ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「祈りの心」

2017-05-31 11:33:31 | 説教
5月21日(日)主日礼拝説教
テキストは「マルコによる福音書」14章32節~36節
タイトルは「祈りの心」でした。




「主の祈り」の「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るとき、私は
「神様の御心は測りがたい。私たち人間は様々な願い事、悩み、苦しみ等々、様々な
思い、思惑をもって祈りますが、どうぞ最終的(?)にはこの地において神様の御心が
行われますように」という気持ちで祈っていました。
「神様の御心」は「御子を信じる者が誰一人漏れることなく、終わりに日に救いに与る
こと」なのですね。 
そしてそれをなさしめたのは一人子を賜うほどに人を愛された神様の愛ゆえ、また
苦しい盃を飲まれて十字架にご自分をささげたイエス様の愛のゆえ、なのですね~。

昨年5月に亡くなった夫の一周忌法要が無事おわりました。
思考も体も動きが遅くもなり、年老いた身に何かとせわしい日々が続きます。
「ゆうゆうの教会だより」も滞りがちになりました。 <(_ _)>
これからは頑張って・・・・頑張れるかな? 
拍車がかかって・・・・更にノンビリ更新かな? 
マイペースでいくことにいたします。 よろしくお願いいたします。

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ブログをさぼっている間は、<モッコウバラ>が綺麗な季節でした。
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詩編39編

2017-05-19 19:13:54 | 今日の聖句
真面目な(笑)私はほとんど毎日、新約聖書1章、旧約聖書3章、それに祈りの勉強のために
「詩編」を1編読んでいます。この聖書の読み方は美竹教会の前の牧師、上田先生に勧められました。
今日の詩編は39編でした。
6年前の6月、膵臓がんで亡くなった私の姉が「今の心境よ」と言って私に紹介してくれたのが
「詩編」39編、今日読んだ聖句です。

詩編39編
わたしは言いました。
「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。
神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」
わたしは口を閉ざして沈黙し あまりに黙していたので苦しみがつのり
心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。
「教えてください、主よ、わたしのゆくすえを わたしの生涯はどれ程のものか
いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
ご覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。
御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも すべて虚しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。
あなたに背いたすべての罪からわたしを救い
神を知らぬ者というそしりを受けないようにしてください。
わたしは黙し、口を開きません。 あなたが計らってくださるでしょう。
わたしをさいなむその御手を放してください。
御手に撃たれてわたしは衰え果てました。
あなたに罪を責められ、懲らしめられて、人の欲望など虫けらのようについえます。
ああ、人はみな、空しい。
主よ、わたしの祈りを聞き 助けを求める叫びに耳を傾けてください。
わたしの涙に沈黙していないでください。
わたしは御もとに身を寄せる者 先祖と同じ宿り人。
あなたの目をわたしからそらせ 立ち直らせてください わたしが去り、失われる前に。


姉は最期まで神様を見つめ続け、祈り続ける信仰の生涯を全うしたと私は思っています。
6年前、私はまだ信仰の轍からはずれて放蕩息子状態のシッポを残していました。
姉と信仰について話し合いたかった、信仰について姉に教え導いてほしかった、と悔やまれます。
いつか近い将来、神様の御許に召されて、姉や母に逢いまみえる時を私は楽しみにしています。

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公園の<カキツバタ>です。
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「訪れる日のために」

2017-05-13 13:30:44 | 説教
5月7日の主日礼拝説教
テキストは「ペトロの手紙一」2章11節~12節  タイトルは「訪れる日のために」でした。





『聖なる出会いに打たれることのないままに生きることの寄る辺なさ、本当の恐れを知らぬ
麻痺した魂のもたらす傲慢、それらがどれほどまでに自分を、人を、社会を、世界を、
歴史をむしばみ、ゆがめ、傷めるものであるかを・・・・2000年の床を貫いて私たちに
まず「願わくは、御名を崇めさせたまえ」と祈ることを教えられる。』
『・・・・天に国籍を持つ旅人、それは美しい業を残し「できるならば、我々の生まれた時
よりも、この日本を、この世の中を少しなりともよくして逝きたい」と語った内村鑑三の
言葉に表されるように make the world a better place ・・・・・・』
『普段の働きの中で、訪れる日に向けて、私たち一人一人も、すでにそれぞれの場で生ける
「キリストの香り」とされています。』


