ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「献げ物」の暦

2016-03-30 15:04:48 | 聖書
「レビ記」は第一章ののっけから八章、九章まで献げ物の記述が続いて少々読みにくい出だしです。
(↑クリックすると以前載せた「献げ物」の記事が出てきます。)
「民数記」を読み終わりましたが、「民数記」の28-29章は「献げ物の規定」ということで、ここでは
献げ物をする時間や時期が述べられています。 
献げ物のカレンダーですね。**********************

日ごとの献げ物:
無傷の一歳の羊二匹を日ごとの焼き尽くす献げ物として朝夕に一匹ずつ。
それと共に、上等の小麦粉十分の一エファに上質のオリーブを砕いて取った油四分の一ヒンを混ぜて
作った穀物の献げ物、これが日ごとの焼き尽くす献げ物で、燃やして主にささげる宥めの香りとする。
それに、ぶどう酒を羊一匹について四分の一ヒン注ぐ。

安息日の献げ物: 七日ごと、ということですね。
無傷の一歳の羊二匹、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物を添える。 安息日ごとのこの焼き尽くす献げ物は、日ごとの焼き尽くす献げ物と
ぶどう酒の献げ物に加えるべきものである。

一日(ついたち)の献げ物:  毎月の一日(ついたち)に献げる
若い雄牛二頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹で、雄牛一等につき穀物の献げ物としてオリーブ油を
混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の
小麦粉十分の二エファ、小羊一匹につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の
一エファ。これが焼き尽くす献げ物で、燃やして主にささげる宥めの香りである。
添えるぶどう酒は、雄牛一等についてぶどうしゅ二分の一ヒン、雄羊一匹について三分の一ヒン、
子羊一匹について四分の一ヒンとする。
また日ごとの焼き尽くす献げ物およびぶどう酒の献げ物に加えて、贖罪の献げ物として雄山羊一匹を
主にささげる。

除酵祭の献げ物:
第一の月の十四日は、主の過越で、十五日は祭の日である。
七日の間、酵母を入れないパンを食べる。
初日には聖なる集会を開き、いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹、すべて傷の無いものを焼き尽くす献げ物として主にささげる。
雄牛一等につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について
は十分の二エファ、小羊一匹につき十分の一エファをささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とし、罪を贖う儀式をおこなう。
七日の間、毎日燃やして主にささげる宥めの香りを食物としてささげる。
これは日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えてささげるべきものである。
七日目には聖なる集会をひらき、いかなる仕事もしてはならない。

七週祭の献げ物:
初穂の日(七週祭)に新穀の献げ物を主にささげるときには、聖なる集会を開く。
いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
日ごとの献げ物と穀物の献げ物に加えて、ぶどう酒を添えてささげる。

第七の月の一日(ついたち)の献げ物:
聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
新月にささげる焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、それに添えるぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

第七の月の十日の献げ物:
聖なる集会を開く。苦行をし、いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
それらは無傷のものでなければならない。
日ごとの献げ物と穀物の献げ物、それに添えるぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

第七の月の十五日の献げ物:  八日にわたって献げ物をするようです。
聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。 七日の間、主の祝いをする。
若い雄牛十三頭、雄羊二匹、一歳の羊十四匹を、焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。 
それらは無傷のものでなければならない。
雄羊十三頭については、一頭につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、
雄羊二匹については、一匹につき十分の二エファ、子羊十四匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。
日ごとの焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

二日目:
若い雄牛十二頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのについて、規定の数量の穀物の
献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物にほかにささげる。

三日目:
雄牛十一頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのにつて、規定の数量の穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一頭、贖いの献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

四日目:
雄牛十頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

五日目:
雄牛九頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

六日目:
雄牛八頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

七日目:
雄牛七頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、各々について、規定の数量の穀物の
献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物のほか。

八日目:
聖なる集まりを開く。 いかなる仕事もしてはならない。
雄牛一頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物とした主にささげ、燃やして宥めの
香りとする。 おのおのについて、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物の他。

以上は祝日に主にささげられるもの。
満願の献げ物や随意の献げ物としてささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物
および和解の献げ物とは別のものである。
*****************************************ざっと以上のような暦でした。
生け贄の動物の屠り方は「レビ記」に書かれています。(と思います。)
ダイナミックな献げ物、神殿にはさぞ香ばしい香りが充満していたことでしょう。




美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
先週にイースター礼拝に友人が来てくれました。
初めてのイースターエッグ、初めての洗礼式を喜んでくれました。
こちらこそアリガトウ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「空になった墓」

