お出かけ下さい。
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