ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌 56番

2013-04-30 20:40:04 | 讃美歌
1) 七日の旅路 やすけく過ぎて
   み前につどい かしこみあおぐ
   今日こそあめ(天)の 休みのしるし

2) あがない主に 依りて祈れば
   み慈(いつく)しみの み顔をむけて
   罪とが赦し やすきをたまえ

3) 清きこの日に み声きかせて
   さまよう者を 導きかえし
   従う民を なぐさめたまえ

4) たかき恵みを 歌うわれらと
   ともにいまして 栄をしめし
   あまつ宴(うたげ)に つかしめたまえ

この詩を書いた John Newton は有名な「アメイジング・グレイス」を作詞した人です。
有名な詩人が書いた讃美歌56番の元詩はどのようなものか、
今日は作詞者が作った英語の詩を載せますね。


1  Safely through another week God has brought us on our way;
   Let us now a blessing seek, Waiting in His courts today;
   Day of all the week the best, Emblem of eternal rest:
   Day of all the week the best, Emblem of eternal rest.

2  While we seek supplies of grace, Thro’ the dear Redeemer’s name,
   Show Thy reconciling face; Take away the sin and shame:
   From our worldly cares set free, May we rest this day in Thee:
   From our worldly cares set free, May we rest this day in Thee.

3  When the more shall bid us rise, May we feel Thy presence near;
   May Thy glory meet our eyes, While we in Thy house appear:
   Here afford us, Lord, a taste Of our everlasting feast:
   Here afford us, Lord, a taste Of our everlasting feast.

4  May the gospel’s joyful sound Conquer sinners, comfort saints;
   Make the fruits of grace abound, Bring relief to all complaints:
   Thus may all our Sabbaths be, Till we we rise to reign with Thee.
   Thus may all our Sabbaths be, Till we we rise to reign with Thee.


ジョン・ニュートンは1725年イギリスに生まれた。
母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。
成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに
黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。
イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。
今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。
ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。
また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。
のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。

1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。
そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、
それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
この曲のほかにも、彼はいくつかの讃美歌を遺している。・・・・・・・・・・以上はネットからのコピペです。 m(_ _)m


明日は「アメイジング・グレイス」の詩を載せます。



新緑の公園で巣穴を掘る<コゲラ> これから抱卵、子育てです。


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教会に通っていても、心空しく孤独や不安を感じる時もあります。
それでもなお、主に依り頼み祈る生活は私に平安を与えてくれます。
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青年伝道礼拝

2013-04-29 23:09:33 | 美竹教会
5月19日の「青年伝道礼拝」のビラと葉書ができました。



早速友人知人に葉書を送らせていただこうと思います。
教会やキリスト教のことを知っていただくため、宣教のため、とは思うものの、
受け取った方の気持ちの負担にならないだろうか、などとひよってしまう自分が情けないです。

それにしても、ビラと葉書、もう少し早くできなかったのでしょうかね~ ヒソヒソ話です。 (^-^)


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教会総会でした。

2013-04-28 22:35:50 | 美竹教会
今日は礼拝の後、教会総会があり、今年度の教会展望として「祈る教会」となる歩みをすること。 
また一人一人が教会形成の「主人公」としての自覚を持つこと、が決まりました。
そして、教会の中心に、私たちの中心に立たれている主を仰ぎ見ながら、教会はどのような
伝道活動をしていけるのか等も話されました。

私も(教会員として迎えられて日は浅いのですが)未だキリスト教の事を知らない方や、孤独に苦しみ、
悩んでいる方などが神様による平安に与れますように、何かしなくては、といろいろ考えてきました。

年齢相応に脚力も体力も衰えて活動のスピードは落ち、行動範囲は狭まって、非力な自分が歯がゆく、
一人の教会員としてどのように神様のことを証ししてゆけば良いのか、中々良いアイディアは浮かびません。
さらに個人的なことですが、私は病気の家族に付き合わねばならず、教会や伝道に割ける時間が限られています。

