ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「確信の礎」

2014-06-30 22:07:32 | 説教
6月29日の礼拝説教
テキストは 「創世記」12章1節~3節 と「使徒言行録」16章6節~10節 タイトルは「確信の礎」でした。

ある一人の宣教師が本国に去る時の手紙の言葉です。
彼、ジェームス・カーティス・ヘボンは日本での働きを「自分に与えられた最善の使命と捉えた」と書いています。

医者であり科学者であり聖職者だったヘボン、主の祈りもヘボンが訳したと言われます。
彼のヘボン塾が後の明治学院、フェリス女学院に繋がる一粒の麦の種となり、横浜指路教会も作りました。

聖書の日本語訳のためにも辞書の必要性を認めていたヘボンは来日8年目の1867年、日本で最初の本格的な
和英・英和辞書である『和英語林集成』を出版するに至ります。 ヘボンの編集した聖書は言葉として優れたものでした

しかし、ヘボンの最大の宝は宣教師としての生き方でした。
天の真の故郷を見上げながら生涯旅人であり続けた人生、そのヘボンの生涯をたどってみたいと思います。

ヘボンが日本に来たのは1859年、44歳の時でした。
この一歩が日本のキリスト教の歴史の新しいページを開くことになりました。

妻ともども体調を崩してアメリカに戻るまでの日本での33年間をヘボンは「私は神による旅人で、艱難災難といえども、
父と共に在るので我が喜びとなった。天国で再び会って喜び合いましょう」と言いました。
ここには伝道の旅の原点、聖書の証しの旅の原点があります。

ヘボンは20代半ばで志を同じくする妻と共に1841年7月シンガポールに到着しました。
シンガポールで宣教地を当初のシャムから中国のアモイに変更しましたが、アヘン戦争のため直ちに渡航できず、
アモイ到着は2年後の43年11月まで待たねばなりませんでした。
その後、妻のクララは産後の肥立ちも悪く、加えて夫妻ともにマラリアに罹り、伝道を断念せざるをえませんでした。
家族3人は46年3月ニューヨークに帰りました。
帰国後ヘボン博士はニューヨークで医療活動を開始しました。 病院は繁盛して財をなすことができました

ヘボンは賑わった病院を閉じて、1859年4月24日ニューヨーク港を出帆し、10月17の夜半に神奈川沖に到着しました。
ヘボン博士は後年ニューヨークのミッション本部宛書簡に次のように記しています。
「日本に行くべき招命を受けたとき、わたしの心を家郷に結びつける幾多の繋累をたち切り、喜びいさんで出て行ったのであります。
いつも思うことですが、中国におけるわたしの最初の宣教師としての生活と経験とは日本における第二の、そして更に
最も重要な伝道事業のためであったと考えています。」

今日のテキストで、パウロは伝道を妨げられ、失意であったかもしれませんが、大切なのは主の御旨の実現のみです。

私たちの計画が神の御旨に添う時、伝道は伸びます。扉をたたくのは私たちですが開けて下さるのは主です。
大胆に果敢にたたき続けることが大切です。
パウロはマケドニアからの求めに応じ、アジアからヨーロッパに向けて召されている確信を持ちました。

アジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられ、ピティニア州に入ることをイエスが赦さなかった、
しかし、その閉じられた道がマケドニアに通じ、その後全世界に広められました。

10節では、「わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。」と使徒言行録の著者が突然主体的に語り出しています。
聖書を読む人はその働き、出来事に巻き込まれていくものです。
演劇、コンサート、映画などと同じものがありますが、語られる聖書の証言を追体験していきます。
自らが参加する、自らも加えられ生かされる喜びを与えられます。

このことを他の人々に語るために召されている、として神の言葉は伝えられてきました。
美竹教会もまた同じです。 
新しく開かれる扉の向こうに神の御言葉を携えて旅立つのです、伝道です。
パウロの、ヘボンの旅が私たちの旅となるのです。 私たちは礼拝から派遣されて行くのです。  (以上、文責はゆうゆうにあります。)

主のみ旨は測りがたし、私たちはひたすら祈り続け扉をたたき続けるのみです。
多くの方が神の救いに与り、平安のうちに過ごせますように!


