ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

エゼキエルの召命

2013-05-31 13:03:01 | 今日の聖句
今日の聖句は「エゼキエル書」1章1節~3節です。


第三十年の四月五日のことである。 わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、
わたしは神の顕現に接した。 それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった。
カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。



エゼキエルはツァドク家の祭司ブジの子で自分もエルサレム神殿の祭司でした。
前598年のネブカドネツァルによる第1回捕囚の時にユダの王ヨヤキンやエルサレムの上層階級と共にバビロニアに連行されました。
彼の一行はユーフラテス川下流の運河ケバル川のほとりのテル・アビブに住んでいました。

(第一回の捕囚で連行された人はエレミヤによると約3000人、「列王記」の記録によると一万人です。
いずれにしても今の私たちが考えるとそれほど大きな団体でなかったように思うのですが、当時の世界は狭いし、
人口も少なかったでしょうから、私たちの現在のスケールで、物事を測ることは意味ないでしょうね。)

エゼキエルは捕囚の第5年(前593年)にケバル川のほとりで不思議な神の幻を見て預言者として召命をうけました。
彼はエルサレム陥落までは、主に捕囚の人々にエルサレムの滅亡を預言しました。

(エレミヤはその頃、ユダの国にいてやはり、エルサレムの滅亡をユダの人々に預言していたのですね~)

エゼキエルは高度の教育を受けた知識人だったようで、彼の家には弟子たちも集まったようです。 
彼は弟子たちに神からの預言を伝えたり、編集したり、比喩を語り、歴史物語の著作もしたようです。


エルサレムがバビロニア軍によって陥落した後には、エゼキエルは神から命じられ、どのような預言をしていったか・・・・・・
興味津々、読むのが楽しみです。 (^-^)




今日の蝶は<ツバメシジミ>です。後翅の尾状突起がツバメの燕尾でしょ?
マクロレンズで覗くと燕尾を交互にすり合わせてそれは可愛らしい仕草です。
精巧で美しいシジミチョウ。 聖書に「野の百合を見よ・・・」という言葉が
ありますが「野のシジミチョウを見よ・・・・」でもよかったのに、と思います。 (^^;)


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ネットで訪ねるだけでなく、よろしかったら教会の扉を開いて、ぜひ礼拝堂にお入りください。
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(エレミヤ)哀歌

2013-05-30 12:57:48 | 聖書
新共同訳聖書ではただ「哀歌」となっていますが、昔私が使っていた聖書では「エレミヤ哀歌」でした。

「聖書事典」によると『これは著者が預言者エレミヤであると考えられていたからで、新共同訳聖書も
この伝統に基づいてエレミヤ書の後に「哀歌」を配置している。 エレミヤ著者説は長く支持者が存在したが、
今日では否定されている』そうです。

私の唯一の正統的ツール「聖書事典」から、「哀歌」についての解説を抜き書きしますね。

『エルサレムの神殿と都の破滅は、神の激しい怒りの表われと考えられたゆえに、ユダの住民は身体的苦痛に加えて
精神的な危機にも襲われた 。数回に及ぶ強制連行(バビロンへの捕囚?)によって民は引き裂かれ、指導層の
内部抗争によって社会は完全に崩壊した。

「哀歌」にはこのような歴史的破局についての「意味の問いかけ」が満ちている。
(ヘブライ語の書名「エーカー」は嘆きの言葉として発する「なにゆえ」を意味しているそうです。)
苦悩の中にある人々が心の底から神に向かって「なにゆえ」と意味を問いかける、これこそが「哀歌」の主要テーマである。
そしてこの問いかけは、今もなお、大災害や戦乱の中にある人々によって繰り返し問われているものである。』そうです。  (確かに・・・・・)


「(エレミヤ)哀歌」読み終わりました。
これから「エゼキエル書」を読みます。 
これも結構読み応えありそうです。 


ところで、↓は 「聖書事典」の「哀歌」の項からの抜書きですが、もう少し分かりやすい文章にできないものでしょうかね~ 
私は内容以前に文章が理解できません。 (T__T)