そんななかで、家を離れずに神様の事を伝えられる方法として、ブログを書くことを思いつきました。
浅学菲才の哀れさ! 内容の薄い、とっ散らかったブログになって残念であり、申し訳ないことであります。
しかし、こんな欠点だらけの人間でもキリスト教の神様によって平安を与えられて過ごしている、
ということを知っていただけたら望外の幸せと思って、書き続けています。

一人でも多くの方が教会に集い、神様によって真の平安を得られますように!と神に祈り続けること、
望みを持って願い続けることはなによりも大切なことだと思います。
美竹教会の今年一年が全教会員の祈りに支えられ、神様の恵みに満ちた一年になりますように! 
私も祈り続けたいと思います。

それと同時に、小さなこと(ビラまき?)でも、大きなこと(ローマ法王に来ていただく?)でも、
皆でアイディアを出し合って知恵を絞って伝道方法を探って行くことも必要だと思います。
う~ん、良いアイディア、浮かんで来い!!  やっぱり祈りでしょうかね~


伝道について考える時、私はいつも曽野綾子さんの短編「二月三十日」を思い浮かべます。

1855年12月に西アフリカの小さな村に宣教に入った神父様の日記の形をとって書かれた小説で、
七人の神父が、先住民の誤解や破傷風やマラリヤでわずか八十日で全員死んでしまうという話です。
二月三十日という何処にもない日付だけを書いたところで日記は終っています。
船からの荷を運び、小屋を建て、先住民を刺激しないように静かに宣教の時を待っている間に、
七人もいた神父は皆死んでしまったのです。  何も成し得ずに、です。

読み終わった時には思わず背筋が伸びて息が少し詰まってしまいました。
それでも神の御旨は宣べ伝えられる・・・・・・・のでしょう。





山吹を背景に<翡翠(♂)>です。



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慰め主、イエス様の御言葉をご一緒にお聴きいたしましょう! 
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「敵の攻撃」

2013-04-27 14:54:50 | 今日の聖句
今日の聖句は「イザヤ書」10章27節b~32節 です。

彼らはリンモンの前から上って アヤトに着き、ミグロンを過ぎて
ミクマスに軍需品を配置した。
彼らは峠を越え、ゲバに露営した。
ラマは震え、サウルのギブアは逃げ去った。
娘ガリムは叫び声をあげよ。
ライシャは耳を傾け、アナトトは彼女に答えよ。
マドメナは逃げて行き、ゲビムの住民は避難した。
更に今日、彼らはノブに立ち 娘シオンの山、エルサレムの丘に向かって
進軍の手を振り上げる。



『シリア・エフライム戦争に関する預言で興味深いのは10章27節b~32節の断片的な言葉である。
これはエルサレムを攻撃しようとするエフライム軍が、ベテルからミツパを経てラマに至る本道の防衛が固いのを知って、
リンモン、ミクマス、ゲバを経てラマにいたる間道を選んで接近するさまを描いている。
これは地理に詳しい同族の北イスラエルの攻撃でなければ、考えられないことであった。』・・・・・木田献一著「旧約聖書の概説」より

聖書のこういう地名に関する件(くだり)に、私は何故か、とても惹かれます。
上の聖句の地名を聖書事典で調べ、またネットで検索もしてみましたがヒットしない地名もありました。
記述の視点がバラバラで、脈絡のない記述ですが、分かった範囲でその要約を載せてみます。

旧約聖書の地名を調べてパレスチナやその近辺の地図を作ったら面白そうですよね~
ひょっとしてそういう地図はもうあるのかも知れません。
点でしかない私の頭の中の地名が線になり、面になることは・・・・・まあ永久に来ないでしょう。 (^^;)

******************************************************
リンモン

アヤト ベテルの東南約3㎞の所にあったカナン人の重要な町。
    ヨシュアによって廃墟とされたが、イザヤの時代に再建され、バビロン捕囚後、帰還民が住んだ。

ミグロン アイの南、ミクマスの北にあったベニヤミンの村。 現在、イスラエル人の無許可入植地があるようです。

ミクマス 海抜約600㍍,エルサレムの北北東約11㌔の丘の上にある、現代のムクマスと同定されている場所。
     西暦前537年にイスラエル人がバビロンでの流刑から帰還した後は,ベニヤミン人が再びミクマス
    (ミクマシュ)に住んだようです