<芙蓉>の花です。

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「聖書を学ぶ会」第三回

2014-06-29 22:05:10 | 「聖書を学ぶ会」
紀元前6世紀、イスラエルが滅び多くの(優秀な?)人々がバビロニアに
捕囚として連れて行かれました。
まさに国が崩壊した中で、聖書が書かれたことをこれまで学びました。
当時の不安な情勢下、聖書を記すことで、神の言葉の確認し、時間と空間が秩序立てられ、
神が民を見捨てていないことの確認がなされました。

若者も中高年者も老人も不安定な中で過ごしている、現代に聖書は何を語るのか。


 当時の人間観では、人間の存在は虚しく、軽く、意味ないもののように思われたが・・・

 ・・・その中で、神は人を神をかたどって造られたと繰り返し語られる。


 外見が同じということではなく人(?)格=ペルソナが似ているということ。
 人間は奴隷ではなく、神に応答する者、神と人間は対応しあう存在。
 人間は孤立するために造られたのでなく、交わりを持つ者として造られた。
 関係の中にあって、お互いの出会った神を述べ合う、このことによって、神を偶像化できなくなる。
 私たちは、交わりの中に生きる者として神にかたどって造られたもの。


三回目の今日のお話は中々難しいものでした。 (^^;)



原っぱにワンサカいる<ベニシジミ>です。


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「廃墟を立て直す」

2014-06-27 23:41:16 | 今日の聖句
今日の聖句は「エゼキエル書」 36章33~38節 です。

主なる神はこう言われる。 
わたしがお前たちをすべての罪から清める日に、わたしは町々に人を住まわせ、廃墟を立て直す。 
荒れ果てた地、そこを通るすべての人に荒れ地と見えていた土地が耕されるようになる。 
そのとき人々は、『荒れ果てていたこの土地がエデンの園のようになった。 
荒れ果て破壊されて廃墟となった町々が、城壁のある人の住む町になった』と言う。 
お前たちの周囲に残された国々も、主であるわたしがこの破壊されたところを建て直し、
荒れ果てていたところに植物を植えたことを知るようになる。
主であるわたしが、これを語り、これを行う。
主なる神はこう言われる。 わたしは再びイスラエルの家の願いを受け入れ、彼らのために行う。 
私は彼らの人口を羊の群れのように増やす。 
祭りの時に、エルサレムが聖別された羊で満ち溢れるように、廃墟であった町々は人の群れで満たされる。 
そのとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。


神は、神との契約を守らず、異教の神々を拝むイスラエルの民に対して怒り、バビロニアへの捕囚という厳しい裁きを与えました。
しかし、神は決してイスラエルの民を見捨てることなく、再びエルサレムに呼び戻すとエゼキエルを通して語られるのでした。
「エゼキエル書」も36章まできました。 もう一歩で読み終わります。
聖書は別に急いで読むものではないのですから、私はもう少しジックリ頭に入れながら読まなくては、と反省するのですが、
ついつい、先へ進むとうれしくなってしまいます。



<ミドリシジミ>
春の一時期、一か月くらいしか見られない蝶のゼフィルスの一種です。
雄の表翅は美しいメタリックグリーンなのですが、中々開いてくれません。 (T__T)


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讃美歌55番

2014-06-25 10:09:42 | 讃美歌
先週の礼拝で最初に歌いました。 
讃美歌55番 「今日はひかりを」

 1) 今日は光を たまいし日なり
    心の闇に 照りいでたまえ

 2) 今日は憩を 受くべき日なり
    疲れし心 休ませたまえ

 3) 今日は安きを たまわる日なり
    罪の波風 平らげたまえ

 4) 今日は楽しき 祈りの日なり
    仰ぐみ民に 近づきたまえ

 5) 今日は主イエスの 黄泉に勝てる日
    活かす御霊(みたま)を 豊かにたまえ

原作者 John Ellerton(1826-1893)は国教会の聖職として各地の教会に奉仕したが
讃美歌学者、創作者、翻訳者、編集者として最も知られている。
マシュー・アーノルドは彼を「現存の讃美歌作者中最大の人」と評した。

この歌は、Ellerton の作としては簡潔で生彩があり、最もポピュラーなものであると言われる。
曲名“Innocents”は、この曲がヘロデ王が嬰児を虐殺したのを記念する日“Innnocents Day”(12月28日)に
歌うように指定されているので、この曲名がつけられた。

旋律の出所は、13世紀のフランスのメロデイからといわれている。
19世紀の50年代は、英国の讃美歌発展史上、最も活発な時期であり、讃美歌に関する啓蒙運動や
宣伝普及が盛んに行われた。
この時代に、古いプレインチャントや英国チャントの復興に特に力を尽くした団体の一つが、1850年に
この曲を編集した。                          (以上、ネットからの引用です。)