2016-03-28 13:24:57 | 説教
イースター礼拝の説教 テキストは「ヨハネによる福音書20章1節~10節
タイトルは「空になった墓」 でした。





土曜日から気管支が猛烈痛くなりました、どうやら風邪をひいたようです。
微熱ですが何しろ気管支が痛くて痰がからんで苦しくてしかたありません。
市販の風邪薬を服用してどうにか礼拝にはでましたが、イースターの祝会は
パスしました。 洗礼を受けた方、転入なさった方のお話も聞きたかったのに・・・
礼拝のお説教も途中で身体から気力が空中浮遊状態、記憶に残っていません。 (^^;)
今日もまだ頭がフラフラしていてプリントも読む気力ありません。困った、困った。
回復したらゆっくり読むことにいたします。  m(_ _)m


開花宣言された途端に冬に逆戻り、咲こうか咲くまいか迷った桜も
今週は満開になることでしょう。 皆さま、よいお花見をなさってください。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イースター礼拝のご案内 (再)

2016-03-24 15:46:57 | 美竹教会
いよいよ今週の日曜日はイースター(復活節)です。
十字架の上に殺され、一度死なれたイエスは死に打ち勝って復活されました。
イエスはご自身を生け贄としてささげ、父なる神の前に私たち人間を贖って
くださってのです。 死に勝利された主は、私たちを招いてくださっています。
主の復活を喜び祝い、招きに導かれている私たちの平安を喜び祝いましょう!


イースター礼拝に受洗される方がいらっしゃいます。
当日は礼拝の中で、洗礼式が執り行われます。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖書の学び Ⅴー5」

2016-03-22 15:44:16 | 「聖書を学ぶ会」
今回は預言者ホセアについてのお話でした。

会に先立って「聖書を学ぶ会」についてのお知らせが左近牧師からありました。
4月から開始時刻を10分早めること、第4週の礼拝後に40分くらい時間をとって「学ぶ会」をすること、
について検討中だそうです。新しい体制が確定したら「週報」に載せるということでした。
礼拝前の20分間では物足りないなぁ、と私は思っていましたので時間延長は嬉しい事ではありますが、
礼拝後に残れるかどうかが微妙・・・・・です。確定した時点で是々非々で考えることにいたしましょう。


同時代に活躍した南王国ユダの預言者イザヤとミカはかなり似通ったメッセージがあり、
影響し合っていると思われるが、北王国のホセアとアモスには共通点がほとんど見られない。
南のユダと違って北のイスラエルはクーデター続き。

ホセア書の標題から活動開始時期が推察される。
オムリ王朝が滅びでイエフ王朝のヤロブアムの統治が40年間、その後イエフ王朝は
滅びる→王位の奪い合い(クーデター)→不安定→アッシリアがつけ入る。
この不安定な時代にホセアは活躍した。
シリア、エフライム(北王国)から南王国ユダへの圧力はうまくゆかなかった。

子供につけた名前の「ロ」は否定の詞:子供の名を呼ぶたびに、子供の顔を見るたびに
北イスラエルが神に裁かれていることを思い起こさせる名前。
2章は、愛する相手が関係を壊してゆくことへの神の思いが語られる。

象徴行為が最も描かれているのは11章
私の心は(私に反して)向きを変え・・・・・神自らのうちに破れを抱えている。
エレミヤの「神の神学」にあらわされてくる。(?)

↓真の悔い改めを願っての審判

ホセア書では、神のイスラエルへの愛が多面的に語られている。


<アリスイ>という野鳥です。 今年は会えませんでした。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傷による癒し

2016-03-20 22:55:05 | 説教
今日、受難節第6主日礼拝の説教 テキストは「ヨハネによる福音書」9章31節~37節 
タイトルは「傷による癒し」でした。




  最後まで名前が明かされない「ヨハネ伝」の著者、イエスの御業の目撃者、語り部、
  主の愛する弟子と言われた証し人、それは御言葉に主を見る者であり、キリストが
  命をもって贖いだしてくれた者であります。
  そして、二千年の時空を超えて私たちもその中に含まれています。
  キリスト教の信仰って素晴らしいではないか! クリスチャンでよかった!と思いました。
  左近牧師の説教はライブで聴くと、自分が聖書の中に入り込んだ気分になり、
  一瞬、ここは何処?私は誰?という気分になりますが、これって私だけでしょうか。 


連れ合いの体調がはかばかしくなく、今年は<梅とメジロ>を
楽しむ時間がありませんでした。 昨年の写真です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。

今日は「棕櫚の主日」と呼ばれる日曜日だそうです。
説教プリントの最後に左近牧師が「棕櫚の主日」についての短い解説を
載せてくださいました。 文字が小さすぎて、天眼鏡が必要ですね~(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試練に耐える信仰

