ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「信仰の果実」

2017-11-15 21:02:40 | 説教
11月12日(日)主日礼拝の説教
テキストは「ガラテヤの信徒への手紙」5章22節~25節
タイトルは「信仰の果実」でした。





この日は「永眠者祈念礼拝」でした。
美竹教会の信仰の先輩方のご遺族が何名かいらしてくださいました。
私の父もはるか昔、美竹教会で浅野順一牧師に葬儀礼拝をしていただきました。
12月に後期高齢者になる私はたくさんの家族、友人が神様の御許に召されています。
近い将来、再開できるのを楽しみに毎日を大切に丁寧に生きて行こうとの思いを
新たにいたしました。

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(FacebookやTwitterもご覧ください。)


公園にひっそりと咲く<野菊>
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讃美歌258番「貴きみ神よ」

2017-11-11 13:57:20 | 讃美歌
 讃美歌258番 「貴きみかみよ、」
“Aus tiefer Not schrei ich zu dir” by Martin Luther, 1523
「AUS TIEFER NOT」 Johann Walther's Gesangbuchlein, Wittenberg, 1524

 1. 貴(とうと)きみかみよ、悩みの淵(ふち)より 
   呼(よば)わるわが身を 顧(かえり)みたまえや。
   み赦(ゆる)しうけずば きびしき審(さば)きに 
   たれかは堪(た)うべき。
 2. 世にある人みな 力のかぎりに いそしみ励(はげ)みて 
   正(ただ)しく生くとも、
   聖(せい)なるみかみの 恵みをうくるに 
   たれかは足るべき。
 3. おのれの業(わざ)には 少しも頼(たよ)らず、 
   ひたすら恵みの 力をたのみて、
   みことば畏(かしこ)み 疑うことなく、 
   のぞみてゆるがじ。
 4. わが罪あやまち 限りもなけれど、 
   底(そこ)いも知られぬ 恵みの御手(みて)もて
   イスラエル人(びと)を 救いしみかみは、 
   げにわが牧者(ぼくしゃ)ぞ。

「神はわがやぐら」と共に、宗教改革から生まれた不朽の作であります。
この歌詞はルターがヴァルトブルグ城で新約聖書のドイツ語訳を完成させた翌年の1523年に、
彼が「パウロ的詩編」と呼んで愛唱した詩編130編をもとに創作したものであります。
カトリック教皇庁から破門され、国会に呼び出されて皇帝カール五世の審問を受け、
身の安全が危機にさらされてヴァルトブルグ城に匿われていた時でした。
その苦しみ、悩みと心血を注いで完成させた新約聖書のドイツ語訳の喜びと信仰の確信が
にじみ出ているのではないかと思います。
曲は古いカトリック教会の旋律からルターが採用したものらしいという説が有力となっています。

 詩編130編と讃美歌の第1節を対比してみます。
    詩編130編                     讃美歌第1節                  
     貴きみかみよ、悩みの淵より                深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
     呼ばわるわが身を 顧みたまえや。            主よ、この声を聞き取ってください。
     み赦しうけずばきびしき審きにたれかは堪うべき    嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
                                       主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 
                                       主よ、誰が耐ええましょう。

10月31日は宗教改革記念日です。1517年のこの日、現在のドイツのヴィッテンベルグ大学教授であった
マルテイン・ルター(1483-1546、ドイツ)は、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に「95か条の提題」を
張り出し、魂の救済を(贖宥状)免罪符など金銭で売買するローマ教皇庁に公然と抗議し、
宗教改革の烽火をあげました。この改革運動は全ヨーロッパに広まりカトリック教会に対して
プロテスタント派として現在に至っています。ルターの「聖書のみ」(聖書のみに忠実な教会)、
「信仰のみ」(純粋な信仰のみによる内的救済)、「万人祭司」(神の前での平等)の主張は、
宗教改革の3大原理として全てのプロテスタント教会の共有財産となっています。

ルターは聖書を自国語(ドイツ語)で読めるために、1522年ヴァルトブルグ城で新約聖書をギリシャ語から
翻訳し、1534年には新旧約聖書のドイツ語訳が完成しました。ルターはまた、讃美歌を牧師と聖歌隊だけでなく、
会衆全員が歌えるように改革し、自身でも多くの賛美歌を作り聖歌集を編纂しました。
「音楽は神の美しい素晴らしい賜で、神学に近い。」ルターの卓上談話の中の言葉です。
また、「讃美歌をよく歌い、神の喜びとなることはどのキリスト者にも隠れなきことであると思う。
・・・・しかり、聖パウロも・・・」と書いております。その聖書の引用箇所は次の通りです。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、
詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイの信徒への手紙3章16節)
「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも
賛美することにしましょう。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章15節)

旋律はルターの原作はないとされ、カトリックのラテン語聖歌、改革以前のドイツ宗教歌、民謡等から
取材されたといわれています。
「讃美歌」にはルターの作品が3曲あります。   (以上はネットからの引用です、感謝です。)


『いそしみ励(はげ)みて正(ただ)しく生くとも、聖(せい)なるみかみの 恵みをうくるにたれかは足るべき』
ルターの渾身の思いに胸打たれます。本当に、恵み無くして誰が救われるでしょうか。
少なくとも私は絶対にダメです。身も心も引き締めて神様に感謝です。

ここをクリックすると讃美歌258番を聴くことができます。

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薄い秋日の中の<シジミチョウ> 命果てる冬がそこまで来ています。
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「信仰による義」

2017-11-07 21:10:41 | 説教
11月5日(日) 主日礼拝の説教
テキストは「ローマの信徒への手紙」3章21節~26節
タイトルは「信仰による義」でした。





今週も左近牧師の力強い説教をお聞きできたこと、本当に感謝でした。
『神に出会い、救い出された者が、その救いにふさわしく生きる状態を義という』
という平野保牧師の説き明かしから始まって、『もはや人は無償で、恵みのみに
よって罪から解き放たれ、本来あるべき状態、あるべき立場に、一方的に神に
よって成し遂げられた』
「義とされる」ということはそういうことだ、と聖書は語っているのですね~
今週も「目からうろこ」でした。
来週も続くルターの宗教改革の三つの主題についての説き明かしが楽しみです。

礼拝ではルターが書いたといわれる讃美歌258番を歌いました。
これまた素晴らしい歌で、感動しました。 
次回のブログでは讃美歌258番について書きたいと思います。

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いきなり飛び出した日本で一番大きな鷺<アオサギ>
望遠レンズではフレームからはみ出すところでした。 (-_-;)
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「宗教改革500年」

2017-11-02 18:35:16 | 説教
10月29日(日)主日礼拝の説教
テキストは「テモテへの手紙二」3章14節~17節
タイトルは「宗教改革500年」でした。





今年はルターの宗教改革から500年の節目の年だ、と私はノンクリスチャンの友人から
教えられました。(-_-;) この日の説教は聖なる書物(聖書)についての話でした。
礼拝の中で味わう聖書も特別ですが、家で一人でひも解く聖書も本当に魂の糧です。
難しかったり、理解不可能(私にとって)だったり、納得できなかったりするところは
たくさんあるけれど、それでも、それだからカナ? 聖書は私の生きる糧となりました。
神様に感謝、信仰を与えられて感謝です。

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照り返しの美しい夕暮れの池の<カワセミ(翡翠)>です。クリックして見てください。
豆粒のように小さい翡翠を300㎜の望遠レンズに1.4倍のテレコンを付けて撮りました。
ISO10000、フィルム時代には考えられない数値です。デジカメ凄い!です。
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