讃美歌55番はココをクリックすると聴くことができます。

今日は憩いを受くべき日なり、疲れし心休ませたまえ
今日は安らぎをたまわる日なり・・・・今日は楽しき祈りの日なり・・・・・
日曜日の静かな朝、主の招きによって礼拝に集う時間は、本当に安らぎのひと時、楽しき祈りのひと時です。



梅雨空の下の翡翠です。


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人間の存在は虚しいものです。
重荷を負う方、どうぞ教会の扉を開けてお訪ねください。
神さまは私たちに生きる望みを与えてくださいます。
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「派遣」

2014-06-24 09:56:45 | 説教
先週、6月22日(日)の説教 
テキストは「エレミヤ」1章17節~19節 と「使徒言行録」13章1節~3節 タイトルは「派遣」でした。
教会学校の分級当番で説教を聞けなかった私は説教のプリントをいただきました。
今日は(私の怪しげな「説教要約」でなく)少し長くなりますが、左近先生の説教を載せることにいたします。
どうぞお読みください。









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礼拝後の教会員懇談会で説明されたのですが、美竹教会の会堂は、雨漏りや水道管の老朽化など
早急に手当てをしなくてはならない状態でした。 すべてを直すと見積額は数百万円というものでした。
左近先生も“茫然とたちすくんだ”そうですが、私も茫然、です。
美竹教会の体力では数百万円はどうやっても無理です、どうするのでしょう。
懇談会では、優先順位をつけて直してゆく、この際だからある程度しっかり治してしまう、等々
色々な意見が出されましたが、何としても、なんと言っても会堂が今のままでは済まないのです。
「この地に宝を積むのではなく天国に宝を積む」という聖書の言葉があったような気がします。
これまで教会を離れていた「放蕩息子」の私としては、これまでしなかった献金を考えて、年金の身に
鞭打ってしっかり献金しようか・・・・・・と茫然としながら考えています。



ピン甘ですが、翡翠のホバリングが偶々撮れました。 (^-^)
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預言の言葉

2014-06-21 21:54:47 | 今日の聖句
今日の聖句は 「ペトロの手紙 二」1章16節~21節 です。

わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。 
わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これは私の愛する子。わたしの心に適う者」
というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。 
わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。 
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。 
夜が明け、明けの明星があなた方の心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に
留意していてください。
何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。 
なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。



新約は「ペトロの手紙 二」に入りました。
ペトロの手紙は(私にとって)比較的分かりやすくて好きな記事です。
イエスの身を案じては叱られたり、真っ先にイエスを救い主と告白したり、イエスを三度も知らないと言ってしまって
後悔のあまり号泣したり、ペトロという人は人間的で大好きです。 最後は逆さ磔で殉死しました。
このペトロの言葉を私は心から信頼します。
聖書は証言集だ、と左近先生から学びました。
ペトロが経験したことを証言している、このペトロの言葉を私は信じます。

聖書は豊かで奥深く、分からない所が多いのも理由の一つかも知れませんが (^^;) 飽きることがありません。



翡翠の雛が手乗りになりそうなほど近くの梢に止まっていました。


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明日の礼拝は午前10時半からです。 どうぞ東京は渋谷区の美竹教会の礼拝にお出かけください。
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美竹教会 伝道礼拝のお知らせ

2014-06-19 10:03:56 | 美竹教会
下のチラシのように、美竹教会では7月13日(日)の礼拝を伝道礼拝といたします。
礼拝のあとは、左近先生を囲んで、新しく教会にいらした方や昔からの懐かしい方など
ご一緒にワイワイガヤガヤ、楽しい茶話会になります。

このお知らせをご覧になった方、どうぞ、是非おいでくださいませ!

