ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

礼拝の動画配信が再開されました。

2020-07-26 20:25:46 | 美竹教会
美竹教会では、7月12日以降中止していたインターネットでの礼拝動画配信を
今日から再開いたしました。
このところ感染がさらに拡大していることを考慮して長老会で決定したそうですが、
礼拝に集えない方々が増えているのかもしれませんね。
朝10時半からの礼拝を録画し、午後にはホームページから配信するそうです。
子どもメッセージの動画もこれまでと同様に配信されます。
礼拝説教の原稿も毎週、ホームページに掲載されます。
どうぞ、ホームページから礼拝にご参加ください。

また、今日は美竹教会の広報誌(?) 「信音」7月号が発行されました。
左近豊牧師の「巻頭メッセージ」を掲載させていただきます。 どうぞお読みください。



美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツイッターも御覧ください。

  いや~コロナ、疲れました。
  家にいる時間が長く、コロナのことが頭から離れないので、新聞も丁寧に読むようになり、
  これまであまり見なかったTVのニュース番組も一日一回はしっかり見るようになりました。
  日本の、世界の、社会の、情報があふれるほど押し寄せて圧倒されます。
  パンデミックという厳しい状況の中でもアメリカと中国は呑気に!反目し、シリアでは戦闘が
  続き、ワクチンの開発にしても各国の思惑がからんで世界中の庶民に公平に平等に
  行き渡るなんて夢物語のようです。
  「せめて平等と公平を実現するくらいの賢さと知恵を人間にお与えください。」と私は
  毎日神様にお祈りしています。 
  私達は今、感染と経済のバランスを見ながら、医療崩壊を起こさない範囲で経済を動か
  さなくては、という綱渡り的状況を耐え忍ばなくてはならないのです・・・・よね?
  ただでさえ真っ赤っ赤の日本の経済はこの先どうなるのでしょう。
  自給率39%の日本の食糧事情は維持可能なのでしょうか。  はぁ~~ 疲れます。

  それにしても7月も終わりだというのに梅雨前線はいつまでいつまで日本列島
  にへばりついているのでしょう! 😠💢 
  あちこちに八つ当たり気味です。 (^_^;) 

  今日は気分転換に夏の文字を書いてみました。 
  スコーン!と気分のよい夏空の写真も御覧ください。


     

  
コメント (1)
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行いを欠く信仰

2020-07-09 17:51:56 | 今日の聖句
今日の聖句は「ヤコブの手紙」からです。 私にできる行いとは何だろう・・・・・

「ヤコブの手紙」 2章14節~26節 「行いを欠く信仰は死んだもの」

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に
立つでしょうか。 そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。 もし、兄弟あるいは姉妹が、
着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して
行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与え
ないなら、何の役に立つでしょう。 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけ
では死んだものです。 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいる
かもしれません。 行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、
自分の信仰を見せましょう。 あなたは「神は唯一だ」と信じている。 結構なことだ。 悪霊どもも
そう信じて、おののいています。  ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、という
ことを知りたいのか。 神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の
上に献げるという行いによってではなかったですか。  アブラハムの信仰がその行いと共に働き、
信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。 「アブラハムは神を信じた。それが
彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。 
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのでは
ありません。 同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやる
という行いによって、義とされたではありませんか。
魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。


日に日に濃くなる緑の中で、デデポッポー、デデポッポー!という山鳩の優しい鳴き声。
あの穏やかな初夏はどこへ行ってしまったのでしょうか。
コロナ禍で鬱々する毎日に追い打ちをかけるように、じっとり居座る梅雨前線による豪雨が各地に
激しい被害をもたらしています。 被害に会われた方々を思うと胸が痛みます。
同時に一人暮らしの後期高齢者(私)が被災したらどんなふうに対処できるだろうか、ということも
頭を掠め、思うだけでも心が暗くなります。
ここ十年近く(?)台風のときだけでなく梅雨時も土砂崩れや河川の決壊によって死者が出るような
豪雨が続いています。 地球温暖化によるこの異常気象はこれからひどくなることはあっても
減じることは無いそうです。 地球の温暖化もそうですが、新型コロナウイルスの出現も人間の
飽くなき欲望の生み出したものだとも言われています。 人類はこのまま突き進んで、この地球を
子どもたちに無事に引き渡すことが果たしてできるでしょうか。
聖書には「神を知ることが知恵の始まり」と書いてあります。
今こそ、人間は被造物である、神様(創造主)を知り謙虚になることが本当の知恵である、と知る
ことが必要だと思います。 これが私の寄り頼む信仰です。
神様の御国の民として心の平安をいただいて生きているはずですが、信仰薄く、信仰の知識も
欠ける私は時々(かなり)後ろ向きになり、希望を語れなくなります。


