ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌21 346番「来たれ聖霊よ」

2018-05-25 14:57:13 | 讃美歌
先週のペンテコステ礼拝で歌いました。 

"Holy Spirit, ever living" by Timothy Rees(1874-1939)
 1  Holy Spirit, ever dwelling(living)
    In the holiest realms of light;
    Holy Spirit, ever brooding
    O'er a world of gloom and night,
    Holy Spirit, ever raising
   Those on earth to thrones on high;
   Living, life-imparting Spirit,
   You we praise and magnify.
 2  Holy Spirit, ever living
    As the Church's very life,
    Holy Spirit, ever striving
    Through us in a ceaseless strife,
   Holy Spirit, ever forming
   In the Church the mind of Christ;
   You we praise with endless worship
   For Your gracious gifts unpriced.
作詞者のTimothy Rees (1874-1939), Bishop of Llandaff はウェールズCardiganshire生まれ。
Ardwyn School、Aberystwyth、University of Wales Lampeter、St.David’s College で学んだ。
1896年にB.A.取得。AberdareのSt.Michael’s College で1年学んだ後1897年12月に助祭として叙任され、
その1年後司祭となった。
Mauntain Ash で二年間代理牧師(curate)を務めた後 St.Michael’s College に講師として戻った。
1906年に York のthe Community of the Resurrection at Mirfield に参加し、そこで1931年
Bishop of Llandaffとして任命されるまで務めた。
Llandaff では1939年4月に亡くなるまで司教として務めた。
彼は英語とウェールズ語の素晴らしい語り手であり、讃美歌作者としても尊敬されていた。
"Holy Spirit, ever living as the church’s very life”
"God is love, let heaven adore him”"O crucified Redeemer” 等いくつかの讃美歌を作詞した。
1914年から1919年までの5年間、軍(the Forces)のChaplain(従軍牧師)を務めM.C.(?)を授与された。

この曲は「ABBOT'S LEIGH」という曲で、作曲したのは、Cyril V.Taylor。
彼は英国の司祭の息子、オックスフォードのキリスト教会に通っていた。
その後、イングランド教会で聖職授与され、 ブリストル大聖堂 、そして後にソールズベリー大聖堂(1969-75)の
先唱者*)となった。
第二次世界大戦中、英国放送協会(BBC)の宗教放送のプロデューサーとしてイングランドのアボットリーに駐留して
いた時にこの有名な曲「ABBOT'S LEIGH」を書いた。
1953年、Royal School of Church Music がカンタベリーからアディントン・プレイスに移ったとき、
彼は最初の学長になった。
何年もの間、彼はHymns Ancient&Modernのproprietor(所有者、事業主)を務め、2つの補遺版と
New Standard Editionの編集に大きな役割を果たした。
偉大な20世紀の讃美歌を現代讃美歌から除外することは決してできない。
アボットリーは戦時中BBCの本拠があったブリストルの近くの村の名前である。
大胆な旋律の感情表現を持つドラマチックなこの曲は力強い伴奏と堂々としたテンポで斉唱、合唱どちらにも叶う。
*)「先唱者」とか「先唱」という言葉は、共同体によって、使われ方がまちまちのようです。詩編の部分を歌う人や、
  ミサ賛歌の出だしを歌う人を言うところもあれば、聖歌の番号や立ったり座ったりの指示をする人を指す場合も
  あるようです。
ここをクリックすると"Holy Spirit,ever living"の美しい合唱を聴くことができます。
初めての讃美歌で、私は20日の礼拝では全く歌えませんでした。 こんなに美しい曲だったんですね~

  ↓日本語の歌詞です。
   1 来たれ聖霊よ、信ずる群れに、 
     絶えず働きて 命をたまえ。  
     主イエスのこころを こころとなして
     ゆたかなみ恵み、たたえよ、つねに。

   2 強き聖霊よ、 信ずる群れに、
     今も働きて  力をたまえ。
     罪にとらわれし こころをきよめ、
     ゆたかな賜物、与えよ、つねに。

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「長年のご愛顧にお応えして・・・・」と生協からプレゼントされた薔薇。
手入れもされず年々みすぼらしくなって、今年は蕾が四つだけ。 (´Д⊂
出不精の私こそ生協のお陰で飢え死にせずに過ごせています。(^-^)
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「ナホム書」は「12小預言者」の第7番目って?

