ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「コヘレトの言葉」より

2017-10-28 12:47:09 | 今日の聖句
聖書通読をはじめてから何回目かの「コヘレトの言葉」です。 6章まで読みました。

1章1節~2節
エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。


あ~懐かしい(笑)

2章14節~16節
賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。
しかしわたしは知っている 両者に同じことが起こるのだということを。
わたしはこうつぶやいた。
「愚者に起こることは、わたしにも起こる。
より賢くなろうとするのは無駄だ。」
これまた空しい、とわたしは思った。
賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。
やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。
賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。


本当に!人間として生まれたからには馬鹿も利口も必ず死ぬ、人生、空しいわ~と詠嘆し放題の私でした。

「聖書事典」の「コヘレトの言葉」についての解説も何回も読みました。
『コヘレトの言葉の思想の特色は、冒頭の言葉に見られるように、一切は空しいことに根底を置いている。
これは現実の透徹した認識であって、単に「なんという空しさ」という詠嘆を意味するものではない。
一切のことがめぐり巡って循環しており、一定の確固たる目的があるものとは思えない。
「かつてあったことは、これからもある」そして、「太陽の下、新しいものは何ひとつない」と
断定している。にもかかわらず、コヘレトは神を畏れ敬うことを否定しているのではない。むしろ、
結局神を畏れ敬うことのみが根本的に重要であることを確認しているのである。 
人智で量り難い神の知恵といつくしみを忘れてはならない。人間はどこまでも謙虚で、神を畏れることが
大切であるというのである。天地創造の神の業、終末における神の審判、人間のなすすべてのこと
についての責任、これらのことは、聖書の根本的な教えである。(木田献一氏)』
これまで、この解説がイマイチ腑に落ちない私でした。
イスラエルの民はこの人生の空しさを詠嘆せず「現実の透徹した認識」で済ませられるのか?と
納得できないものを感じていました。不信仰な私でした。

2章22節
まことに、人間が太陽の下(もと)で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。
一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた実に空しいことだ。

4章2節~3節
既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。
いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。
太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。

6章12節
短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何なのかを誰が知ろう。
人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。


こんなにも空しい人間の存在を嘆くことなく受け入れ、あるがままに生きて行けるのが多分(絶対に!)
信仰なのだ、と最近になってようやく気付きました。
神により頼むことなくして私の平安はありません。生きていくことの意味も意義も分かりません。
その信仰を持つ人に『天地創造の神の業、終末における神の審判、人間のなすすべてのことについての
責任』を聖書は教えています。
人間のなしてきた結果の今の地球の状態(人間社会も自然も)への責任を考えると別の絶望に呆然と
なりますが、信仰の恵みに与っていて本当に良かった!とあらためて感謝する日々です。

第6章まで読んだのですが、その中には下(↓)のような聖句もあります。

3章12節
わたしは知った。 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。
3章22節
人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。
それが人間にふさわしい分である。 死後どうなるのかを、誰が見せてくれよう。

5章17節~19節
見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果の
すべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。神から富や財宝をいただいた人は皆、
それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。


こ、これでよいのでしょうか? ケ・セラ・セラではないですよね、勿論。 (-_-;)

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雨降りばかりの毎日、昨日は久しぶりの晴天でした。
公園でたくさんのカメラマンに会いました。
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讃美歌276番 「光と闇との」

2017-10-23 13:48:26 | 讃美歌
昨日は所用で礼拝をお休みしました。
この讃美歌は先々週の礼拝で歌ったものです。
曲の中では三連符がたくさん使われていますが私は(多分他の方も?)
それはあまり気にせず、なだらか~に歌いました。(^-^)

讃美歌276番 「光と闇とのゆきかう巷(ちまた)」
“Once to every man and nations” by James Russel Lowell, 1845
「TON-Y-BOTEL」by Welsh Hymn Melody

1 ひかりとやみとの ゆきかうちまた
  いずれのかたにか つくべきわが身、
  燃えたついのちを みまえにささげ
  今しも行かばや、まことの道を

2 ほまれとさかえを うくるはたれぞ、
  ときわのかむりを うくるはたれぞ
  義を見ていさめる ますらおなれや、
  臆するものには  悔いのみのこる

3  血しおに染みたる なやみのみちを
  十字架の御旗を  かざしてすすみ、
  けわしきカルバリ おおしく過ぎて
  あめなるみくにへ さきがけのぼらん

4 この世のいきおい みなぎりあふれ
  あくまのつるぎは はむかい来とも、
  いかでか阻(はば)みえん、ひかりのみくに
  あおげや、わが主は みくらにいます。