『マソラ本文は比較的よく保存されている。 しかしこのことは翻訳が容易であることを意味しない。 
シリア語約や70人訳等にマソラとは別の解釈が見られることが少ないために、ヘブライ語の意味が明瞭でない場合、
翻訳者が十分な根拠なしに読み替えを行わざるをえない事態がしばしば起こる。 
さらに哀歌のヘブライ語は、技巧的な詩文特有の難解さを示す。 各種の翻訳の間に相当の解釈の違いが見られるのは、
このためである。 新共同訳には本文批判の領域での近年の研究成果が十分に反映されている』   (^^;)
(マソラ本文(ホンモン)とはユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書のテキストをいうそうです。)

と、悪口を言った後・・・・・・・・・・
今日の写真は大好きなシジミチョウの仲間の<ウラナミアカシジミ>です。
橡の大木の上の方に止まってるのを望遠レンズでやっと撮りました。




東京の渋谷駅から徒歩7分、美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会にいらっしゃいませんか、真の心の平安が得られるかも知れません。
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讃美歌288番

2013-05-29 20:35:11 | 讃美歌
先週の礼拝で歌った讃美歌です。 気分よく元気に歌える歌です。

1) たえなる道しるべの 光よ、
   家路もさだかならぬ やみ夜に、
   さびしくさすらう身を
   導きゆかせたまえ。

2) 行く末遠く見るを 願わじ、
   主よ、わが弱き足を 守りて、
   ひとあし、またひとあし、
   道をば示したまえ。


3) あだなる世の栄えを 喜び、
   誇りておのが道を 歩みつ、
   むなしく過ぎにし日を
   わが主よ、忘れたまえ。

4) 標(しるべ)となりたまいし 光よ、
   今よりなおも野路に 山路に、
   闇夜のあけゆくまで、
   導きゆかせたまえ。

5) とこ世の朝に覚(さ)むる そのとき、
   しばしの別れをだに 嘆きし
   愛するものの笑顔、
   御国にわれを迎えん


John Henry Newman (1801-1891) は英国、ロンドンの生まれでオックスフォード内の聖メアリ教会の牧師として幾多の名説教をしました。
1845年、ローマカトリック教会の転じ、イギリスの社会に衝撃を与えました。(それまではイギリス国教会 Anglican Churchだったのでしょうか。)
詩の題名は「雲の柱 The Piller of Cloud」で、モーセがイスラエルの民を連れてエジプトより逃れ、カナンの地に向かう途中で、
イスラエルの神が「雲の柱」で行く手を先導した物語を想定したものと思われます。

作曲者 John Bacchus Dykes (1823-1876) はロンドンのテムズ河畔を散歩している時、空に美しい虹を見ましたた。 その時、彼の心に
ニューマンの詩「雲の柱」が浮かび、直ちに曲想を練って一気に作曲しましたた。 1865年8月29日の事でした。

作詞者ニューマンはこの讃美歌について「普及したのは、この曲の素晴らしさの故で、作曲したダイクス博士こそ偉大な芸術家である」と
謙虚に曲を称賛しました。 心の底から光を求める叫びを表した詩を、この曲は十分に表しています。
                                             ・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、ネットからのコピペです。 m(_ _)m




大好きなシジミ蝶の中でも特に好きな<アカシジミ>です。
日本にはシジミ蝶が50種類以上いるそうですが、私が見て撮ったのは
まだ15種類くらいです。
好きなだけ自由な時間があったら山や川、各地を巡って蝶の写真を
撮りたいと思う時があります。 (^^)


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「ためらいのない愛」

2013-05-28 21:55:19 | 「先週の講壇より」
5月19日の青年伝道礼拝の説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
この日の説教は、東京神学大学准教授の小泉健牧師によってなされました。
神さまの愛について熱く語られ、心打たれ深く感動致しました。



説教全文が美竹教会ホームページの「9 説教」に載っています。
是非お読みください!!




