ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「ヘブライ人への手紙」第2章

2018-01-31 17:19:15 | 今日の聖句
02:01だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。
02:02もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、
02:03ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。
この救いは、が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、
02:04更にもまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。
02:05は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。
02:06ある個所で、次のようにはっきり証しされています。「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、
あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。 02:07あなた天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、
栄光と栄誉の冠を授け、 02:08すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものに従わせられた」
と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、
すべてのものこの方に従っている様子を見ていません。 02:09ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」
イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。の恵みによって、すべての人のために
死んでくださったのです。 02:10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを
通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。
02:11事実、を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。
それで、イエス彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、 02:12「わたしは、あなたの名をわたし兄弟たちに知らせ、
集会の中であなたを賛美します」と言い、 02:13また、「わたしに信頼します」と言い、更にまた、「ここに、わたしと、
わたしに与えてくださった子らがいます」と言われます。
02:14ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、
死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 02:15死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たち
解放なさるためでした。 02:16確かに、イエス天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
02:17それで、イエスは、の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、の罪を償うために、すべての点で
兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 02:18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を
受けている人たちを助けることがおできになるのです

「ヘブライ人への手紙」2章はサラッと読んだのでは、ほとんど理解できませんでした。
神、主、イエス、天使たち、悪魔などは別にしても、たくさんの人称(?)が出てきます。
人称を太字にしてみると少し分かりやすくなったような・・・・・・σ(^_^?
旧約聖書は歴史的、出来事の記述が多くて比較的分かりやすいし、福音書もイエス様の生涯を描いていて、
比喩や説教的な部分はともかく比較的分かりやすいです。
パウロの手紙は難しい部分がたくさんあります。
ヨハネ黙示録は私の想像力では追い付かないくらい飛躍していてイメージが湧きません。
いずれにせよ聖書は何度読んでも飽きることは無く、このような言い方は不謹慎ですが(私の)
手に余ります。 そして、だからカナ? とてもとても面白いです。

ネットにあった新共同訳「聖書」の「ヘブライ人への手紙」全文から、コピーさせていただきました。 <(_ _)>

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公園の<ツグミ>です。 愛称<ツグミン>です。 (^-^)
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「破格な神」 あなたはいかなる像も造ってはならない

2018-01-27 17:57:27 | 説教 十戒
1月21日(日)主日礼拝説教
テキストは「出エジプト記」20章4節~6節 「コリントの信徒への手紙二」6章14節~16節
タイトルは「破格な神」あなたはいかなる像も造ってはならない




『刻まれるものは目に見える形だけでなく、つい頭の中で、心のどこかで、魂において神様たるもの
こうあるはず、いやこうあるべきだとイメージを勝手に作り上げてしまっていることはないだろうか、
と問われるのです。祈る時、そして礼拝のただ中で、私たちの願いや願望や要求に沿って固定された
イメージの中に、神を押し込め、閉じ込めてはいないだろうか、と。(中略)私たちの都合に合わせて
神のあり方を論じたり、神の業を値踏みするような傲慢に陥っていないだろうか、自らのイメージの
神がいつしかイマジネーションの中で形作られて怒ったり、慰めたり、聖書の言葉とは関係なく、
限られた範囲の中に封じ込まれていないだろうか、と。』

ブログにも何回か書きましたが、二十歳前に受洗した私はその後、十年くらいして教会を離れ
40年近く「放蕩息子」状態でした。還暦過ぎて数年後、家族問題で苦しんでいた私に神様に
立ち返るように勧めてくれたのは二番目の姉でした。
その有難くも大切な姉に対して・・・・私が「放蕩息子」状態だった頃のことです。