ジェームズ・ラッセル・ローウェルの作詩。
19世紀アメリカで活躍した人で、作家活動から編集者、外交官としても働きました。
奴隷制度廃止のための活動が知られています。
この詩は、彼が1845年に作った長い詩の抄訳だそうです。

曲はイギリスのウェールズの讃美歌(Welsh Hymn Melody)のメロディで、
曲のタイトル名は「びんの中(TON-Y-BOTEL」
嵐の晩、海岸に打ち上げられた瓶の中からこの曲が見つかったという伝説があるようです。

 Once to every man and nation,
 Comes the moment to decide,
 In the strife of truth with falsehood,
 For the good or evil side;
 Some great cause, God's new messiah,
 Offering each the bloom or blight,
 And the choice goes by forever,
 'Twixt that darkness and that light

ここをクリックすると讃美歌276番を聴くことができます。

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久しぶりに野鳥を撮ることができました。 朴の木の実を突く<コゲラ>です。
(画像をクリックすると大きな画面になります。)
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特別礼拝&研修会

2017-10-18 19:29:21 | 美竹教会
  次の主日礼拝10月22日は高砂民宣先生をお招きして
  美竹教会の「特別礼拝と研修会」です。
  礼拝説教のメッセージタイトルは「天上の礼拝と地上の礼拝」
  テキストは「イザヤ書」6章1節~3節 
       「ヨハネ黙示録」4章1節~11節です。

  礼拝後は昼食を頂きながらの「研修会」で、高砂先生から
  ご専門の新約聖書についてお話を伺います。

  教会は初めてという方も是非ご参加ください!

  

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「洗礼」

2017-10-13 17:21:43 | 説教
10月8日(日)主日礼拝説教
テキストは「ローマの信徒への手紙」6章3節~4節
タイトルは「洗礼」でした。




受洗によって新しい命の中を歩む私たちにとって絶望の空は希望へと変わる。
そのことを信じて生きてゆく信仰を与えられて本当に、本当に良かったです。
一人でも多くの方が神様に愛されていることを信じる信仰を持てますように!
毎日どんなふうな生き方をすれば、証しとなって皆さんを信仰の道に
お招きできるでしょう。
まず、自分が明るく希望を持って生きることが大切・・・・・・かな?

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郊外の畑の中に気持ち良い景色が広がっていました。
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讃美歌198番「父、御子、み霊の」

2017-10-11 21:35:10 | 讃美歌
10月8日の礼拝で歌った讃美歌198番はバプテスマ(洗礼)を歌ったものです。
元の歌詞は「Faith of Fathers」で、この「 父親の信仰 」は、 カトリック教の 賛美歌であり、
1849年にヘンリー8世とエリザベスによってイングランド国教会が設立された時から、 カトリック
殉教者を記念してフレデリック・ウィリアム・ファーバーによって書かれたものだそうです。

「Faith of our Fathers」は↓のようなもので、かなり激しく過激です。
(ネット検索で翻訳されたもので妙なところがありますが・・・・・・<(_ _)>)

私たちの父親の信仰! まだ生きている
ダンジョン、火、剣にもかかわらず:
ああ、私たちの心は喜びでどのように高い
私たちはその栄光の言葉を聞きます。

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

暗い刑務所に縛られた私たちの父親たちは、
まだ心と良心に自由だった:
彼らの子供の運命はどれほど甘いだろうか、
彼らのように、あなたのために死ぬことができたら!

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

私たちの父親の信仰! メアリーの祈り
私たちの国をあなたに戻さなければなりません:
そして、神から来る真理を通して
イギリスは確かに自由でなければならない。

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

私たちの父親の信仰! 私たちは大好きです
私たちのすべての闘争において、友人と敵の両方:
愛がどんなことを知っているかのように、あなたにも説教する
親切な言葉と善良な人生によって:

