ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

サムエル記(上)

2012-08-31 17:27:10 | 聖書
旧約聖書のサムエル記(上)を読み終わりました。

預言者サムエルの誕生から、イスラエル最初の王となったサウルの話
サウルに召し抱えられ、その死後ユダの王となり、最後には全イスラエルの王となったダビデのこと
多くの武勇をあげ「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌われたダビデに対して嫉妬し、
精神的に不安定になり、彼を殺そうと執拗にダビデを追うサウル
サウルの息子ヨナタンとダビデの深い友情、愛情  等々

まるで大河ドラマを観ているような感覚でアッと言う間に楽しく読み終わりました。
こんな浅い読み方しかできないのですが、これではダメですね。
聖書を読んで教会で牧師先生のお説教を聴いて少しずつでも学んでゆきましょう。

今日からサムエル記(下)を読みます、楽しみです。
これまでも何回か読んでいるのに記憶から消えてしまっているのがなんとも悲しいことですが、
ダビデ王のことが書かれているのでしょう。

旧約聖書はイスラエルの歴史を描いたものだと私は思っています。
神とイスラエルの民との契約(ホントウに細かい!)やズラズラ並んだ系図の名前など
読みにくい所がたくさんありますが、歴史物語としてはとても面白いです。

聖書を手に取ったことのない方は、まず最初「聖書物語」のようなものを読まれたらいかがでしょうか。



    <夏水仙>



旧約聖書についてネット検索したらのような解説でした。
そうなんですね~ ユダヤ教においては旧約聖書こそが「聖書」なんですね。
知らないことばかりで、勉強することがたくさんあって時間が足りません。

************* 世界大百科事典(第2版)より
『旧約聖書という名称は,ユダヤ教の正典を自己の正典の一部としたキリスト教における名称である。
キリスト教会は,福音書や使徒の書簡などを,キリストによる新しい救いの契約の書,
すなわち新約聖書としてまとめるようになると,2世紀末ころからユダヤ教の聖書を,
イエス・キリストを預言した古い契約の書,すなわち旧約聖書と名づけて,両者の区別をはかった。
福音書記者やパウロなどはまだ〈旧約聖書〉なる名称を知らず,これを指すときには,単に聖書と記している』
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従妹の死

2012-08-28 12:45:42 | その他
一昨日の日曜日は、夫の従姉の葬儀で、日曜礼拝に出られませんでした。

長い外国暮らしの末、二十年前に日本に戻った夫の従姉は、その後の起業に失敗し
何年か前から生活保護を受けていました。
葬儀も部屋の始末も区の福祉のお世話になり無事終わりました。

斎場には、従姉の住所録から連絡できた趣味(俳句)の友人数人が来てくださいました。
曹洞宗のお坊さんによる読経の中で従姉の亡骸はお骨になりました。

遺骨は区で契約したお寺で一年間供養され、その後、区の墓地に合葬となるそうです。
従姉は自分が無縁仏となることも覚悟していました。

クリスチャンでなかった従姉のために私はどんな風に神様にお祈りすればよいのかわかりませんでした。
ただただクリスチャンでなかったけれど従姉の魂がキリストの父なる神様の御許に安らう様、祈り続けました。



     <アゲハチョウ>



昨年亡くなった、大和キリスト教会の会員だった私の姉は、遺言によりその遺骨は教会の墓地に埋葬され、
分骨を家の菩提寺に収め、そちらでの供養は一切しないことになっています。
姉は丁寧なエンディングノートを残していました。

私は、自分の骨は砕いて海と川の出合う場所に散骨してもらいたいと遺言めいたメモに書いてあります。
姉や従姉の死を機会に私もエンディングノートを準備しようと思いました。
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A・デーケン先生の講演会

2012-08-20 22:41:35 | 美竹教会
「よく生き よく笑い よき死と出会う」と題してのキリスト教講演会のポスター(新バージョン)ができました。
今度のポスターには美竹教会への地図も入っています。 
このブログを見て、来てくださる方は・・・・・多分いないでしょうね~  お一方でもいらしたら大感激! 奇跡ですね。


     
     ↑ クリックすると大画像が見られます。


美竹教会ではこの講演会に向けての準備として一日修養会を計画いたしました。

   ○ 日時 9月9日(日) 12時から15時まで
   ○ 参加費は昼食代として500円です。
   〇 プログラム
      昼食後12時50分から三名の方の発題
      その後13時50分から懇談
      14時50分から15時までお祈りをして終了です。

 
初めての方も大歓迎!  1人でも多くの方のご出席をお待ちしております。
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神様への祈り

2012-08-18 13:08:13 | その他
アルフォンス デーケン先生は著書「よく生き よく笑い よき死と出会う」の中で祈りについて書かれていますが、
キリスト教の祈りの特徴として、感謝の祈りが一番先で、二番目が讃美の祈り、三番目が願いの祈りになると述べています。
日本には「困った時の神頼み」という諺がありますが、神への祈りでは願いは最後だそうです。

私は就寝前と朝にお祈りをしています。
私の祈りは、賛美、感謝、願いの順ですが、祈りの(言葉の)量としては、願い、感謝、讃美の順になります。

願いは家族から始まって兄妹友人知人、最後は世界中の人々すべてが神様によって平安が与えられますよう・・・に
至るまで圧倒的に多くて、尽きないくらいです。

私の願いは結局は「主の祈り」の「・・・御心の天になる如く地にもなさしめたまえ・・・」という祈りに集約される
のではないかと思います。

そこで、眠くて呂律のまわらない夜や、用事で忙しない朝は「主の祈り」を唱えて終わりにするときもあります。

勿論、心を籠めて祈るようにするのですが、焦って気もそぞろに唱えた朝などは、もう一度心を籠めて祈り直して、
「主の祈り」二往復という朝もあります。 (^^;)

一番苦手なのは神様への讃美の言葉で「聖名を讃美します・・・・」から後が続きません。
讃美の祈りの参考にしよう!と、夜、聖書を読む時、新約1章、旧約3章、そのあと詩篇を1章読むようにしています。

聖書を読んで、終わりに詩篇を読んで、お祈りの讃美の言葉の参考にしようとは思うのですが、
つい、苦手なお祈りを先に済ませ、あとからゆっくり楽しく聖書を読みたいという思いに負けて、
いつも讃美の言葉の少ない祈りを先にしてしまいます、反省!