姉との会話で、姉が「こんなに嬉しいことは神様の御心、本当に有難いわ」というようなことを
言ったことがあります。傲慢で生意気だった私はすぐ言葉尻を捉えて「神様の御心が分かるって、
お姉さんってすごいね~!」と言い放ちました。
その後、姉から便箋五枚以上の長い長い手紙をもらいました。
姉が手紙に何を書いてくれたのか今となっては記憶に残っていません。また、姉が神様の
イメージを勝手に作り上げていたかどうか、そんな難しいことを私が感知していたということは
決してありません。
優しかった姉と生意気で傲慢な妹の私、左近牧師の説教をお聞きしながら懐かしく思い出しました。
姉は数年前に亡くなりました。もっと早く私が神様に立ち返って、姉と神様について、教会について、
礼拝についてたくさん話し合いたかった。後悔先に立たず、心が涙で濡れます。

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公園の<翡翠> 背景のボケが綺麗でした。
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「天使」って?

2018-01-26 12:44:59 | 聖書
「ヘブライ人への手紙」を2章まで読みました。私には何となく読みにくく難しい文章です。
第1章4節 「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を
受け継がれたからです」という文章もよく理解できません。
「天使」って何だったっけ? という感じで、お恥ずかしい。
「聖書事典」の天使の項を読みました。
後日、アップできたら書いてみますが、第2章はさらに私にとっては分かり難い文章です。
毎日聖書を読んでいても、知識もなく、頼るのは「聖書事典」のみでダラダラ読んでいると、
分かりやすく耳障りの良い(自分に都合の良い)文章だけが浮き上がってきて、その他の
大部分を読み飛ばしているようです。
素人の聖書読みはそんな感じで仕方無いのでしょうか?

「聖書事典」より************************
ヘブライ語でもギリシア語でも、天使と訳されている語は「使者」を意味する。
人間よりもいくぶん地位が高く、天において神に仕える超自然的で霊的な人格的存在。
被造物なので礼拝の対象とされてはならない。
人間のような聖別を持たず、結婚することは無い。
神の使いは人間の形をとってアブラハム、モーセ、ヨシュアに現れ、またエリヤや
ダニエルにも現れた。
イエスの生涯において特に明らかで、イエスと先駆者ヨハネの誕生を告げ、
羊飼いたちにイエスの到来を告げ、荒れ野の誘惑に勝利を得られたイエスに仕え、
イエスの復活と昇天の知らせを弟子たちにもたらした。
天使は神自身の現れとして、神と共に、また神を区別されたものとして現れる。
自由意思を持つ人格的な存在なので、御使いの中には堕落した者もいる。
特別の名を持つ者もあり、ミカエルは戦いに関して現れ、ガブリエルは告知などに現れる。
エデンの園の入口のケルビムやイザヤが幻に見たセラフィムも天使であろう。
**************************************
解説を読むと「そうそう」と、旧約聖書の場面も新約聖書の場面も思い出されました。
よかった~ (^-^)

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猛禽から逃れ、枝に固まって難を避ける<アオゲラ>です。
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「絞られた照準」 わたしをおいてほかに神があってはならない

2018-01-17 21:28:38 | 説教 十戒
2018年1月14日 主日礼拝説教
タイトルは「絞られた照準」 わたしをおいてほかに神があってはならない
テキストは「出エジプト記」20章3節、 「マタイによる福音書」4章8節~10節 でした。





私は久保田早紀さんも、彼女のヒット曲の「異邦人」も存じ上げなかったのですが、
嬉しいことに、NHKの番組を YouTube で見ることができました
久保田早紀さんが失意の中で訪れた教会の牧師さんの言葉「大海に浮かぶ小舟一艘、
あくまで自分を主人として乗り越えてゆくか、イエスキリストを主と仰ぎつつ
ナビゲートされてこぎ続けるか?」は、私の信仰の原点はここにある、と思える
言葉でした。
本当に独りぼっちだと思う時、私は「主、我と共に在り」という信仰にすがって
生きていることに気づきます。神様が私と共にいてくださらなかったら私は何を
頼りに生きて行けるのでしょう。神様が共にいたくださると信じる時、私には
怖れるものは無い(ハズ・・・・です、はぁ~、信仰弱き私をお許しください。)
「わたしをおいてほかに神はないでしょう?」という神様に導かれ、具体的には
聖書のみ言葉に頼りながら生きて行く毎日。
時には空しい思いや投げやりな気持ちに堕ち込むこともありますが、御許に
召される日まで祈りつつ大切に丁寧に生きて行けますよう、神様に願っています。

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公園の<モズ(雌)>です。
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通俗的市民倫理?