ゲバ エルサレムの北東9㎞、ミクマスの西南3㎞、今日のジェバと同定される。ベニヤミン族の嗣業の土地で、
   アロン(モーセの兄?)の子孫に与えられた町。

ラマ ベニヤミンの町、ギブア、ゲバ、ベテルから遠くない。ユダの王がバビロンへ捕囚として連れ去られる時ここへ集合した。
   エルサレムの北9㎞の今のエル・ラームに当たる。

サウルのギブア 旧約聖書に登場するベニヤミン族の町の名前である。日本語で「丘」を意味するヘブライ語の地名である。
        エルサレムの北5kmにあり、海抜840mの位置にある。
        士師の時代ユダの地からエフライムの地に行く公道に面していた戦略上重要な町である。 
        ギブアはサウル王の出身地であり、それ以降王国の首都としての役割を果たした。

ガリム エルサレムの北方にあったベニヤミン領の町。 「娘ガリム」とはその住民を指しているのであろう。

ライシャ エルサレムの北方アナトトとの中間にある町

アナトト エレミヤの父はアナトトの祭司ヒルキヤ。アナトトはベニヤミン族の地にあった祭司たちの町であった。
     このことからエレミヤの家系は、ダビデ王の死去後に対立後継者アドニヤをたてたことを理由にソロモン王から
     祭司を罷免させられ、アナトトに追放された祭司アビアタルにつながるものであると思われる。

マドメナ

ゲビム

ノブ アビアタルに関する記事:アビアタルはノブの町の祭司アヒメレクの息子。
   イスラエル王サウルの家臣ドエグがノブの祭司たち85人を殺したとき、
   奇跡的に難を逃れるとダビデのもとに走り、それ以降は祭司として忠実にダビデに仕え続けた
   生真面目な男である。
   ノブの祭司たちが殺されたことに関しては、ダビデ自身が自分に責任があると感じていたので、
   ダビデの方でもアビアタルを拒否することはなく、ずっと自分のもとに留まるようにといって温かく迎え入れた。

シオン イスラエルのエルサレム地方の歴史的地名。ダビデの支配下に入ったエブス人の町として登場する地名だが、
    神殿の丘の別名となり、のちにエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体への形容詞ともなった。
    シオンの丘というものも存在し、シオニズムの語源となった地名である
************************************************************************************





公園の花壇から<ビオラ>



明日は主日礼拝、午前10時半からです。
美竹教会のホームページに地図も載っています。 どうぞおいでください。
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「平和の主の預言」

2013-04-26 12:55:37 | 今日の聖句
今日の聖句は「イザヤ書」8章23節b~9章6節 です。

先に
ゼブルンの地*1) ナフタリの地*2)は辱めを受けたが
後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける

闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと 大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。
刈入れの時を祝うように 戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛(くびき)、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。
地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく
火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父。平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威はまし 平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げられる。


    ゼブルンの地*1) ゼブルンの子孫の部族と領域、ゼブルンはヤコブの10番目の子。
    ナフタリの地*2) ナフタリ族、およびその領土。
    イザヤはこの地域の回復を予言したが、マタイはこの予言がイエスの
    ガリラヤ伝道によって成就したとしている。

現実の王に対する批判として語られた「未来から来るメシア的王」を指し示しています。

イエスが生まれ成人し、神の教えを語り始めた時、民衆は子の人こそ旧約で預言されているメシア、
わたし達をローマの圧政から、日々の苦しみから救い出して下さる、と信じました。
しかしイエスは武力によってほかの国を攻めたり、王や為政者を責めたりはしませんでした。
イエスの語られる神の国、イエスの教えを信頼できなかったユダヤの民衆はイエスを
十字架にかけました。





公園の<ドウダンつつじ>が可愛い花をつけています。


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東京、渋谷駅から徒歩7分、美竹教会教はあなたを待っています。 (^-^)
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イザヤのメシア預言