2018-05-18 23:15:59 | 聖書
毎日読んでいる聖書、旧約聖書は、何度目かの「ナホム書」になりました。
まず先に私の唯一の参考図書「聖書事典」の解説を読みました。


「聖書事典」の「ナホム書」解説文書のはじまり**********
1.正典での位置 本書はヘブライ語正典の第2部「預言者」の後半である「後の預言者」の
第4書「12小預言者」のうち第7番目の書である。*********

そういえば、「ヨナ書」や「ハバクク書」の解説も“正典での位置”から
始まっていました。 今まで、勝手に読み飛ばしていましたが、正典、ヘブライ語正典、第2部「預言者」の後半・・・・?? 
私には何のことやら分かりません。 早速、ネットで検索、検索です。


聖書正典(せいしょせいてん。またはカノン(英: Canon))とは、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。
ユダヤ教ではヘブライ語聖書(一部アラム語)が聖書正典であり、キリスト教では旧約聖書と新約聖書が聖書正典である。

教会会議の基準で、神的な霊感を受けて書かれたと認められた文書群であり、ユダヤ教、正教会、カトリック教会、
プロテスタント、自由主義神学の高等批評でそれぞれ相違がある。
トリエント公会議は聖書正典を旧約46書、新約27書、合計73巻とした。
プロテスタントは旧約39巻、新約27巻の66巻である。
宗教改革時代はカトリック教会とプロテスタント教会の間に、正典の範囲について議論があったが、双方の間に
聖書が絶対の権威を持つことについての異論はなかった。
旧約聖書はキリスト教徒の名称であるため、ユダヤ教では旧約聖書と呼ばない。
また、ユダヤ教では2区分または3区分にわけられる。そのためこの区分をめぐって複数の説が唱えられてきた。

三大区分説
1.律法(トーラー)5巻。 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。
2.預言者(ネヴィイーム)8巻。
    1.前預言者4巻。 ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
    2.後預言者4巻。 イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、12小預言者(ホセア書他。ナホム書はこの7番目)
3.諸書(ケトビーム)11巻。
    1.真理(エメト)3巻。 詩編、箴言、ヨブ記
    2.巻物(メギロート)5巻。 雅歌、ルツ記、哀歌、伝道の書(コヘレトの言葉)、エステル記
    3.その他3巻。 ダニエル書、エズラ記・ネヘミヤ記、歴代誌

フーム、なんとなく分かりました。
「聖書事典」の記述は、この“三大区分説”に則って書かれているのですね。

ところで「教会会議」の基準で決められた、とありますが、「教会会議」って何なのでしょうか? 
また、公会議との違いは?


教会会議(synodもしくはcouncil)とは、教会の会議。通常はキリスト教教会が、教義や管理上の問題を話し合うために催す会議を指す。
公会議は教会全体の会議であるため(あるいはより正確には、会議の参加者たちを教会全体であるとみなす者が集めた会議であるため)にそう呼ばれる。

↓ 公会議についてのより詳しい解説 
公会議とはキリスト教において全世界の教会から司教(主教)等の正規代表者が集まり、
教義・典礼・教会法などについて審議決定する最高会議。
それぞれの公会議は、開催地の名前を伴って~公会議と呼ばれ、同地域で複数回の公会議が行われた場合は
それぞれ第~を冠する。
別称として、世界公会議、エキュメニカル会議、普遍的公会議、全地公会議、総会議、万国公会議などがある。
公会議(公会)に対して、地方ごとに行われる教会会議も存在する。とくに西ヨーロッパにおいて、地方ごとの
教会会議もしばしば公会議 (concilium, council) と称されることがあるが(例:1095年のクレルモン教会会議を
「クレルモン公会議」と称するなど)、世界公会議と、こうした地方ごとに開催された公会議とも呼ばれる教会会議の
性格は異なる。

教会会議のより権威ある最高会議が公会議なのですね。

公会議は新約聖書の使徒行伝にみられるエルサレム会議がそのルーツであるといえる。初代教会では信仰についての議論が
紛糾すると、各地域において代表者が会議を開き、決議を行っていた。だが、アレイオス派の問題が生じるにいたって、
すべての地域の代表による会議の開催が必要となった。そうして開かれたのが最初の公会議である325年の第1ニカイア公会議であった。
以後、多くの公会議が行われているが、場合によっては、後の公会議や教皇の勅令によって、公会議の無効、または議決の
部分的修正がされる場合がある(たとえば449年のエフェソスにおける会議は「公会議」を名乗りつつも、完全に政治的計算から
行われたため、エフェソス強盗会議(陰謀公会)と呼ばれ、公会議の中には数えられていない)。
西方教会においては、1378年の教会大分裂(シスマ)によってローマとアヴィニョンに教皇が並立し、教皇権の混乱と弱体化を
引き起こした。 この事態は教皇首位説のもとでは解決困難であり、公会議にこそ教会の最高決定能力があるとする公会議主義の
主張が台頭した。
1414年のコンスタンツ公会議では公会議主義者の主導によって公会議主義が決議されたが、教皇至上主義派の巻き返しもあって
後のバーゼル公会議では教皇首位説が決議されることになった。
古代から中世まで、この種の宗教会議はしばしば東ローマ帝国の皇帝や時の権力者が召集し、また議長を務めることすらあり、
世俗権力の強力な影響下で議論されることが多かった。そのため、ローマ使徒座を首位とする西方教会(カトリック教会)では、
ローマ教皇(教皇)自ら出席せずにその特使(枢機卿)を派遣して、後に教皇が決議を承認するという形式が慣例となっていた。
しかし、現在のカトリック教会の定める教会法では、教皇による召集が義務となっている。