2016-03-18 13:58:24 | 今日の聖句
「ペトロの手紙一」が書かれたのは、今日の聖句のように、この手紙の読者たちが迫害に
出会っていることの暗示から、紀元後90年の迫害が行われた頃と思われるそうです。
「聖書事典」の「迫害」の項には『紀元後64年、皇帝ネロは自らが引き起こしたローマの大火の
責任をキリスト者に転嫁し、大規模なキリスト者迫害を展開した。
その後ドミティアヌス(後81-96年)、ディオクレティアヌス(後284-305年)などの治下では
キリスト者への迫害は熾烈をきわめた。』という記述があります。
「ペトロの手紙一」を受け取ったキリスト者たちはローマ皇帝ドミティアヌスの時代の
厳しい迫害の下にあったのですね。

今日の聖句は「ペトロの手紙一」4章12節~19節です。
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふるかかる火のような試練を、何か思いがけない
ことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかれば
あずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを
受けることがないようにしなさい。しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して
恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、
神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
「正しい人がやっと救われるのなら、不信人な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に
自分の魂をゆだねなさい。


心弱く怖がりの私は、今の時代の日本でクリスチャンでいられることに感謝しています。
江戸時代のキリシタンやクリスチャンを迫害していた時代のローマのクリスチャン、また、現在でも
種々な宗教が混在する中にあってクリスチャンだと表明することが難しい地域もあります。
どんな状況でも「真実であられる創造主に自分の魂をゆだねる」ことが私にはできるでしょうか。
私の信仰は試練に耐えられるでしょうか、自信ありません。
『我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ』 深刻な思いで祈ります。


梅に<メジロ>です。 梅に鶯の図は殆ど見られません。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FEBC放送の左近牧師の「旧約の預言者」の話は「第6回 アブラハム」をもって終了です。
ここをクリックして「アブラハム」の回をお聴きください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈ること

2016-03-16 17:43:17 | 祈り
祈ることが苦手な私がネットで見つけた詩(祈り)です。

  ==中国のある殉教者が残した詩==

    本当の主の働きというのは、
    命が流れ出てくるようなもの
    奉仕と言えるようなものがあれば、
    それは、キリストが生き生きと現われ出てくる、そういうものだ
    自分自身を神にささげるということは、
    神のために何かの働きをするということではない
    神様ご自身に働いていただくということ
    すべて、神様に働いていただいていないならば、
    それは、神のために働きができているとは言えない

    神様 私を、神様を愛する者にしてください
    そして、人からの感動や敬意を受けることがありませんように
    神様 私に仕えさせてください
    でも、そのために賞賛を受けてしまうことがありませんように
    神様 私に力を尽くさせてください
    でも、覚えられることがありませんように
    神様 あなたのために、苦しみを受ける者とさせてください
    でも、人に見られませんように

神様の前に謙虚にへりくだりたい、隣人に対して謙虚にへりくだりたい。
自分の行いの中に万が一、善い行い(義)があったとしても、それは
神様が私になさせたこと、誇るなんて愚かでとんでもないこと。
人からの評価を頭の隅っこにでも思い浮かべるのは傲慢なこと。
そう分かっているのだから、私もこのような祈りができるはず、ですよね。


冬木立に<モズ♂>です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「十字架」

2016-03-14 10:11:25 | 説教
昨日(3月13日)受難節第5主日の説教
テキストは「ヨハネによる福音書」19章16節b~30節  タイトルは「十字架」でした。



  
主の御苦しみを思い受難節を過ごしています。
十字架の上から私たちに注がれる主の眼差し、すべてを御覧になっている父なる神の眼差し。
受難節を静かに過ごし、復活のキリストを喜びを持って迎えたいと思います。


美竹教会では、10時半からの礼拝に教会学校の子ども達も参加し、左近牧師の
成人向け説教に先立って、教会学校の先生方が話される子供向けの説教を聞きます。
(その後、子ども達は集会室で分級です。)
昨日はH長老が十字架について子供たちに易しく話されました。
ブラジル、リオデジャネイロに立つコルコバードの十字架のレプリカを見せて
両手を広げて十字架に付けられたイエス様はいつも私たちを招いて受け入れて
下さっています。このことを覚えて今週も過ごしましょう、と話されました。
レプリカを使って子供たちの興味を引き、こんな風に易しくイエス様の招きを
話される・・・・・今日のH長老もそうですが、CS説教をなさる先生方の
お話を、私はいつも感心してお聴きしています。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反抗する民、憤る神

2016-03-12 09:54:49 | 聖書
「民数記」を25章まで読んで気づいたのですが、エジプトから逃げてきた民は、本当に何度も何度も
モーセや神に逆らいます。モーセに対する反抗は神に対する反抗です。
神はそんな民に憤り罰を与えます。
モーセは時には民への怒りに囚われますが、常に神に執り成しの祈りをして民をかばいます。

11章1節~2節
民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して
燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした。
民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は鎮まった。


11章4節~6節
民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。
「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていた師、きゅうりやメロン、
葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回しても
マナばかりで、何もない。」