今日のお説教は少々難しくて、家に戻ってプリントを二回読み直しました。
“聖なる出会いに打たれることのないままに生きることの寄る辺なさ”の言葉が胸に迫ります。
神様に出会わない人々は何を寄る辺に生きてゆけるのでしょうか。
多くの方が教会に来られますように、神様の福音のみ言葉に出会えますように。

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公園に咲く山野草<ギンラン>です。
今年は小さな株が多く一つ一つがスズランのようです。
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献げ物のカレンダー

2017-05-11 12:15:20 | 聖書
「民数記」28章~29章(献げ物の規定)を読みました。
生きた家畜を屠っての献げ物、少々興味が湧いてこの箇所をまとめてみました・・・・・が! 
途中で、以前もこの箇所をまとめてこのブログにアップしたような気がしてきました。
自分のブログ記事を忘れるなんて、恥ずかしいことですが、聖書は膨大で難しく、何度読んでも
新鮮な書物ですから、私のポカをどうぞ大目にください。
ということで「献げ物のカレンダー」再掲です。<(_ _)>
私の以前の記事をご記憶の方は(お一人もいらっしゃらないと思いますが)どうぞスルーしてください。
献げ物については「レビ記」にも詳しく記述されています。興味のある方はそちらもお読みくださいませ。

*************************************************************************
日ごとの献げ物
無傷の一歳の羊二匹を、日ごとの焼き尽くす献げ物として、毎日、朝夕に一匹ずつ。
上等の小麦粉十分の一エファに上質のオリーブを砕いて取った油四分の一ヒンを混ぜた穀物の献げ物。   
添えるぶどう酒の献げ物として酒を注ぐ。

安息日の献げ物
無傷の一歳の羊二匹をささげ、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物を添える。
日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えるべきものである。

一日(ついたち)の献げ物
毎月のついたちには、若い雄牛二頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として、主にささげる。
雄牛一頭について穀物の献げ物として、オリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について、
穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の二エファ、子羊一匹について、穀物の献げ物として
オリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の一エファをささげる。
それに添えるぶどう酒の献げ物は、雄牛一頭についてぶどう酒二分の一ヒン、雄羊一匹について三分の一ヒン、
子羊一匹について四分の一ヒンとする。
一年を通じて毎月ささげる焼き尽くす献げ物である。
また、日ごとの焼き尽くす献げ物およびぶどう酒の献げ物に加えて贖罪の献げ物として雄山羊一匹を主にささげる。

除酵祭の献げ物
第一の月の十四日は、主の過ぎ越しである。十五日は祭りの日である。あなたたちは七日の間、酵母を入れない
パンを食べる。初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹、すべて傷の無いものを燃やして献げる焼き尽くす献げ物として主にささげる。
雄牛一頭について穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について十分の
二エファ、子羊七匹については、一匹につき十分の一エファを献げる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とし、あなたたちのために罪を贖う儀式を行う。
日ごとの焼き尽くす献げ物の一部として、朝にささげる焼き尽くす献げ物のほかに、以上のものをささげねばならない。
七日の間、毎日、日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えてささげるべきものである。
七日目には聖なる集会を開く。 いかなる仕事もしてはならない。

七週祭の献げ物
初物の日、すなわち七週祭に新穀の献げ物を主にささげるときには、聖なる集会を開く。
いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くすささげものとしてささげる。
雄牛一頭について、穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について
十分の二エファ、子羊七匹については、一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
日ごとの焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物のほかに以上のものを献げる。それにはぶどう酒の献げ物を添える。

第七の月の一日(ついたち)の献げ物
第七の月のついたちには聖なる集会を開く。 いかなる仕事もしてはならない。角笛を吹き鳴らす日である。
若い雄牛一頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を、焼き尽くす献げ物とする。
雄牛一頭について、穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について
十分の二エファ、子羊七匹については、一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹を贖罪の献げ物とし、罪を贖う儀式を行う。
新月に捧げる焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、および日ごとの焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、それに
添えるぶどう酒の献げ物のほかに、以上のものを規定に従ってささげ、燃やして主にささげる宥めの香りとする。