今日は畑の杭に止まった<ヒバリ>の雛を撮りました。
目の前に飛んでいる御馳走を見ているのカナ?
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エレミヤ書 まとめ

2013-05-27 21:00:36 | 聖書
ようやく読み終わった「エレミヤ書」の分かりやすい解説文書をネットで見つけました
佐々木明さんという牧師さんの「聖書を読むぞー(36)」の文書です。
少し長いのですが、ここに転載させていただきます。 
(佐々木先生のコメント欄に転載の許可をお願いしてありますが、もし不都合がある場合はこの記事は削除いたします。)

****************************************************************
この書物は、紀元前627年からおよそ50年にわたって、南朝ユダで活躍した預言者エレミヤの預言を記したものです。
北の強国アッシリヤがすっかり衰え、代わりにバビロンが台頭してきていました。事実、エレミヤが神の召命を受けてから2年ほどすると、
アッシリヤはバビロンとの戦いにも敗れ、もはやユダを脅かすことも出来なくなってしまいました。
そのために、弱小国ユダはつかの間の自由と独立を享受することができたのです。

しかし、その平穏も長くは続きませんでした。たちまち南のエジプトがユダ王国と周辺の部族に触手を伸ばしてきたかと思うと、
北の覇者バビロンも隙をうかがうようになって来ました。そのような不安定な中でエレミヤは、祖国の救いを預言する代わりに、
神に告げられたように滅亡を預言し続けるのです。
当然、エレミヤは「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、嫌われ、憎まれ、排斥されるようになってしまいます。
人々はエレミヤの預言を受け入れなかっただけではありません。「神は必ずユダ王国をお守りになるのだから、心配してはならない」という、
まったく反対の預言をする偽預言者たちまで現れて、人々の人気を集めだしたのです。
しかも、その偽預言者たちの言葉のとおりに、ユダ王国はいくつもの危機を乗り越えて、存続し続けたのです。

そのために、ユダの人々の罪を責め、王国の滅亡を告げるエレミヤの預言は、いく度も外れたと言われるようになり、
ついには偽預言者と断じられ、処刑されそうにさえなるのです。神の哀れみと忍耐がユダ王国の滅亡を遅らせていたために、
エレミヤは神に裏切られる形になってしまったのです。
人々は「本物の偽預言者」の安易な慰めと励ましによって、自分たちの背信の罪を軽く見過ごし、ますます堕落を加速させて行きました。
真の愛国者であったエレミヤは、自分こそ神の守りと助けを預言し、ユダの人々に「安心せよ」と語りたかったにもかかわらず、
彼らの罪を糾弾し、王国の滅亡を告げなければならなかったのです。

ユダ王国は南のエジプト、北の新興勢力のバビロン、そして東側で力を付け始めたメディヤに囲まれながら、たとえつかの間であったとしても、
偽預言者たちが預言したように平穏を楽しみながら、その実、坂道を転げ落ちるように滅亡に向かって進んで行ったのです。
神に背き、滅びに向かって転げながら、まったくそれに気づこうとしないユダ王国のために、エレミヤはしばしば涙を流しました。
彼が憂国の預言者、涙の預言者と呼ばれるのはそのためです。

紀元前605年になると、バビロンはエジプトを破り、パレスチナとその周辺をエジプトから奪って支配下に置くようになりました。
弱小国のユダはバビロンを恐れ、進んで貢物を納めて恭順のそぶりを見せるのですが、前601年にもう一度バビロンとエジプトの戦いがあって、
今度はエジプトが勝ってバビロンの王ネブカデネザルは負傷して一時帰国しました。
すると、ユダ王国の人々は王も民もエレミヤの度重なる警告に反して、エジプトに多大の期待を寄せるようになっていき、彼らは、
エジプトの支援を信じてバビロンへ貢物を送ることを止めてしまいました。

それから2年後の紀元前599年、傷が癒えたネブカデネザルは軍を整え、ユダ王国の北東に位置する諸国へ進撃し、
これらを征服して略奪をほしいままにし、貢物を取り立てて行きました。
年を越して前598年になると、ネブカデネザルはさらに西に向かい、ユダ王国を攻め立てました。
明らかに、貢物を送ることをやめてバビロンを裏切ったユダに報復するためでした。
このときも、ユダの人々はエジプトからの救援を期待していましたが、エジプトは最後まで腰を上げることがありませんでした。
このもっとも大きな危機に当たって、エレミヤが預言した通りになったのです。 バビロンに反旗を翻したユダの王エホヤキムは、ネブカデネザル王が
バビロンから出陣したとき不慮の死を遂げていますが、たぶん、側近に暗殺されたのではないかと思われます。
バビロンに反逆した王を殺して、ネブカデネザルの怒りを和らげようとしたのかもしれません。
しかし、ネブカデネザルの怒りはおさまらず、前597年のはじめついにエルサレムを攻略し、エホヤキムについで王となったエホヤキンを捕らえ、
捕虜としてバビロンに連れ去ってしまいました。

このときネブカデネザルはユダの王だけではなく、すべての有力者たち、すなわち身分の高い者、学者、技術者などを、根こそぎバビロンに連れ去りました。
その中には後に出てくる、ダニエルとその3人の友人やエゼキエルなども含まれていました。
列王記の記録によると総勢10,000人、エレミヤによると3,023人の人々が捕囚となっています。
また、1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは3,000人と言っています。列王記とエレミヤの記録の違いは、エレミヤが特に身分の高い者たちだけを数えたか、
無事にバビロンまで到着したものを数えたためだと考えられます。
どちらにしても、女子供を入れるともっともっと多くの者だったに違いありません。これが70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。

ネブカデネザルはこのとき、ゼデキアを傀儡政権の王として、絶対の忠誠を約束させてユダに残して行きました。
ところがこのゼデキアを始め残された人々は、ユダ王国が完全な壊滅を免れ、まだ王国として存在できたことに胸をなでおろし、
バビロンはたいしたことないと間違った感覚を持ってしまいました。彼らはエレミヤの預言に耳を貸さず、エジプトに期待を寄せ続けたのです。
捕囚としてバビロンに連れ去られた人々の間にさえ偽預言者が起こり、エジプトが助けてくれるから希望を失うなと預言する始末でした。
怒ったネブカデネザルが、これらの預言者を処刑したほどです。

前589年になると、傀儡政権の王として任命されたユダ王ゼデキアは、ついに周囲のエドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの諸国諸部族と図って、
バビロンへの反乱を企てます。あるいはこのとき、エジプトからの支援の約束があったのかも知れません。
このときもエレミヤは、ゼデキアを始めユダの人々の激しい憎しみと迫害を受けながら、エジプトへのはかない期待を抱くな、と預言し続けました。

反乱の企てを聞いたネブカデネザルは、紀元前588年、ユダを攻め、町々を攻略し、再びエルサレムを包囲してしまいます。
ところがこのとき、ユダの人々が狂喜するニュースがもたらされます。ついにエジプトが救援に来るというのです。
ネブカデネザルは、エジプト軍を迎え撃つためにエルサレムをはじめとした町々の包囲網を、解かなければならなくなりました。
これを見たユダの人々はますます楽観的になり、エジプトへの期待を募らせ、とうとうエジプトに頼ることに反対し続けたエレミヤを捕らえ、投獄してしまったのです。

ところが、期待のエジプトはバビロン軍に撃退されて退却し、ネブカデネザルはまたもエルサレムを包囲し、兵糧攻め作戦をとりました。
エルサレムはよく耐え持ちこたえましたが、ついに、紀元前586年の7月、城壁が落ち、ここに抵抗は終焉を迎えます。
ゼデキア王はわずかの手勢と共に夜陰に逃れ出ますが、すぐに捕らえられてしまいます。
ネブカデネザルの怒りはすさまじく、ゼデキアは自分の子供たちが目の前で処刑されるのを見せられた上、両目をえぐり出され、
鎖につながれてバビロンに引き行かれ、そこで惨めに死んでしまいます。

このときのバビロン軍の攻撃はものすごく、エルサレムだけではなく、周辺の町々のほとんどはその後数世紀にわたって再建が不可能なほど破壊されてしまいました。
ユダの多くの人々は戦死し、他の者は餓死し、外国に逃れたものもいました。残された者の多くもバビロンに引いて行かれ、
わずかの貧しい者たちだけがユダの地に留まることとなりました。
このとき、エジプトに頼ることを止めるように預言し続けたために親バビロンと思われていたエレミヤは、バビロンの親衛隊長だったネブダルアダンによって、
バビロンに来て手厚いもてなしを受けるように勧められたのですが、エレミヤはそれを断り、自分を迫害し続けている人々と共にユダの地に残ることを選びました。
エレミヤは決して親バビロンだったのではなく、ただ、神の言葉を語り続けただけだったからです。

こうしてユダの国はバビロンの州のひとつとなり、バビロンの支配を受けることになるのですが、残された人々はまだエジプトに期待し続けます。
そのような時、近隣のアモン人が起した反乱に驚いたユダの人々は、こぞってエジプトに逃走したのです。
このとき、彼らは無理やりにエレミヤをエジプトに連れて行きました。
その途中でエレミヤは、バビロンがここまで攻めてくると、またもや預言をするのですが、その預言は紀元前568年に成就されています。

この預言の後のエレミヤの足跡をたどることはできません。おそらく、エジプトにおいて客死したのだと思われます。

エレミヤ書は、このような実情の中で書き記されたエレミヤの預言と、彼の働きを記したものです。
全般的に見ると、エレミヤは悲劇の預言者でした。意に反して、愛する祖国の繁栄ではなく滅亡を預言し続けなければなりませんでした。
しかもその預言は、短期間で見るとしばしばはずれて偽預言者のレッテルを貼られて、いわば神に裏切られたようなかたちで迫害され続けました。
そして最後には悲劇的な死を迎えるのです。しかもエレミヤは毅然とした鋼鉄の意志の人ではなく、涙の人だったのです。
******************************************************************************




親鳥について何とか岸に上がれた雛です。
コメント (2)
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「ロトを救う神」

2013-05-26 22:07:34 | 説教
今日の説教、テキストは「創世記」19章15節~26節 でした。

夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。
さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」ロトはためらっていた。
主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。
彼らがロトたちを町はずれへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。
低地のどこにもとどまるな。 山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
ロトは言った。「主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。
しかし、わたしは山までは逃げ延びることはできません。おそらく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。
御覧ください、あの町を。 あそこなら近いので、逃げて行けるとおもいます 。あれは小さな町です。 あそこへ逃げさせてください。
あれはほんの小さな町です。 どうか、そこでわたしの命を救ってください。」

主は言われた。「よろしい。 そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。 急いで逃げなさい。
あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」
そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。
太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。



当時の繁栄の町、ソドムとゴモラの住民たちは神の目に悪とみられる行為を行い、神を神とせず、被造物を礼拝し悔い改めませんでした。
そこではロト一人が神の目に善しとされる義人でした。
(被造物の礼拝とは偶像崇拝だけでなく、人、物、金、地位、病、死などに心奪われることを意味しています。)

二つの町に罰を下すことを決めた神は、ロトの家族だけは救おうとロトに夜明けまで山に逃れるように言います。
ロトは中途半端というか、優柔不断というか、あれこれ言ってなかなか逃げようとしませんでした。
(聖句の下線部分はゆうゆうが引きました。 ロトの我が儘ぶり、思わず笑ってしまいました。)

自分の思いを優先するロトの姿は私たちの信仰の手本にはならず、反省材料となります。

ソドムのような享楽の町で信仰を全うするのは困難なことでした。
しかし、今の日本でも私たちの神を神としない中途半端な生活は、ロトと自分を当てはめて考えることができます。

今日のテキストはロトではなく神がどのように手を尽くしてロトを救おうとなさったかが主題です。
神の罰ではなく救いと憐みがテーマです。

聖書にはこの後、アブラハムが煙のくすぶるソドム、ゴモラをみるシーンが続きます。
この時はまだ子もなく、貧しい天幕暮らしの老人アブラハムは滅ぼされた町をみて何を思ったでしょうか。
彼は神と共に生きる幸せを感謝したのではないでしょうか。
アブラハムの気持ちは決して「天罰が下った!」と勝ち誇るものではなかったはずです。
私達もソドム、ゴモラを見て、今、十字架のゆえに奇跡的に救われている自分を感謝いたしましょう。
                                                          (以上、文責はゆうゆうにあります。)




オモチャのようなカルガモの赤ちゃん


今日の美竹教会の礼拝では、献金の祈りに感激しました。
献金の祈りは「恵みへの感謝と献身の証しとして献金をささげます」と祈ります。
今日の当番の方はそれに加えて、今週手術を控えている方と、悲しみに打たれている方への
神さまからの慰めと励ましを祈りました。 兄弟姉妹が互いに思い合い祈りあう、嬉しいことです。
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ヨヤキン王の名誉回復

2013-05-25 21:22:12 | 今日の聖句
今日の聖句は「エレミヤ書」52章31節~34節、エレミヤ書の最後です。

ユダの王ヨヤキンが捕囚となって、三十七年目の十二月二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、
その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。バビロンの王は彼を手厚くもてなし、
バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間
毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、死ぬ日まで毎日、日々の糧を常に
バビロンの王から支給された。



えっ? ユダの最後の王様は息子を目の前で殺されたゼデキヤではなかったの?
ヨヤキンがユダ王として王位についていたのは前598-597となっています。
その後に、前597-587ゼデキヤがユダの王でした。
なぜ、エレミヤ書の最後に、ゼデキヤも死んだ後に、ヨヤキンが出てくるのでしょう?
わかりませ~~ん。

ようやくわかった結論、ヨヤキン王は前598年に第一回の捕囚としてバビロンにつれて行かれて
それからずっとバビロンの牢屋につながれていたのです。
ヨヤキンがバビロンに捕囚になった後も、ユダ王国は続いていたので、ゼデキヤが王に
なったのでしょう。
前587年に第二回の捕囚、その時ゼデキヤ王は捕らえられ、ユダ王国が滅亡しました。

バビロンの捕囚は結局三回あったようで、第三回は前582年だったそうです。

これで「エレミヤ書」の最後の章、最後の節にヨヤキン王が出てきたことが納得できました。

ヨヤキン王がこのようにもてなされたということは、これからのユダヤの人々に希望がある
ことを表しているのだそうです。
旧約聖書、難しすぎます。 
参考図書がなくては読めそうもなく、あっても読めそうもなく、ヤレヤレです。 (^^;)




<カルガモの雛> 孵って二日目の雛はまだ親鳥から離れないので、
集団写真が撮りやすいです。 あと二日もすると結構気ままに
動き回ってまとまった姿を撮ることが難しくなります。


明日は主日(日曜)礼拝です。
東京は渋谷に近い方、興味がありましたら美竹教会の礼拝においで下さい。
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さようなら、エレミヤ!

2013-05-24 22:26:24 | 今日の聖句
今日の聖句は「エレミヤ書」 51章59節~64節です。

ユダの王ゼデキヤの第四年に、マフセヤの孫でネリヤの子であるセラヤが宿営の長として王と共に
バビロンに行ったとき、預言者エレミヤはセラヤに次のように命じた。 エレミヤはバビロンに
襲いかかるすべての災いを一巻の巻物に記した。 そこに書かれた言葉はすべて、バビロンに関するものであった。
エレミヤはセラヤに言った。 あなたがバビロンに到着したとき、注意してこの言葉を朗読し、そして
言いなさい。「主よ、あなた御自身がこの場所について、これを断ち滅ぼし、人も獣も住まない永久の
廃墟にすると語られました」と。
この巻物の朗読を終えたとき、巻物に石を結び付け、ユーフラテス川に投げ込み、そして言いなさい。
「このようにバビロンは沈む。わたしがくだす災いのゆえに、再び立ち上がることはない。人々は力尽きる」と。
ここまでがエレミヤの言葉である。




エレミヤは決して親バビロン派というわけではなく、あくまでも神の言葉を忠実に人々に仲介する預言者でした。
ユダの民にバビロンの王、ネブカトレツァルに従うように勧告したのも、ユダの民への神の御心だったからでした。
最後にエレミヤはバビロンは滅びるという神の言葉を巻物にしてセラヤに残しました。

エレミヤ書の最終章、52章にはもう、エレミヤは出てきません。

エレミヤは多分、連れて行かれたエジプトの地で死んだようです。
さようなら、涙の預言者エレミヤ! ですね。

エレミヤ書をとてもわかりやすくまとめた文書をネットで見つけました。
自分で読むだけではなかなか理解できなかったエレミヤの生涯がよく判る文書でした。
転載許可をお願いしてありますから、多分、ここに載せられると思います。





公園では<カルガモ>の雛が孵りました、なんと12羽も!! 
カラスや蛇の天敵を避けて果たして何羽が無事に育つでしょうか。



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「ただ約束を信じて」

2013-05-23 22:58:04 | 「先週の講壇より」
5月12日(日)の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に掲載されました。

  

ゆうゆうの脚色過多の要約です、宜しかったらご覧ください。
全文は(タイムラグがありますが)美竹教会のホームページ「9 説教集」に載ります。
こちらは、ぜひお読みください。




今日は畑の<雀>を撮りました。
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残留者、エジプトへ

2013-05-22 21:31:43 | 今日の聖句
今日の聖句は「エレミヤ書」42章2節ほか・・・・

ユダの王ゼデキヤをはじめとし、高官、祭司、職人など国の重要な人々の多くは
バビロンに捕囚として連れてゆかれました。
ユダに残された人々はエジプトを頼って彼の地に逃れたいと願い、神がそれを
許されるかどうか、エレミヤに預言してほしいと言いました。
さて、ユダの人々はどのような行動をとったか・・・・・・
神に背き続けるユダの人々への神の怒りの言葉が語られます。

42章2節
どうか、我々の願いを受け入れてください。
我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください。
割れられに歩むべき道、なすべきことを示していただきたいのです。


5節
あなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、
すべて実行することを誓います。


19節
ユダの残った人々よ、主はあなたたちに対して「エジプトへ言ってはならない」と語られた。

43章2節
高慢な人々はエレミヤに向かって言った。「あなたの言っていることは偽りだ。
主は、『エジプトへ言って寄留してはならない』と言ってはおられない。


5節
かれらはユダの残留民をすべて集め。そこには預言者エレミヤとバルクもいた。
エレミヤの勧告に従わず、彼らは主の声に聞き従わず、エジプトの地へ赴き、タフパンヘスにたどり着いた。


44章1節
エジプトのミグドル、タフパンヘス、メンフィスならびに上エジプト地方に住む、ユダの人々に対する言葉が
エレミヤに臨んだ。


13節
既にエルサレムを剣、飢饉、疫病をもって罰したように、わたしはエジプトに住む者を罰する。
エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうるものは一人もいない。


39節
主はこういわれる。「わたしはエジプトの王であるファラオ、ホフラを、その命を求める敵の手に渡す。
ちょうどユダの王ゼデキヤを、その命を求める敵、バビロンの王ネブカドレツァルの手に渡したように。」



エレミヤ書45章まで読みました。
神の言葉を預言し民に、悔い改めて神に戻るように勧告するエレミヤ、裏切り続けるユダの民は
神が下された罰をうけますが、それでも悔い改めません。
神、エレミヤ、ユダの民、ユダの王ゼデキヤ、バビロンの王ネブカドレツァル、エジプトのファラオ・・・・等々
登場人物が多くて頭が混乱気味です。
エレミヤ書を読み終わったら、もう一度出来事を整理してみたいと思います。




公園の道をあるく<オナガ>
オナガは目の周りが黒くてキャッチライトが入らず撮り難い野鳥です。


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いつも傍らに主がいてくださる、その平安をあなたにも!
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