私たちの父親の信仰! 聖なる信仰!
あなたは死まで真実になります。

ヘンリ8世と、特にその息子のエドワード6世によるプロテスタント化に反発した女王メアリー(ヘンリー8世と
キャサリン・オブ・アラゴンの娘で、エドワード6世は異母弟)はカソリックへの回帰を進めようとしたが
うまくゆきませんでした。(エリザベス1世は異母妹になります)
メアリーのプロテスタントへの締め付けは相当厳しく彼女は bloody Mary と呼ばれました。
最終的には、メアリーの後に女王になったエリザベス1世により、イングランド国教会は
プロテスタントになるのですが、その後も、プロテスタントでもカルヴァン派のピューリタン(清教徒)
による革命も起きたり、複雑です。
ヘンリ8世はもともとは熱心なカソリックだったのですが、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を
認めないローマ教皇への反発からイングランド国教会を作ったそうです。
離婚問題だけでなく、莫大だった教会財産を思うままにしたいという誘惑も感じていたようで、
トマス・クロムウェルのもとで委員会が結成され、修道院が保持していた財産が国家へ移されていき、
こうしてイギリスの修道院は破壊され、荒廃しました。
この当時のイングランドの歴史は血なまぐさいようですが、興味深くもあります。
エリザベス1世がイングランド王の時代、スコットランドの女王だったのが別人のメアリーです。
彼女は後にエリザベス1世によって処刑されます。 かなり複雑で覚えにくい・・・・(-_-;)

下 ↓ は私たちが歌った讃美歌189番です。
“Ich bin getauft auf deinen Namen” Johann Jacob Rombach, 1734
「ST.CATHERINE(TYNEMOUTH)」Arr. From Henri Frederick Hemy (1865)
By James ]George Walton, 1871
1)父、御子、み霊(たま)の ひとりのみ神よ
  わが身はいま死に 主にこそ生きけれ
  今日より御民の ひとりとしたまえ。
2)父なるみ神は 児として愛でまし、
  悩める主イエスは うれいをとりさり
  命のみ霊は ちからをたまいぬ。
3)くらきのつかさの もとより逃れて、
  今しもわが主の きよめを受けたり
  悪魔よ、しりぞけ かかわりなければ
4)父、御子、み霊の ひとりのみ神よ、
  生きては主にあり 死にては主にゆき
  はなるることなく つかえしめたまえ。

ここをクリックすると今風の美しい声の讃美歌198番を聴くことができます。
背景はアメリカのクリスチャン?を描いています。 "A Tribute to Faith in America"

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「主の栄光を映す者」

2017-10-06 20:51:13 | 説教 使徒信条
10月1日の主日礼拝説教
テキストは「ヨハネによる福音書」6章38節~40節
タイトルは「主の栄光を映す者」でした。





“キリストが肉体を脱ぐようにして霊的にだけ復活されたのではなくて、わたし達と同じ、
この朽ちる体を復活の体としてくださった、だからわたし達も、どのような姿かは
わからなくても、霊だけでなく、心だけでなく、身体を含めたすべてにおいてキリストと共に、
キリストに倣って、キリストの姿に連なるものとされるのです。”

「キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、
御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」
(「フィリピの信徒への手紙」3章21節)

神の御許に召されたとき、私たちの心と魂だけでなく体も(どのような姿かは分からないが)
甦る・・・・・・・ 今の所、私の正直な気持ちとしては御許に召されてどのようになるのか、
ということは私の理解できる範囲を超えているようです。
具体的には勿論のこと、漠然ともイメージが湧きません、困ったことです。
私のこの世の生は神様にいただいているという信仰(正しいかどうか自信全く無しですが)に
より頼み、時には空しく落ち込みそうな気持ちを奮い立たせて、全てを神様にお委ねして
毎日を大切に丁寧に生きるということしか思い浮かばない私です。
信仰に、教会に依りすがっているような私です。 💦

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<酔芙蓉>白い花が夕方に向かって濃い赤に変わってゆきます。
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秋のゲスト説教者

2017-10-02 16:18:58 | 美竹教会
   美竹教会、秋のゲスト説教者、第一弾は浅原一泰先生です。
   10月15日(日)午前10時30分~12時

   説教タイトルは「装うキリスト者」だそうです。
   “装うキリスト者”って?・・・・興味津々。

   教会は初めてという方もどうぞ、ぜひ、東京渋谷の
   美竹教会におでかけください。



<美竹教会、秋のゲスト説教者>
第二弾は10月22日 高砂民宣先生(青山学院大学経済学部准教授、宗教主任)
この日は昼食を頂きながら「研修会」新約聖書のお話を伺います。
今、聖書が面白い私はワクワク、楽しみです。
第三弾は11月26日 土肥研一先生(目白町教会副牧師、日本基督教団出版局)

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