第七の月の十日の献げ物
第七の月の十日には聖なる集会を開く。 苦行をし、いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の羊七彦を焼き尽くす献げ物として。
それらは無傷のものでなければならない。
雄牛一頭について、穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について
十分の二エファ、子羊七匹については、一匹につき十分の一エファをささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。
日ごとの焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、それに添えるぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

第七の月の十五日の献げ物 八日間にわたって献げ物をするようです。
一日目
聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。 
若い雄牛十三頭、雄羊二匹、一歳の羊十四匹を、焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
それらは無傷のものでなければならない。
雄羊十三頭については、一頭につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、
雄羊二匹については、一匹につき十分の二エファ、子羊十四匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。
日ごとの焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

二日目
若い雄牛十二頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのについて、規定の数量の穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物にほかにささげる。

三日目
雄牛十一頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのにつて、規定の数量の穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一頭、贖いの献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

四日目
雄牛十頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

五日目
雄牛九頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

六日目
雄牛八頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

七日目
雄牛七頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、各々について、規定の数量の穀物の
献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物のほか。

八日目
聖なる集まりを開く。 いかなる仕事もしてはならない。
雄牛一頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物とした主にささげ、燃やして宥めの香りとする。 
おのおのについて、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物の他。

以上は祝日に主にささげられるもの。
満願の献げ物や随意の献げ物としてささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物および
和解の献げ物とは別のものである。
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道端に咲く<クビナガヒナゲシ>
雑草だと思いますが、近年よく見かける可憐な花です。
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「主の祈り」

2017-05-06 16:36:24 | 説教 主の祈り
4月30日(日) 主日礼拝の説教
テキストは「マタイによる福音書」6章5節~13節 タイトルは「主の祈り」でした。





神様への祈り、真剣に祈ろうとすると本当に難しく言葉に詰まってしまいます。
賛美や感謝は一行くらいで終わって、そのあとは延々とお願いの祈りになってしまいます。
重い悩みを抱えている私は、そのことを一心に祈りますが、毎朝毎晩、いつもいつも
願い祈っているうちに何となく惰性に流されて、心からの祈りなのに真剣さが薄れています。
お祈りは本当に難しいです。
「主の祈り」はイエス様が私たちに口移しで教えてくださった神様への祈りです。
賛美、感謝、願いのすべてが込められています。
せめて「主の祈り」は何十回、何百回と祈っても心を込めて祈りたいと自戒しています。

実は、左近牧師は時々、礼拝の司会もなさることがあるのですが、礼拝の始まりに祈る
左近牧師の祈りは、本当に、ほんとうに! 心打たれます。
説教のプリントは勿論いただいて嬉しく有難いですが、私は左近先生の礼拝の始まりの
祈りのプリントを頂きたいと思っています。 でも祈りは神様に捧げるその時の心なので
プリントなど論外なのでしょうか? 
祈祷集というものも存在しますから、祈りのプリントも頂けるかもしれません。 
機会があったら左近先生にお尋ねしてみたいです。


可憐な<ネモフィラ> 
神様の身許に召されたアルトマン・ユキコさんに届けたいです。
コメント (2)
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天地創造

2017-05-03 18:07:19 | 今日の聖句
今日の聖句は「創世記」1章1節~13節です。

初めに、神は天地を想像された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。
神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を
芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
夕べがあり、朝があった。第三の日である。
神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に
光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を
治めさせられた。神はそれらを天の大空において、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を
分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。


私と一緒に教文館で聖書を買ったノンクリスチャンの友人が電話で「創世記から読み始めた」
と言っていました。 
彼女がクリスチャンになることは(多分)ないと思います・・・が、嬉しいことです。

混沌とした闇が深淵の面を覆って、神の霊が水の上を動いている・・・・・
「創世記」の書き始めは私の大好きな聖書箇所です。
文学的才能が無い私は、自分の言葉でここを麗しく描写することはできず、読んで想像するだけです。
ここを読むと、私の頭の中にはシベリウスの「トゥオネラの白鳥」という曲が流れ始めるのですが、
「トゥオネラの白鳥」ご存知ですか?

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公園に咲いていた山野草<キンラン>です。
お仲間の<ギンラン>も咲いていました。
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