2013-04-25 14:02:06 | 今日の聖句
「イザヤ書」7章13節~14節

ダビデの家よ聞け。 
あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず 
わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
それゆえ、私の主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。


アハズがユダ王国の王であった時代(前744-729)アッシリアの勢力に対抗しようと、シリアと
イスラエルが反アッシリア同盟を結びました。
この同盟にユダも引き入れようとしましたが(前733)アハズがこれを拒絶したため、同盟軍は
エルサレムに攻めてきました。

イザヤはその時の様子を「王の心も民の心も森の木々が風に揺れ動くように動揺した」と記しています。

アハズ王は「主に信頼して落ち着いて静かにしているように。恐れることはない」というイザヤの勧告に従わず、
エルサレムの神殿と宮殿から莫大な財宝をアッシリアに贈って救助を求めました。 
アッシリアは援軍を送ってシリアとイスラエルを攻めてくれたのでユダはかろうじて危機を免れました。 
しかしこのことは、ユダ王国がアッシリアの属国にされたことを意味すします。
アッシリアはユダに朝貢を求めただけでなく、アッシリアの神を受容することも求めました。 
アハズはアッシリアの王、ティグラト・ピレセルに挨拶をするためダマスコに行った際、
アッシリアの神の祭壇の図面を作り、同じものをエルサレムの神殿の中に作ったのです。

そのような政策を取ったアハズに対して失望したイザヤは「インマヌエル」と呼ばれる幼子に期待を持ちました。


上の聖句はイザヤ書の中に三つある「イザヤのメシア預言」の一つです。
新約聖書の時代、イエスをメシアと仰ぐ民衆は、イエスこそイザヤの予言したインマヌエルであると思いました。

インマヌエルとは「神われらと共にいます」という意味です。




<キビタキ(♂)>
冬の間はフィリピンやボルネオなど東南アジアの温かい地域で過ごし、
夏鳥として日本に来て、山間部で営巣し雛を育てます。
南から日本の山への渡りの途中に都市公園で一休みするようです。


「重荷を負う者はわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
あなたも主にあっての平安に共に与かりましょう!
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「あなたは何処にいるのか」

2013-04-24 21:05:51 | 「先週の講壇より」
4月14日の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。


     

私の、この時の説教の要約です、上手くまとめられず、お説教なさる方に申し訳ない!です。 m(_ _)m
お時間のある方は、どうぞ美竹教会ホームページの「9 説教」で全文をお読みくださいませ。





今日の野鳥は<アオジ>です。
この鳥も雛を育てるために、そろそろ山に戻ります。



美竹教会のホームページです。
人生に苦しむとき、悩むとき、主はいつも何処でもあなた(わたし)と共にいてくださいます。
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讃美歌 294番

2013-04-23 21:02:23 | 讃美歌
1) みめぐみゆたけき 主の手にひかれて
  この世の旅路を あゆむぞうれしき

 (おりかえし)
     たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ
     みあとをゆくこそ こよなきさちなれ

2) さびしき野べにも にぎわう里にも
   主ともにいまして われをぞみちびく

3) けわしき山路も おぐらき谷間も
   主の手にすがりて やすけく過ぎまし

4) 世の旅はてなば 死のかわなみをも
   恐れず超えゆかん みたすけたのみて


これはアメリカで最も有名な讃美歌の一つだそうです。
日本の讃美歌集では「信頼」に項に入っています。

作詞者 Joseph Henry Gilmore (1834-1918) はボストン生まれで、ブラウン大学とニュートン神学校を卒業し
バプテスト派の牧師となりました。

↓ この歌詞を作った経緯についての彼自身の告白です。
「フィラデルフィアのバプテスト教会で「詩編」23編の注解をした時のこと。何回も注解をしている箇所だが、
この時は “He Leadeth Me” の言葉のところで、主の導きへの感謝の思いが募ってそれ以上進めなくなってしまった。 
当時は南北戦争の最中ですべては全くの暗闇の中にあった。
しかしこの時、神の導きを信じ、神が導いて下さっている限りは、どのように導いてくださっているか、あるいは
何処に導いてくださっているかは問題でない、ということを実感した。 
集会の後、自分の確信、思いを原稿の余白に書き込んでおいた。
数年後、説教のために出かけたロチェスターの教会で自分の作った詩が William B. Bradbury の作曲で
歌われていることを知った。 妻が原稿の余白に書いた詩をボストンの出版社に送っていたのだった。」


