ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「最初の教会」

2017-02-25 20:16:45 | 説教
2月19日(日)主日礼拝の説教です。
テキストは「使徒言行録」2章40節~47節  タイトルは「最初の教会」でした。




ブログの記事に「説教」カテゴリばかりが多くなりました。
毎日聖書も読んでいて、気になる聖句、好きな聖句、わからない聖句などなど
色々あるのですが、なかなかアップできずスミマセン。
旧約聖書は「マラキ書」を読み終わり、何度目かの「創世記」です、楽しみです。
新約聖書は「ペトロの手紙一」を読んでいます。
もう少しで何度目かの「ヨハネ黙示録」です。
今度は少しは理解しながら読めるでしょうか、これまた楽しみです。
聖書は本当に飽きることがありません。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブック、ツイッターもご覧ください。


久しぶりに(私の腕としては)気分の良い野鳥写真が撮れました。
<ルリビタキ>雌タイプの若(男の子)だそうです。
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讃美歌225番

2017-02-19 17:05:49 | 讃美歌
讃美歌225番「すべての人に」 
作詞 by Ko Yuki,1936
作曲「FUKUIN」 by Toshiaki Okamoto,1940

1)すべてのひとにのべつたえよ、
  かみのたまえるみおとずれを。
  あめなる父はみ子をくだし、
  すくいのみちをひらきませり

2)あまねくのべよ、よき知らせを、
  まことの幸を もとめつつも、
  むなしきものにさそわれゆく
  世のはらからにのべつたえよ。

3)十字架のうえに死にたまえる
  み子こそ永久(とわ)のすくいなれや。
  かみのたまえる この知らせを、
  地のはてまでも告げひろめよ。

原作者由木康氏(1896―)の作品は日本キリスト教団賛美会員会編纂の讃美歌集で一番多い。
又、数多くの歌詞の翻訳されている。
氏は、関西学院文学部をおえて聖書と神学を学び日本キリスト教団東中野教会牧師、
青山学院神学部その他で聖歌学を講ずる一方讃美歌の編纂に携わった。
この曲は、福音をあまねく宣べ伝えるべきことを単純平明にうたった歌である。

作曲は岡本敏明氏。
東京高等音楽院(現・国立音楽大学)を卒業後、玉川学園でも指導をした。 (ネットからの引用です。)

難しい言葉使いの讃美歌ですね~ 「宣べ伝えよ」はともかく「神、のたまえる」は
どんな漢字でしたっけ? 難しいです。

ここをクリックすると讃美歌225番を聴くことができます。

<訂正そしてお詫び>
前の記事で19日(日)に美竹教会懇談会が開かれる、と書きました。
すっかり今日の午後だと思っていましたが誤りでした。
3月19日(日)に開かれます。 訂正してお詫びいたします。
テーマは<伝道>です。

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公園の一角に落ち葉の堆積場があります。
きっとミミズや虫たちの暖かい寝床なのでしょう。
それを目当てに?<トラツグミ>が居着いています。
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「伝道」

2017-02-13 17:00:04 | 説教
2月12日(日)の礼拝説教 タイトルは「伝道」
テキストは「マタイによる福音書」28章16節~20節でした。





美竹教会では19日(日)に「伝道」をテーマに懇談会をいたします。
イエス様が私たちを伝道の業に押し出してくださっています。
私も、一人でも多くの方に神様の福音をお知らせしたい、神様のブドウの枝である
教会により多くの方が集いますようにといつも祈っています。
リー・ストロベルは、クリスチャンとなった彼の妻の基本的な人間性のかわる姿、
自信に満ちあふれた高潔な女性へと変わっていく様子に感動すらおぼえて、その変化の
原因を知りたいと思うようになり「ナザレのイエスは神の子か」を著しました。
洗礼を受けた後、クリスチャンとしての生活をする彼の大きな変化を見て五歳の娘のアリソンは
「ママ、神様がパパにしたことをアリソンにもしてほしいよ!」と彼の妻に言ったそうです。 
素晴らしい伝道の御業。
伝道を考えるとき、具体的な戦略?を練るのか、それとも日々の生活をクリスチャンとして
相応しいものにしてその姿で神のみ言葉を証しすればよいのでしょうか?