ステイホーム、自粛、ソーシャルディスタンス等など、窮屈な日々の中での纏まらない取留めない
ゆうゆうの呟きです。 なんかな~?と思われたら、どうぞスルーしてくださいね。



<キジバト(山鳩)>

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今日の聖句も難しい

2020-07-02 12:49:31 | 分からなかった今日の聖句
「ヘブライ人への手紙」 12章18節~29節

あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々が
これ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなか
ったのです。 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」
と言ったほどです。 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の
天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものと
された正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む
者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそう
ではありませんか。 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。
「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続
するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。
感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。


「ヘブライ人への手紙」読み終わりました。
今日の箇所、言葉も文章もですが、言葉の背景が分からず、本当に難しいです。 
ワ~イ、どなたか解説してくださりませ~!
私の参考図書「新共同訳 聖書事典」(2004年)からの解説を抜書いたします。
なんとなく全体像は掴める・・・・・ような気はしますが、一つ一つの聖句が難しい。
ま、いいかぁ、 サ~テ、次に進みま~す!



   コロナの影響なのでしょうか、ステイホームが快適になった、
   というより出かけることが億劫になりました。 
   暑さの所為もあって、公園への散歩もサボリ気味です。
   今年は公園のカルガモファミリーにも会えませんでした。


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ヘブライ人への手紙 「聖書事典」川村輝典氏の解説
著者:
後3世紀以来、ギリシャ、シリア地方の教会でパウロ説と主張されてきた。
西方教会では後4世紀以降、これが認められ中世全般にこの説が一般的。
しかし、宗教改革時代からエラスムス、ルターなどこれに異議を唱える人が出た。
(アボロ説、バルナバ説、プリスキラ説など) かくして特定の人物を挙げることは不可能。
後1世紀の80年代に活躍していたヘレニスト・ユダヤ人であって、アレクサンドリア思想に
通じており、ローマの家の教会に所属していたと予想される人物と断定できるであろう。
構成:
古くから手紙と呼ばれながら、最初の挨拶の言葉がない、終わりの挨拶の言葉が2度繰り
返されているように見えることなどから、神学的論文とする意見もあるが、最近では、教えと
勧告とが交互に繰り返されている文章構成から勧告の書ないし説教とする見方が有力。
執筆場所と宛先:
かつて有力であった対エルサレム教会ないしパレスチナ説は、本書の内容がエルサレム神殿
についての知識に欠けているところから、不可能。
有力なのはローマ説で、ヘブ 13:24 の句から執筆場所とも宛先とも取れる。
宛先と考える方がより自然で、その場合執筆場所はエフェソ辺りと考えることがふさわしいだろう。
キリスト論
古くから大祭司キリスト論について記された文書と見られ、重点が置かれていたが、全体として、
神の子キリスト論と大祭司キリスト論の両者が主張されているというべき。
救済論
キリスト論と密接に結びついている。基礎をなすのは、大祭司としての業。
キリストが新約の大祭司として一度限りの天の至聖所に入り、自身を犠牲として捧げたことにより、
人々の罪が清められ、永遠の救いが完成したのである。(ヘブ 7:27, 9:12, 14, 26, 10:12)
終末論
宛先の教会の信者たちが信仰の危機に陥っているのを励ますために、終末の救いの到来を強調する。
著者にとって現在は「この終わりの時代」であり(ヘブ 1:2)「来るべき世界」(ヘブ 2:5)の先取りである。
本書の終末論は、一方では将来における神の行為、すなわちイエス・キリストの再臨を指し示すとともに、
他方では現在を指し示している。
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美竹教会では今週の日曜日(7月5日)の礼拝まで、礼拝のネット配信をするそうです。
コロナ禍の最中ですが、皆さまお気をつけて、ぜひ礼拝におでかけください!
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