詩編23編は “主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。 
主われを緑の野にふさせ、いこいの汀(みぎわ)にともないたもう。” で始まる有名な詩編です。


作曲者 William Batcheler Bradbury (1816-1868) は若くして音楽の才に恵まれ、
バプテスト教会のオルガニストを勤めながらヨーロッパに留学。
帰国後は歌唱の指導、歌唱教師の指導、歌曲集の出版などに尽力しました。
この歌がロチェスターのバプテスト教会で、1000人の少年少女合唱団によって歌われた時、あまりの素晴らしさに、
当時 Public School で全く無視されていた音楽教育の必要性が認識され始めたそうです。
Bradbury の曲はほとんどが簡単で旋律が美しいため、今なお米国人の間で愛唱されていると言うことです。


(讃美歌の解説はネットで調べて載せています。
 出典のわかるものは載せていますが、今回は参考にさせていただいた元が分かりませんでした。
 使わせていただいてありがとうございます。 m(_ _)m )




つつじの花に止まった<アゲハ>蝶です。
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「兄弟殺し」 カインとアベル

2013-04-22 22:20:00 | 説教
4月21日の礼拝説教 テキストは「創世記」4章1節~9節と「ヘブライ信徒への手紙」12章22節~24節 でした。

「創世記」4章1節~9節
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み「わたしは主によって男子を得た」と言った。
彼女はまたその弟アベルを産んだ。 アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 時を経て、カインは
土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた。主はアベルとその
献げ物に目を留められたが、カインとその献げものには目を留められなかった。
 カインは激しく怒って顔を伏せた。
主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。
正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
主はカインに言われた。「お前の弟アベルはどこにいるのか。」
カインは答えた。「知りません。私は弟の番人でしょうか。」


礼拝で読まれた「創世記」のテキストはここまででしたが、説教ではもう少し先の方まで話されました。

10節~14節
主は言われた。「何ということをしたのか。 お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。
お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産みだすことはない。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日あなたがわたしをこの土地から追放なさり、私が御顔から隠されて、
地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」

15節b
主はカインに出会う者が誰も彼を撃つことのないように、カインにしるしをつけられた。
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

26節
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代の事である。

そして 「ヘブライ信徒への手紙」 12章22節~24節 です。
しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、
そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。


聖書の言葉がだいぶ長くなってしまいました。 m(_ _)m

創世記は1章2章の天地創造に続いて、3章はアダムとイブの犯した罪、4章は兄弟殺しの罪と、二つ続けて罪の話です。
人間は罪を犯す者であり、その事を真剣に考えない限り本当の生活は送れません。

何故カインはアベルを殺さなくではならなかったのか、何故神はカインの献げ物に目を留められなかったのかは創世記の記事では
分かりませんが、後の「ヘブライ信徒への手紙」にその事が述べられています。
カインに殺されたアベルの血よりも、地球に注がれたイエスの血はずっと尊い、大事なことは神の恵みの力は罪にまさって大きなものである、
ということが明らかにされるためだったのです。

わたし達はカイン的人間(カインの末裔)ですから、カインの弟に対する怒り、神に対する怒りは当然のようでよくわかります。
他人を妬み自分を憐れむ気持ち、カイン的人間の要素はどんな人も持っています。
聖書のこの箇所にはカインが悪人ともアベルが善人とも書かれていないし、献げ物に上下があったとも書かれていません。 
聖書はそのことについては全く触れていませんが、ただ私たちは罪を犯す人間であることを言いたかったのです。

6節の神の言葉は原文では命令口調でなく、神のカインへの慈愛の言葉、カインに殺人を犯させないように、
罪の力に負けないように警告するニュアンスの言葉となっています。