2018-01-13 12:26:00 | 今日の聖句
「テモテへの手紙一 二」読み終わりました。
『この二つの手紙はテトスへの手紙とともに「牧会書簡」とよばれ、真正なパウロ書簡からは区別される。
二つの書簡の伝えようとする主題は同一で「健全な教え」「健全な言葉」で、その内容は「信心」「品格」
「貞淑」のような美徳である。これは当時のヘレニズム世界の価値観と重なり合う。
監督・長老・奉仕者とよばれる教団の役職者に対しては、この種の条件が求められ、また信徒たちに対しては、
男性・女性・やもめ・奴隷など社会的立場に応じて、類似した道徳が適用されていく。
このような道徳の実践は、基本的には模倣を通して可能になると考えられている。
しかしここで模倣の連鎖を通して伝えられる内容は、所詮、通俗的市民倫理を超えるものではない。』
「新共同訳 聖書事典」より

今日の聖句は「テモテへの手紙 一」 2章8節~15節 です。
だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手をあげてどこででも祈ることです。同じように、
婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を
身に着けたりしてはなりません。むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです。
婦人は静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。
むしろ、静かにしているべきです。なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。
しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。
しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。


教文館で聖書を買った友人、聖書の音読を始めたけれどまだ「マタイによる福音書」をさまよっています。
彼女はイエスの「女よ」という言葉にすら怒っていました。
この聖句を読んだら何と言うか(笑)
あ~あ、彼女、早くここまで読み進まないかな~ 楽しみです。 (^-^)
「それでも私は神様から、キリストから離れられないのよ」と伝えたいです。

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公園でエナガ、コゲラ、メジロ、シジュウカラの混群に遭遇。
可愛い<エナガ>が撮れました。
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「聖化の道筋」

2018-01-07 20:54:16 | 説教 十戒
ブログを見てくださっている皆様、新年おめでとうございます。
暮れから正月にかけて、独り暮らしの寡婦を訪ねてくださる方も何人かいらしたりして
何かと忙しくすっかり更新をさぼってしまいました。
後期高齢者の私はトボトボとマイペースではありますが、神様のみ言葉を少しでも
証しできますよう、今年もブログを続けて行きたいと願っています。
今日は、何と! このブログを始めてから2000日目でした。
まあ、だからどうということはないのですが・・・・・
時々でも覗いてくださると嬉しいです、今年もどうぞよろしくお願い致します。

今日は今年最初の主日礼拝でした。
礼拝説教のテキストは「出エジプト記」20章1節~17節
タイトルは「聖化の道筋」でした。





格調高い左近牧師の説教でしたが私には難しく、ライブでお聴きしていて途中でよく
分からなくなってしまいました。家に戻っていただいたプリントを読み直しました。
それでもちょっと難しい・・・・・年齢と共に衰える理解力、悲しいです。
これまでもそれほど分かっていなかったりして (・・;)
それにしても「十戒」の言葉の前にあるみ言葉に大きな意味が込められているとは
またまた「目から鱗」でした。 聖書は本当に深いです。
そして左近牧師の説教は本当にワクワクと心躍り、深く充たされます。
ルターが宗教改革において「聖書のみ」と謳った重さもよくわかります。

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お正月の公園の<ウグイス>サービス満点で、ほとんど手乗り状態でした。
とはいうもののチョコチョコ動き回るウグイスを撮るのは結構大変でした。
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