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笹薮で地鳴きしていた<ウグイス>
ようやく姿を見せるようになりました、春近し。
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「ヘブライ人への手紙」より

2017-02-11 11:23:37 | 今日の聖句
「ヘブライ人への手紙」より、 今日の聖句です。

10章5節~7節
それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。
あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
そこで、わたしは言いました。『ご覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて
書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」

10節~14節
この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは
聖なる者とされたのです。すべての祭司は毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことの
できない同じいけにえを、繰り返して献げます。
しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、
敵どもが御自分の足代となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、
キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。

21節
更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、
良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうでは
ありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬように
しっかり保ちましょう。


「ヘブライ人への手紙」 今日の聖句は比較的わかりやすいものでした。
イエス様はこの世に来られた時、その最初から、ご自分が聖書の巻物に書かれているとおり、神様の
御心を行うために、つまりご自分は人間の罪の贖いとしていけにえになる、という覚悟を
持っていらしたのでしょうか。凄いことです。イエス様は凄い、そしてそれを著した聖書も凄いです。
聖書は私にはわからなかったり、矛盾しているように見えたり、受け入れがたかったり、
問題点がたくさんあります。
でも、だからこそカナ? 信頼に足る書物だとなぜか私は思っています。

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寒い公園で<シメ>の群れが採餌中でした。
もう群れを作って・・・渡る準備でしょうか。
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「ヘブライ人への手紙」

2017-02-08 18:28:04 | 分からなかった今日の聖句
今日の記事は、カテゴリー「わからなかった、今日の聖句」で、その箇所は
「ヘブライ人への手紙」 7章11節~25節です。

ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば
ーというのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですからーいったいどうして、
アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。
祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。このように言われている方は、
だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に即しておられます。
というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、
祭司に関することを何一つ述べていないからです。このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が
立てられたことによって、ますます明らかです。
この祭司は肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。
なぜなら、「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。
その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。
-律法が何一つ完全なものにしなかったからですーしかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。
わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。
また、これは誓いによらないで行われたのではありません。
レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、この方は、誓いによって
祭司となられたのです。
神はこの方に対してこういわれました。「主はこう誓われ、その御心を変えられることはない。
『あなたこそ、永遠に祭司である。』」このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、
多くの人たちが祭司に任命されました。しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を
持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、
御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。


26節以下も私にはよくわからない記述が続きます。
今読んでいる新約聖書の「ヘブライ人への手紙」はとても難しいです。
この祭司制度についても書かれていることがよく理解できません、困ったことです。
“メルキゼデク”とは王であるとともに永遠の祭司としてキリストの型とされている(「聖書事典」)そうです。

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久しぶりに北風の緩んだ暖かい公園で<コゲラ雄>を見ました。
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「十字架の主」

2017-02-04 12:55:05 | 説教
1月29日(日)主日礼拝の説教
テキストは「マルコによる福音書」15章33節~41節
タイトルは「十字架の主」でした。







美竹教会では、大人の説教の前に教会学校の生徒に向けて聖書のお話がされます。
今日の子供向けのお話のなかでは「十字架の主」が「わが神、わが神、なぜあなたは
私を見捨てられたのですか」と叫ばれたイエス様について話されました。
『イエス様は神に見捨てられるという絶望の極致まで経験され、私たち人間の罪を
贖ってくださいました』ということでした。
イエスが神に感じた絶望・・・・そうだったのか!と身に染みて納得できる気持ちが
心の奥底で湧いてきますが、まだしっかりとは実感できないような不思議な気持ちです。
私たち人間も神様に絶望することがあるのか? 許されているのか? わかりません。
いつか時間のある時に左近先生にでもお訊ねしたい事柄です。

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公園の<シロハラ>藪でガサゴソ虫を漁っていました。
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