  

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追記(私の嘆き): このチラシはエクセルを使って私が作りました。
            マニュアルを見ながら、苦労して作りましたが、雰囲気がイマイチです。
            曲線を増やして、綺麗な枠で囲んだり、もっとフレンドリーなチラシにしたいのですが、
            それにはワードを使ったほうがよいようです。
            これからワードも勉強して、この堅苦しい雰囲気のチラシをなんとかしたいとは思っています。
            しか~し! 美竹教会の中でどなたか、簡単にワードの使いこなし方を教えてくれる方はいないでしょうか。
            何よりも「ゆうゆうさん、何やってんだか。チラシなら僕に(私に)任せてくださいよ!」という方が現れないでしょうか。
            チラシを作らせていただくことは嬉しいことではありますすが、いつもワンパターンで、憂鬱です。

            ↓私が見習いたいチラシを貼らせていただきます。
            国分寺教会の「これからの行事」「アーカイブ」のなかの「これまでの行事のチラシをご覧ください。
            勝手に参照のリンクを張らせていただきますが、国分寺教会様よろしく、又、ありがとうございます。
            
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「聖書を学ぶ会」 (第二回)

2014-06-18 13:51:58 | 「聖書を学ぶ会」
日曜日の礼拝前、10時から10時20分まで、左近先生が聖書について易しい解説をしてくださいます。
15日は第二回目で、「創世記」1章からの学びでした。


 “護国豊穣”などの日本の神話と「創世記」1章との違い、聖書は言葉をもって作られている。


 エレミヤ書、イザヤ書のこれらの記述はエルサレムが破壊された惨状を表している。

 文書の成立年代は使われている言葉、文体から類推できる。
 例えば“じぇじぇ”という言葉が使われていたら2010年を中心としてそれ以降、と類推される。(NHKの朝ドラから・・・)


 BC6世紀の極限状況の中で「創世記」は文書化された。
 教会で読む聖書は時代状況を知り、当時の人々の心に添って読む。

 「創世記」1章は、神の存在への問い、確認、希望を訊き直す行為であった。

神話についての考え方は難しくて、胸にストンと落ちませんでした。
創世記1章、聖書の神話、エルサレムが陥落し荒廃した状況の中で、人々が依り頼むものを確認するための
神話・・・・・理解するのが難しいです。


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次回、第三回は7月29日の予定で、「創世記」2章です。 
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讃美歌453番

2014-06-17 12:28:51 | 讃美歌
一昨日の礼拝で歌った讃美歌です。 453番 「聞けや、愛の言葉を」

1) 聞けや、愛の言葉を 諸国人(もろくにびと)らの
   罪科(つみとが)を除く 主の御言葉を、主の御言葉を

 繰り返し
   やがて時は来たらん 神の御光(みひかり)の
   普(あまね)く世を照らす 朝(あした)は来たらん

2) 見よや、救いの君を 世のため悩みて
   贖(あがな)いの道を 開きしイェスを 開きしイェスを
 
 繰り返し

3) 歌え、声を合わせて 天地(あめつち)と共に
   喜びに満つる 栄えの歌を 栄えの歌を
 
 繰り返し

H・アーネスト ニコル(1862ー1926、イングランド) 
彼は土木工学の勉学を始めていたのだが、代りに音楽を勉強することを決めた。
1888年に彼はオックスフォード大学から音楽の学士号を取得した。

ニコルは130あまりの讃美歌の作曲や作詞をしたが、多くは(彼のミドルネームとラストネームに由来した)
ペンネーム「コリン•スターン」の名前の下になされた。 
その多くは最初、教会学校のプログラムで歌われた。      (ネットより引用)

1954年に初版が出た「讃美歌」の注には
Colin Sterne作詞 “We've a story to tell”   Henry Ernest Nichol作曲 “MASSAGE” となっていますが、
同じ方が作詞、作曲なさったということのようですね。 (^-^)

ココをクリックすると「讃美歌453番」を聴くことができます。



<ツバメシジミ>でし。 尾状突起が燕尾のようなのが名前の由来?


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「越境する喜び」

2014-06-16 09:52:25 | 説教
昨日、6月15日(日)の礼拝説教 
テキストは「イザヤ書」56章1節~8節と「使徒言行録」10章23節~35節 
タイトルは「越境する喜び」 でした。

カイサリアはローマ帝国の各地から多くの人が集う世界に開かれた国際的な窓口の港町です。 
ここに住むコルネリウスはローマの将校(イタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長)でしたが、
信仰心あつく、絶えず神に祈る人でした。(10:2)
現地の人にもやさしくユダヤ人にも評判の良いコルネリウスはある日、
「ヤッファののペトロと呼ばれる人を招くように」という幻を見ました。
早速、コルネリウスは召し使い二人と信仰心あつい側近の兵士をヤッファに送りました。
 