ここで、財産、子ども、自分の健康を一瞬で奪われたヨブの事が思い起こされますが、ヨブは決して顔を伏せることなく顔を挙げ、
神の胸ぐらをつかまんばかりに神に訴え、祈り続け神とかかわり続けました。
神と語り続けたヨブと、顔を伏せて神を避け罪に身を委ねたカインとの違いが判ります。

神の「アベルは何処か」という呼びかけはカインに悔い改めの機会を与えたものでしたが、カインは「知りません」とそれを無視しました。
神を避けたのです。

そしてカインは隣人を失い、故郷を離れさすらう人となり、平安を失いました。
カインの姿は現代の私たち、神による平安を失い、争いや妬みの中にいる私たちの姿でもあります。

古代社会には人を殺した人間は見つけたら、誰が彼を殺しても構わないというルールがありましたが、神はしるしをつけて
カインを神の保護の下に置かれました。
しかし、カインはその後、新しい都市を造りましたが決して充たされず、本当の故郷のエデンには戻れませんでした。

旧約聖書の底流には罪を犯した人間が心の故郷を求める切実な憧れが語られています。
本当の羊飼いに自分を守ってほしいと言う願い、旧約聖書の中の「守り主、番人、寝ずの番、夜回り」などの言葉の中に、
真の羊飼いを慕い求める心が語り続けられています。
4章26節には人間が主のみ名を呼び始めた、と書かれています。
カインの7代後になってようやく人間は神の救い(本当の羊飼い)を求めるようになりました。

そして、その救いはイエスの降誕によって成されました。
地球に沁み込んだアベルの復讐の血は消え、イエスの贖いの血が流され、恵みの力が与えられたのです。

          (以上 文責は“ゆうゆう”にありますが、よく分からず大分誤まって理解していると思います。(^^;)


実は今日のテキストの下線部分、私の聖書には大きなはてな(?)マークがついていました。
神は何故、カインの捧げものに目を止められなかったのか、あからさまな差別を受けたら、私も怒りのあまり顔を伏せ、
いたたまれず神の前を去る、カインの怒りは人間として当然と思っていました。
何故神がそのようなことをなさったのか、全く理解できず、カインと一緒に怒っていました。 (笑)

今日の解き明かしで、ヨブが神の仕打ちを納得せず、神の胸ぐらをつかまんばかりの抗議と祈りを続けて神とかかわり続けた
ということをお聞きして「目から鱗」でした。

毎日の生活のなかで、なぜ神様はこうしてくれない、なぜこんな目に遭うのか等など、納得できないことがたくさんあります。
しかし、私たちはその時、顔を伏せるのではなく、神に問いかけ語りかけ祈り続け、神様とのかかわりを続けることが大事なのだ! 
とわかったのです。 わたしって凄い!カモ・・・・・・(^-^)
「時を得ても得なくても」神様を信頼して生きてゆくことが信仰なのですね。
実際はそう簡単にはできないし、迷うことの多いワタクシではありますが、信仰の「目から鱗」に感謝でした。




森の小さな池です。


上田先生のお説教を私は正確にようやくできてきません。m(_ _)m
美竹教会のホームページ「9 説教集」で全文をお読みください。
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青年伝道礼拝(お知らせ)

2013-04-21 21:32:52 | 美竹教会
5月19日、美竹教会では<青年伝道礼拝>がもたれます。

     


       ↓ 渋谷駅から美竹教会へのご案内
      


説教者の小泉健牧師は吉原麻衣子神学生の通っている大学の先生です。
柔和で温厚な小泉先生のご専門は「説教学」だそうですが、大学のチャペル礼拝の時の
先生のお説教は、深く心に響くもので、時に涙を拭うハンカチが必要なこともあるとか・・・・・

人生に悩んでいる若者、苦しんでいる若者、そして昔、若者だった方々、私のように大昔、
若者だった方、ぜひ小泉健牧師のお話を聞きにいらしてください。


当日は、吉原麻衣子神学生がバイオリンを演奏されます。
礼拝堂で身近にプロの生演奏を楽しめるって素敵ですよね~  (^-^)




美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
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