<ノカンゾウ>
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「イエスこそはメシア(救い主)」

2012-08-13 10:11:41 | 説教
昨日は日曜礼拝に出席できました。

上田先生によるお説教のテキストは、旧約聖書イザヤ書35章5節~6節と
新約聖書マタイによる福音書11章2節~6節でした。

ヘロデ王に囚われ牢につながれているヨハネは人を頼んで、イエスが来たるべき方、
つまりメシアであるのかどうかをイエスに確認しました。
イエスはイザヤ書に書かれていることを丁寧になぞり「目の見えない人は見え、
足の不自由な人は歩き・・・・・貧しい人は福音を告げ知らされている」つまり私こそメシアだ、
と言われた後、「私につまずかない人は幸いである」と付け加えられました。

ヨハネは(当時の人は)メシアとはヘロデ王のような悪い支配者をやっつけ強い軍隊を持って
ローマ帝国にも刃向かうと思っていましたので、十字架の死に向かうイエスの進む道が
メシアの道とは思えなかったのです。

聖書(旧約)に予言された道、十字架に続く道を歩んでいられたイエスは、ヨハネに(当時の人々に)
十字架につまずかない人は幸いだ、と言われました。
(この言葉はすべての人に救われる可能性があるという福音を述べています。)

ヨハネの問い、十字架のつまずきは今の私たちのものでもあります。
古来多くのクリスチャンは主の十字架につまずいてきました。

私たちは自分の求めに合う救いを求めがちで、その時十字架のイエスは最大のつまずきとなります。
自分の宗教的欲望に固執すると主の十字架につまずきます。

信仰とは私たちの願いが実現することではなく、神の御心が私たちを通して実現される事を願うこと。
神の必要を自分の信仰として願うこと、神の計画が私たちの最大の祈りとなるために、私たちは
教会に連なり、教会を守らなくてはなりません。

というようなお話だったと思います。
メモを取っているのにイマイチ自信なし、です。 
特に下線の部分が分からなくなりました。 (^^;) 

今週も教会に連なり幼子のように主を信じ、徒に思い煩うことなく過ごしたいと思います。



<コノシメトンボ>


昨日の礼拝に、初めて美竹教会にいらした方が4名いました。
残念ながら(!)他の教会の会員さんでした。
残念と言うのは、未信者や求道中の方だったら美竹教会にまたいらして、いつの日か神様の救いに与り、
美竹教会の会員になって下さるのでは?という私の勝手な期待(思い)からです。(笑)
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新カテゴリー 「聖書」

2012-08-11 00:31:38 | 聖書
上田光正牧師は私たち信者に、毎日聖書を読むこと、お祈りをすること、
日曜日に礼拝に出席すること、その三つを守るように言われます。

聖書は、新約1章、旧約3章、詩篇を1章。
新約と旧約はそのペースで読むと約1年で聖書一冊を読み終えるそうです。

詩篇は何故毎日読むように言われたのか忘れてしまいましたが (^^;)
詩篇には神様を讃美する詩が多いので、私は聖書を読んだあとにする祈りに
続くものだと思って読んでいます。

寝る前のひと時、聖書を読む時間が私は大好きです。
1日が終わって、心静かに聖書を読めるということはなんと幸せなことでしょう。

今この時、命を脅かすほどの飢えや貧困、戦争や暴力に曝されている人々がいることを思うと、
今日も充分な食事を与えられ、安全な家の中で休むベッドが与えられ、聖書を読む平安が
与えられている、そのことが信じられないほど感謝なことです。

聖書は、聖書事典を参照しながら読んでいるのですが解らないところが多くて困ります。

これからはこのブログに聖書についての私の疑問や質問も書いてゆこうかと思います。
そのために、「聖書」という新しいカテゴリーを作ることにいたしましょう。



<キマダラセセリ>
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聖餐式

2012-08-05 15:56:34 | その他
今日は礼拝に出席できました。
第1週の礼拝では聖餐式があり、洗礼を受けた人、信仰告白をした人は
キリストの体を顕すパンとキリストの血を顕す葡萄酒を味わいます。
(顕す:この漢字でよいのでしょうか?)

イエス様の身体と血潮を味わって、私たちの罪を贖くために
御子イエスキリスト十字架にかけられた神の愛を覚えます。
確認します。 う~ん、中々難しい教えです。





一人でも多くの方が神様の御言葉を聴くため、教会に集いますように! 
ブログを通して伝道ができたら・・・・
という思いがこのブログを始めた動機でした。
しか~し! 
信仰の浅い(薄い)私は最早、すでに、何を書いてよいのか思い煩っています。

毎晩聖書を読んでいます
昨夜読んだ、新約聖書のマルコによる福音書の13章11節には「何を言おうかと
取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。
実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ」とありました。

私も聖霊の力に助けられて、少しずつでも神様の事、聖書の事、教会のことを
書いてゆきたいと願っています。

ちなみに、1日に旧約を三章、新約を一章読むと1年で聖書を1回通読できるそうです。
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