ペトロのいたヤッファも港町ですが、外国人と口をきくことも憚られるような保守的な町で、
民族主義的愛国的空気に満ちた、どちらかというと重苦しい町でした。 
ペトロもこの時期、幻を見ていました。
汚れた動物の詰まった白い布が天から降りて来て、これを屠って食べるように、という声がしました。 
ペトロは聖書(律法 「レビ記」)で禁じられている汚れた動物は決して食べられないと拒否しました。 
汚れた動物を屠って食べるように、イヤ、できませんという問答はペトロと御使いとの間で、三度繰り返されました。

ペトロは、今見た幻はなんだったのかと、ひとりで思案に暮れました。(10:17)
告げられた通りにしないと自分は救われないのではないか? 神の浄めたものを疑うことは正しいのか? 
しかし汚れた動物を口にすれば自分も汚れて救いに与れないのではないか? 
これまでの教えと、今語られている神の言葉とのせめぎ合いに思いまどったのです。
イエスが捕らえられた裁判所の外で鶏が鳴く前に三度イエスを裏切った自分。 
そんな自分自身に絶望したペトロのことをずっと祈ってくださり、ペトロを赦し、イエスの十字架と
復活の証し人として信者たちの飼い主としての新しい使命を与えて下さったイエス。
お告げの声はイエスの声だったのではないか。
「外から人の口に入るもので汚れたものは無く、口から出る者が人を汚す」と言われた
イエスの言葉を思いおこしていたかもしれません

ペトロは外国人であるコルネリウスの使いの人と言葉を交わし、食事を共にして宿も与えました。
そして、ヤッファの教会のメンバーも一緒にカイサリアに出かけました。
この一歩はペトロのみでなく、後の教会にとっても大きな展開でした。 
世界に船出したキリスト教の原点の一つがここにあります。

コルネリウスは親類や親しい友人を集めて、神の前に集う群れとしてペトロを待っていました。 
コルネリウスたちはペトロを通して神の言葉を聞くために、ペトロは伝道者として、双方共に神の前に立っていました。

外国人と、神の前に分け隔てないと認めることは、あるいはペトロにとっては苦痛を伴うことであったかもしれません。 
汚れたゲテモノを拒否するペトロの心の奥には、全ての人は救われる、と分かっていても
感覚的に受け入れ難いものがあったかもしれません。 
内なる偶像が出来上がっていたかもしれません。
生ける神の働きのみが、この頑なな固い殻を打ち破れるものでした。

神学校の礼拝で語られた言葉ですが、神学校、セミナリウムとは“苗床”を意味します。
硬い殻が腐り破れ、死ぬことによって新たな芽生えを産む。 
古い自分が落ちて死ぬために作られた場所、死ぬことを実践する道場と言われます。

そして、これはセミナリウムだけに当てはまるだけでなく、教会もまた“苗床”で、
私たちの信仰、生き方が問われています。
新しい芽は、固い皮が腐って死んではじめて出てきます。
破れて目覚める喜びに招かれている礼拝で、私たちは共に新たな喜びを与えられます。

コルネリウスとペトロは神の前に招かれ、共に礼拝を捧げてどちらにも喜びが与えられました。

聖書の御言葉は時に違和感を感じたりすることがあっても私たちを変え、本当の平安に導くものです。
パウロは思想的に神学的にこのことを明確に言い表しました。(エフェソ 2:14-22)

実に、キリストはわたしたちの平和であります。 二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。 こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて
平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの身体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 
キリストはおいでになり、遠く離れているあなた方にも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 
それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
したがって、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、
使徒や預言者という土台の上に建てられています。
そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。


共に一つの身体とされ、常に新たにされる一つの群れである私たちにはこの希望が拓かれています。 
今週も御言葉の証人として喜びの人となりましょう。               (文責はゆうゆうにあります。)

カイサリアとヤッファ、港町でも町の雰囲気はまったく違うものだったのですね~
コルネリウスとペトロは神の導きによって共に神の前に立ち、礼拝を共にしました。
このことは、記念すべき出来事、神さまの導き、キリスト教が全世界に開かれてゆくための
出来事の一つだったのですね。

頑なで傲慢で、他人と比べては一喜一憂する愚かな私ですが、固い殻を打ち破っていただいて
今週も主に祈り、導かれて、少しでも御言葉を証しする生活ができますように!



シジュウカラの雛です。
もう一人立ちしたのでしょうか、親鳥から離れ一羽でいました。


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