14章1節~3節
共同体全体は声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。イスラエルの人々は一斉にモーセと
アロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、
この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そう
とされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」


16章1節~4節
さて、レビの子ケハトの孫でイツハルの子であるコラは、ルベンの孫でエリアブの子であるダタンと
アビラム、およびペレトの子であるオンと組み、集会の招集者である共同体の指導者二百五十名の
名のあるイスラエルの人々を仲間に引き入れ、モーセに反逆した。
彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った。「あなたたちは分を超えている。
共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは
主の会衆の上に立とうとするのか。」モーセはこれを聞くと面を伏せた。


神は民のこの行為に憤り・・・・・・

32節~33節
地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。
彼らと彼らに属する者はすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。
彼らはそうして、会衆の間から滅び去った。


イスラエルの人々の共同体はこの出来事についてモーセとアロンに不平を言います。
これを聞いて主はこの共同体を直ちに滅ぼす、とモーセに告げました。
モーセはアロンに「彼らの罪を贖う儀式を行うよう」に言い、既に疫病が広がり始めた
民の中に行き、民のために罪を贖う儀式を行うと災害は収まりました。神に逆らい、
モーセに不平不満を言い募る民と神の間に立って、モーセはいつも執り成しの祈りをします。

20章1節~
イスラエルの人々、その共同体全体は第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに
滞在した。さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセと
アロンに逆らった。民はモーセに抗弁して言った。「同朋が主の御前で死んだとき、我々も一緒に
死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆をひきいれたのです。・・・・」


主はモーセに「彼らの目の前の岩に向かって水を出せと命じなさい」といわれ、そこで
モーセは岩を二度打って、水を出しました。
有名な?メリバの水のシーンです。モーセとアロンはここで神の不興を買いヨルダン川を渡れない
事になったのです。 これについては、また別の記事として載せたいです。

21章4節~5節
彼らはホル山を旅だし、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って言った。しかし、民は途中で
耐えきれなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。
荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」


民が不平不満を言う部分の聖句を書き出しましたが、背景には其々の事情があるわけで、私などは
民の気持ちも分からなくないような・・・・気になったりします。
民数記は最初の部分(や途中にも)様々な規則や規定がワラワラと書かれているのですが、
真ん中部分にはエジプトからヨルダン川の岸辺に至るまで荒れ野で過ごした40年間のイスラエルの民
の出来事が書かれています。
その中にこのような民の不平不満や、神やモーセ、アロンへの反抗が出てきます。


公園の山茱萸(さんしゅゆ)はもう咲いているでしょうか。
少しずつ体力の落ちている連れ合いは散歩にでることもなくなりました。
いつも一緒に公園を歩いていた私は運動不足で体重増加中、困ります。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖書の学び Ⅴー4 」

2016-03-09 15:59:41 | 「聖書を学ぶ会」

ダビデの統一からソロモンの統治、その後の南北王国への分裂については
「列王記上」12章を読む。

南王国の首都エルサレム、北王国の首都サマリヤ

預言者の名前を冠した預言書の中で一番古いと考えられている。
預言書を学ぶ人はまず最初に「アモス書」を読み学ぶ。
アモスが纏めたものでは無く、アモスの話を弟子たちが纏めたと言われて
いるが、文学的に見事に編集されている。
1,2章の諸国に対する審判の、国の並べ方にもそれが現れている。
ユダ、イスラエルが七番目に来ているが、それまでの語りで聴く者の気持ちを
惹きつけ期待を持たせて、つぶしにかかる。
9章7節はアモスの預言の真髄とも言える。
神は『クシュの人々をエチオピアから、ペリシテ人をカフトルから、アラム人を
キルから導き上った』と言って、イスラエルの選民意識に水を差している。(神学相対主義?)
神の前では皆、相対化されている。 神の前に立つ時の私たちの立ち位置。(大木先生:新しい共同体?)

アモスは素朴な羊飼いではなく、統治能力のある、商いに長けた人だったと言われる。
ユダの王、ウジヤの治世は長く続いていたし、
イスラエルの王、ヤロブアム二世は悪い王様として描かれているが
この世的には優れた王だったと考えられ、経済は安定していた。
しかし、格差が顕著になり、債務奴隷が現れたりした。
この当時、南北あわせるとダビデ王朝に匹敵する領土を持っていた。


1:2 主はシオンから吠えたけり エルサレムから声をとどろかされる。
3:8 獅子がほえる 誰が恐れずにいられよう。 主なる神が語られる 誰が預言せずにいられよう。

旧約聖書が好きな私はワクワクしながらお話を聞きます。
最後のライオン、可愛いですね~
次回は3月20日です。
20分では短すぎて、左近先生、終わりの方はいつも駆け足です。(笑)

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする