ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

美竹教会HP リニューアル!

2012-09-30 15:49:16 | 美竹教会
私の教会、美竹教会のホームページがリニューアルされました。

トップページの画像は、教会員のご子息、故平井和穂さんの素晴らしい写真です。

コラージュというのでしょうか、写真なのですがジグソーパズルのような貼り合わせの合成写真です。
それは何枚も何十枚もの写真の張り合わせなのですが、煩雑、混乱、騒々しさから程遠く、作品を覆うのは
静謐な祈りにも似た雰囲気でした。

7月の遺作展の会場で作品の数々を見せていただきましたが、その大きさに圧倒されたのは勿論、
作品の内容の広がりと深みは熱い思いを伴って、見る私の胸に迫ってきました。


下の画像は美竹教会ホームページ、トップページの画像です。
お一人でも多くの方がここをクリックされて美竹教会の中を是非お訪ねください。


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ダビデ王の物語 5

2012-09-29 23:32:15 | ダビデ王の物語
<ダビデ王の子、アブサロムの反逆> サムエル記(下)15章~

事の始まりは、ダビデ王の息子アブサロムの妹タマルが、やはりダビデ王の息子のアムノンに犯されたことでした。
主人公の三人が皆ダビデ王の子で兄妹と言うのは現代では想像するのが難しいですが(多分異母兄妹だったのでしょう)
旧約聖書時代、近親相姦というのはごく当たり前だったのでしょうか。
(父の妻を子が犯してはいけない云々・・・などの記述も読んだ記憶があり、サテ、どの辺までが許される行為だったのか?)

アブサロムは後にアムノンを殺し、妹タマルの復讐を果たしますが、このアブサロムが父のダビデ王に反逆したのです。

聖書には「彼に近づいて礼をするものがあれば手を差し伸べて抱き、口づけをし、王に裁定を求めてやってくるイスラエル人
すべてにこのように振る舞いイスラエル人の心を盗み取った」と書いてあります。
また、アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り「アブサロムがヘブロンで王となった」と言うように命じました。

イスラエルの人心がアブサロムに移っていると聞いたダビデは、ここでなんと! 10人の側女を残してエルサレムから逃げ出します。

いよいよダビデ王との決戦!という時に、アブサロムは神託を告げるアヒトフェルの提案を退けて、表面はダビデを離れたかのように装う
ダビデの友人フシャイの提案を採用てしまいます。
これはアブサロムに災いがくだることを主が定められたからで、フシャイは事の次第をダビデ王に報告していました。

主の御心で、誤った作戦を採ってしまったアブサロムは不利な戦いを強いられ、最終的にはダビデ軍の総司令官ヨアブに打たれて死にます。

ところが、アブサロムが死んだと聞いたダビデは「わたしの息子よ、お前に代わって死ねばよかった」と言って号泣します。

ダビデ軍の総司令官ヨアブはこれを知って大いに怒ります。
「あなたを憎むものを愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました。
この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう・・・・プンプン!カンカン!」と
ダビデ王を非難します。

う~ん、なんと人間が生き生きと描かれていてドラマチックなのでしょう!



 ↑ 今年は山に実がすくないのでしょうか都市公園に<ヤマガラ>がたくさん来ています。
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「パンと魚の奇跡」

2012-09-23 23:25:32 | 説教
説教 「パンと魚の奇跡」 マタイによる福音書 14章13節~21節

五つのパンと二匹の魚を五千人以上の人々に分け与え、全員が満腹したあと残りのパン屑が12籠もあった、
という奇跡物語が今日のテキストでした。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書すべてに記述されている奇跡はこの物語だけだそうですが、
この話を合理的に解明しようと様々な説があるそうです。 
例えば、それぞれが持ってきたお弁当を分け合って食べたという「助け合い、分かち合い」の物語である・・・・等々。
私は、当時、この奇跡が本当に起こったと思っています。 (^-^)

この物語からはたくさんのメッセージが読み取れるそうですが、すべてを今日の説教で取り上げることは無理、
ということで上田先生は下のような説教をされました(と、思います。) 
聖霊の助けがまだまだ足りないのか、家に帰ると忘れていることが多くて困ります。 m(_ _)m


この出来事の前に預言者ヨハネが殺害されたこともあって民衆はイエスをより強く求め、大勢の人がイエスの下に集まりました。
イエスは「大勢の群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれ」ました。(マルコ6:34)

また、この時の弟子たちは、というと第一回の伝道旅行から戻ったばかりでとても疲れていたに違いありません。

日が暮れてくると弟子たちは「集まった群衆を解散させてください。そうすれば皆は自分たちで食べ物を調達するでしょう」と
イエスに言いました。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」そうイエスに告げる弟子たちは疲れて無力感にとらわれていたかもしれません。

この無力感は現在教会において、私たちも常に感じているものに通じているのではないでしょうか。

しかしイエ様は「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」と言われました。
そして天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡されました。
パンと魚は、男だけでも五千人はいた群衆みんなを満腹にさせ、残り屑だけでも12籠もありました。

この出来事でイエスは迷える羊のような群衆を祝福すると同時に、人々のために働く弟子たちをも招き、祝福しようとなさったのです。
無力感を持つ疲れた弟子たちを通して、巻き込んで、善きことを起こされたのです。

5千人もの人々にパンを配り、残りのパン屑だけでも12の籠いっぱいになったのを見ることができた弟子たちは
嬉々として奉仕し、大きな喜びに満たされたに違いありません。
主がともにおられることを信じればできる!という確信を与えられたのです。

教会に連なる私たちも無力感にとらわれることなく、日々伝道の働きに励みたいものです
↑ ここは私の思いです。 上田先生も仰ったかも知れませんが、私のメモには書いてありません (^^;)




          ↑公園のキジバト、背景は少しずつ秋色。


今日の奇跡物語の本来の意味は聖餐式につながるそうです。
青草の上で、最期の晩餐で、エマオに帰る弟子たちとの食事で、ご自分の身体を顕すものとして
イエス様はパンを裂き、私たちを復活の喜びに招いてくださっているそうです。
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ダビデ王の物語 4

2012-09-22 13:55:27 | ダビデ王の物語
<ダビデ王の祈り> サムエル記(下)7章

ダビデ王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎを与えられました。

自分が王宮に住むようになったダビデは主のためにも神殿を立てたいと思い、預言者ナタンに
話しますが、主はナタンを通して「私は常にダビデと共にいて、ダビデのために家を興す。 
そしてダビデの身から出る子孫に後を継がせ、この者が私のために家を建てる・・・」と告げられます。

その後、ダビデは主の御前で感謝の祈りを捧げます。

以前、列王記(上)の「ソロモン王の祈り」を読んで深くに感激しましたが、今回このダビデ王の祈りにも、
私は感銘を受けました。  賛美と感謝に満ち溢れています。
願いごとばかりが多くなってしまう私の祈りとは何という違いでしょう!

ダビデはその後ペリシテ人をはじめ、モアブ人、アラム人、アンモン人などと闘い常に戦果をあげます。



     ↑ 1円玉くらいの小さな小さな<ヤマトシジミ>でした。



<ヨナタンの子メフィボシェト> 9章

ダビデは「サウル家のものが生き残っているなら、ヨナタン(ダビデを自分のことのように愛し、ダビデに
永遠の愛を誓ったサウルの息子)のために、その者に忠実を尽くしたい」として、両足の萎えたヨナタンの息子
メフィボシェトを探し出しました。

メフォボシェトにサウル家の所有をすべて与え、かつてサウル家の召し仕えだったツィバに
メフィボシェトのために尽くすように命じます。

ツィバの一家、15人の息子と20人の召し仕いは皆、メフィボシェトに仕える者となりました。
メフィボシェトは両足が不自由なのでエルサレムに住み、ダビデ王の食卓に連なるのが常の事となりました。


<ウリヤの妻バト・シェバ> 11章~12章

ある日の夕暮れ、ダビデは水浴びをしている大層美しい女性を見初めました。
バト・シェバという名のヘト人ウリヤの妻でした。
ダビデはウリヤの妻を召し出し床をともにし、彼女はダビデの子を宿しました。

ダビデは戦いに出ている軍の総司令官ヨアブ宛に「ヘト人ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し
戦死させよ」という内容の書状を出し、ウリヤは戦死してしまいます。(ダビデ王に殺されたわけですね)

バト・シェバは夫の死を嘆きますが、喪が明けるとダビデは彼女を王宮に引き取り、妻にしました。
彼女は男の子を産みましたが、ダビデ王のしたことは主の御心に適わないことでした。

預言者ナタンはこの話をある物語としてダビデに話しました。
ダビデは(能天気にも!)「そんな男は死罪にすべきだ」と言います。
ナタンは「この男はあなただ!」と叱責し、ダビデは「私は主に罪を犯した」と自らの罪を認めました。

ダビデは主の「死の罰」からは免れましたが、バト・シェバの産んだダビデの子は死んでしまいます。

その後、ダビデは妻バト・シェバを慰め彼女と床を共にし、バト・シェバは再び男の子を産み
ダビデはその子をソロモンと名付けました。

これがエルサレムの神殿を建て栄華を極めた有名なソロモン大王となります。
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ダビデ王の物語 3

2012-09-20 12:52:50 | ダビデ王の物語
<神の箱をエルサレムの運び上げる> サムエル記(下)6章

ダビデ王に関する記述はどれも人間味あふれるものだと思うのですが、
ここもダビデの人となりがよくわかる場面です。

ダビデは(主を恐れるあまり主の箱をガド人オべド・エドムという人の家に
三か月間預けるのですが)最終的にはエルサレムに迎えることにします。

主の箱をダビデの町に迎え入れる途中、喜ぶダビデは主の御前で力の限り踊りました。

サウルの娘ミカル(彼女はダビデの妻ですが)は主のみ前で跳ね踊るダビデ王を見て
心の内にさげすみ、そして言いました。
「今日のイスラエルの王はご立派でした。家臣、はしための前で裸になられたのですから・・・・」
多分これは皮肉だったのでしょう。

しかしダビデは「そうだ、主の民イスラエルの指導者として、誰でもなくこの私をえらんでくださった、
その主の御前で踊ったのだ。私はもっと卑しめられ自分の目にも低いものとなろう・・・・・・」と言います。

ミカルは「子を持つことなく死の日を迎えた」とありますから、これは神様の罰、ということでしょうか。



  ↑ <オオタカ>巣離れする前の幼鳥でまだ親鳥から餌をもらっています。
          公園では今年は二羽の雛が孵りました。




「神の箱」とは******************新共同訳「聖書事典」より

「契約の箱」「主の箱」「主の契約の箱」「掟の箱」とも呼ばれました。
十戒が書き記されている2枚の石の契約の板が収められていました。
「契約の箱」は民を導く神の臨在の象徴として用いられ、大移動したイスラエルの民の
移動聖所の役割を果たしました。
ダビデによりエルサレムに移され天幕の中に安置された「主の箱」は、のちにソロモン王が神殿を建築した時に
至聖所のケルビム(天使?)の翼の下に安置されました。
箱は前586年、バビロニア軍によってエルサレムが破壊されたときに失われたものと思われます。
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ダビデ王の物語 2

2012-09-19 14:08:10 | ダビデ王の物語
<ダビデ、イスラエルとユダの全土を統治する>

イスラエル(サウル王家)ではサウル王の子、イシュ・ボシェトが王になり、
彼を擁立したアブネルが実権を握るようになりました。

しかし、サウル王の側女との仲をイシュ・ボシェトに疑われたアブネルは怒って、
ダビデの味方となって「全イスラエルがダビデにつくように計らう」という契約を
ダビデとかわしました。

契約ののち、ダビデの元を平和のうちに去ったアブネルでしたが、弟アサエルをアブネルに
殺されたダビデの家臣のヨアブに殺されてしまいます。

ダビデ王はアブネルを悼む歌を詠み、アブネルの死はダビデの意図によるものでないことを表明します。

アブネルが殺されたことをきいたイシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルも怯えました。
このイシュ・ボシェトは、昼寝をしているときレカブとバアナ兄弟によって殺されてしまいます。

兄弟はその首をダビデの所に持ってくるのですが、首を見せられたダビデは「正しい人を
神に逆らうものが殺した」として兄弟を殺しました。

この後、イスラエルの全部族はダビデのもとに来て契約を結び、長老たちはダビデに油を注いで
イスラエルの王としました。
ダビデは30歳で王となり7年6か月の間ヘブロンでユダを、その後33年間エルサレムで
イスラエルとユダの全土を統治しました。



   ↑ 公園の<カワセミ・翡翠>です。 


ダビデ王の物語はまだまだ続きます、ハァ~~   ゆっくりのんびり書き続けてゆきます。 m(_ _)m
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「高価な良い真珠」

2012-09-16 22:07:46 | 説教
今日の礼拝説教のテキストは「マタイによる福音書13章44節~46節」でした。

44章は畑に隠された宝物を見つけた人が自分の持ち物をすっかり売り払ってその畑を買う、
46章は良い真珠を探している商人が高価な真珠を一つ見つけると持ち物すっかり売り払い
それを買うという話です。

二つの例の共通点は ・素晴らしい宝(真珠)・隠されていた ・全財産と引き換えにして手に入れた
という三点です。

マタイ福音書は章ごとにテーマを持っていて13章のテーマは「神の国」ということですが、
テキストの宝物や真珠とは「神の国」のことを言っています。

宝物や真珠は有限なものですが「神の国」は無限です。
隠れた神の国に気づいた私たちは持っているもの全てをなげうってでもそれを手に入れたいものです。

ここで「全財産をなげうって買う」とあるのは「私たちは全生涯をかけてキリストの救いを信じると
いう買い物をする」ことです。

私たち人間は多くの偶像によって本当の宝物を見つけられない人が多く(ここでいう偶像は財産や美貌、
若さや健康も入ります)それらに依り頼んで神の国の救いを見つけよう、信じようとしません。

畑は教会、宝物は神様の救いです。
教会の中にこそ救いがある、その事を知る日本人は少ない、ほとんどいないと言えます。
私たちは毎日の生活の中でキリストの救い、神の国を信じて生きてゆきたいものです。
・・・・・・という御言葉の説き明かしだったと思います。

反省: お説教を聴いた時は深く納得し感謝の気持ちで一杯になるのですが、家に戻って纏めようとすると
    どうも有耶無耶です。 メモをとってお聴きしているのに・・・・・(T__T)


教会に在る神の国や神様の救いに未だ教会やキリスト教を知らない人々が、一人でも多く気づきますように!
また、そのために私たち教会に連なる信者が生き生きと伝道しますように! 神様、導いてください!





        ↑<モンキアゲハ>ボタンクサギの花が大好きです。



↓ 同じテーマで話された「子ども説教」です。
   分かりやす~い(笑) 私は子ども説教を聴いて神様がいつも傍にいてくださる幸せが実感できました!

エリエゼルは畑に宝物が埋まって隠されているのを見つけ、すべての持ち物を売り払って
その畑を手に入れました。
畑を手に入れたエリエゼルは、どんな苦しい時でも「自分にはアノ宝物がある」と思うことで
幸せで満ち溢れていました。
私たちもイエス様がいつも自分の傍にいて下さるということに気づいて、どんな苦しみや悲しみに会っても
幸せを感じることができるようにしましょう。


私の教会 美竹教会のホームページです、ぜひご覧ください。
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ダビデ王の物語 1

2012-09-13 23:17:16 | ダビデ王の物語
<サムエル記(上)の最終章>

ギルボア山上で殺されたサウルとヨナタンを含む三人の息子は遺体をベト・シャンの城壁にさらされました。
ギレアドのヤベシュの住民はその仕打ちを聞き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から降ろし
ヤベシュに持ち帰り火葬に付し、骨を葬り七日間断食しました。

<サムエル記(下)第1章>

サウルが死んだことを知らされたダビデは衣を引き裂き、サウルとヨナタン、イスラエルの家を悼んで
泣き、夕暮れまで断食をしました。 そしてサウルとヨナタンの死を悼んで歌を詠みます。

サウルにとどめを刺したアマレクの若者は「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ殺害するとは何事か」
ということで、ダビデの命令で従者に打ち殺されます。
 このあたりは少々理解しにくいのですが、ダビデにとっては主の御心、ご意思がすべてであり
最優先事項なのでしょう。


ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったことを知ったダビデは「あなた方が主に祝福されますように。
主があなたがたに慈しみと誠をつくしてくださいますように。 私もそうしたあなた方の働きに報いたい
と思います。 力を奮起し、勇敢なものとなってください。」とエールを送ります。
 こういう科白にはダビデの温かい人間性を感じます。

主の託宣によりヘブロンに上ったダビデはそこで油を注がれユダの王となりました。

ダビデはユダの王となり、片や、イスラエルではサウルの子、イシュ・ボシェトが王となりました。
イシュ・ボシェトを擁立したのはサウルの軍の司令官アブネルですが、彼はのちにダビデの側に付き、
ダビデがユダとイスラエル両国の王となる下地を作った人です。


       ↑ <ノウゼンカズラ>



私の教会 美竹教会のホームページです、ぜひご覧ください。
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魅力的なダビデ王

2012-09-12 09:33:58 | 聖書
聖書は一言一句を大切に読まなくてはいけないと反省しました。
サラッと読み流す私の読み方では漠然とした印象しか残りません。

今回、サムエル記(下)を読み終わってダビデという人物に強く心惹かれたのですが、私の読み方では、
ダビデのどんな所にどんな風に惹かれたのかがしっかりとは記憶に残りませんでした。

ダビデ王の魅力に迫るべく(笑) ダビデの行動を中心にメモを撮りながらサムエル記上下を読み直すことにしました。
(聖書は何回読み直しても、ただ字面を追って読んでいるだけではだめですね、
やはり心を込めて祈りを持って読まねば・・・・・・反省!)


まず<サムエル記上>では・・・・・・・

サウル王は、一回目は「焼き尽くす捧げもの」に関して、二度目は「アマレク人との戦いで上等なものを
戦利品として残した」ことで神の言葉に反逆しました。

預言者サムエルは、主が喜ばれるのは「主の御言葉に聞き従うこと」なのだ、とサウルを諌め
以後サウルに会おうとはしませんでした

その後、サムエルは王となるべき人として、ダビデに油を注ぎました。

主の霊が離れ、悪霊にさいなまれるようになったサウルに、家臣は竪琴でサウルを慰められる
ダビデを紹介します。
サウルに大変気に入られたダビデは王の武器を持つものに取り立てられ、また神からの悪霊がサウルを
襲うたびに傍らで竪琴を奏でて慰めました。

ダビデはペリシテ人の戦士ゴリアテを倒してたのをはじめ、出陣するたびに勝利をおさめました。
そんなダビデをほめたたえて人々は「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌い、これを聞いた
サウルは激怒し以後、ダビデをねたみの目で見るようになりました。


サウルに比べてダビデは、嫉妬したサウルから憎まれ、殺されるような目にあってもサウルを
「神から油を注がれた人」であるとして、何度か機会がありながら手を掛けようとはしませんでした。

ダビデは常に神の御言葉に忠実であろうとした人で、魅力の一つだと思えました。






サムエル記(下)第1章で、サウルとヨナタンの死を悼んでダビデが読んだ歌は切々と心に訴え、
これまたダビデの人柄が偲ばれます。

ダビデ王の魅力はまだまだ続くのですが、中々まとめる暇がありません。
ぼちぼちメモをとりながら読んでゆきましょう。
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毎日新聞に載りました

2012-09-03 22:40:31 | 美竹教会
美竹教会と上田牧師のことが毎日新聞に載りました。 2012年9月2日の朝刊の「Opinion」欄です。

 に記事のコピーを貼りました、クリックすると大きな画像になります。 
毎日新聞の記事にリンクを張りたかったのですが記事が見つかりませんでした。
読みにくいかもしれませんが、どうぞ大画像で是非お読みください。


     

     


渋谷区美竹町の住民が上田先生のご家族だけとは驚きました。
町内会というものも無いのでしょうね。
夜中から朝方にかけては仕事をしている方も遊びに来ている方も殆ど帰宅していることでしょう。
美竹町には先生ご家族だけという時間帯もあったりして・・・・・陸の孤島のようです。

ア、問題はそんなことではなく、教会員の高齢化ですよね。 (^^;)
美竹教会も(私も含めて)高齢者の会員が多いです。

四十代、五十代の方、勿論二十代、三十代の方もとても少ないです。

どうしたら新しい方が教会にいらしてくださるでしょう・・・・・・・
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