公会議に関しては、キリスト教の各教派によってその重要性の解釈は異なっている。
•カトリック教会では、325年の第1ニカイア公会議から1962-65年の第2バチカン公会議までの21回の公会議を認めている。
•プロテスタント諸教会は(宗教改革期以降の公会議はもちろんのこと)すべての公会議を認めているわけではないが、
 特に初期の数回の公会議の重要性は認識されている。
 とくに、当時優勢であった異端アリウス主義を大論争のうえ排斥し、アタナシオスらによって三位一体論を公式に採択した
 第1ニカイア公会議(325年)および第1コンスタンティノポリス公会議(381年)、さらに三位一体論が正統的な神学である
 ことの再確認と、キリストの神人両性論が公式に採択されたエフェソス公会議(431年)およびカルケドン公会議(451年)は、
 プロテスタントの全教派を通して最も重要な歴史的な公会議であるとされている。

聖書の三大区分、教会会議と公会議、今日は聖書とキリスト教のお勉強でした。
それにしても覚えられないな~〈´Д⊂

「高等批評」という言葉も初めて、読めば読むほど分からないことばかりてんこ盛り (´Д⊂

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明後日の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨祭)で、礼拝後は祝会です。
皆さま、どうぞお出かけください!


公園の<カキツバタ>も終わりました。
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「ヨナ書」

2018-05-14 16:56:37 | 今日の聖句
今日の聖句 「ヨナ書」4章1節~4章11節 です。

04:01ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。 04:02彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしが
まだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。
わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、
災いをくだそうとしても思い直される方です。 04:03主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも
死ぬ方がましです。」 04:04主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」 04:05そこで、ヨナは都を出て
東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。
04:06すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びて
ヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。
04:07ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。
04:08日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、
ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 04:09神はヨナに言われた。
「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
04:10すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びた
このとうごまの木さえ惜しんでいる。 04:11それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。
そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」


旧約聖書、今日は「ヨナ書」を読みました。

『神は、ヨナに対してアッシリアの都ニネベに行って審判の言葉を語るよう命令する。ところが、預言者としてあろうことか、
ヨナはこの使命の困難を恐れて逃亡する。ヤッファの港に下ってタルシシュ行きの船に乗り込むと間もなく大風が起こって、
船は沈没しそうになる。大風の原因はヨナが神の命令を恐れて逃亡したためであることが明らかになり、ヨナは海に投げ込まれ、
神の遣わした大魚に飲み込まれる。しかしヨナが神に祈ると魚はヨナをニネベの近くに吐き出した。神が再びヨナに命じたので、
ヨナはやむなくニネベの人々に神の審判を告げた。すると予期に反して、王をはじめニネベの人々は断食をして悔い改め、
神は審判を思いとどまった。ヨナにとって神の慈悲は不満であった。なぜ巨悪の都ニネベは赦されたのか、神は自分を
弄んだのではないか。』    聖書事典から(木田献一先生による)ヨナ書のあらすじです。

短いということもありますが、この「ヨナ書」とても親しみを感じます。
ヨナという預言者の神様への話しぶりが率直で正直で可愛らし気があります。
「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」・・・・なんてねえ~(笑)
「ヨナ書」の神様も旧約の威厳ある恐れ多い雰囲気よりずいぶんと優しそうです。
(以前、左近牧師が説教でヨナ書の「恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても
思い直される方です
。」の聖句に言及されたことを思い出しました。)

木田献一先生によると
ヨナ書は 『人間は自分の狭い価値判断で、世界に生起する出来事を不条理とし、神への信頼を拒否するが、
愚かなことである。
 ヨナ書はペルシア時代のユダヤ人の信仰的成熟を示している。』 そうです。

世界に生起する出来事、毎日の身の回りの出来事、なんで? なんで!と思う事がたくさんあります。
思いがけない(不条理?)出来事が多く、不幸と思えること、悲しいこと、苦しいことがたくさんある日常に
「時を得ても得なくても」神様に従って生きるということはどういうことなのか・・・・・
神も仏も無いものかという人間の嘆きはまっとうだよねぇ・・・・・
信仰浅く、傲慢で、愚かな私はそう考える時もあります。
それでも今の私は、神無き世界、主いまさぬ世界を想像する事はできません。
この苦しい世の中を生きて行けるのは信仰があるからだ、と私は信じています。
そして毎日神様に「御心ならばこうして頂きたい、ああしていただきたい」と親しくお話させていただいています。

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親鳥から餌をもらうカラスの幼鳥たち、口の中がまだ赤い。
今の時期の公園や野原では野鳥たちが子育ての真っ最中です。
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「然り、然り」「否、否」って・・・・

2018-05-05 13:46:18 | 分からなかった今日の聖句
分からなかった今日の聖句は 「マタイによる福音書」5章33節~37節です。

05:33「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。
主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。 05:34しかし、わたしは
言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の
玉座である。 05:35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。
エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 05:36また、あなたの
頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
05:37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、
悪い者から出るのである。」


「ヨハネ黙示録」を読み終わって新約聖書は何度目かの「マタイによる福音書」を読み始め、
5章まで読み進みました。
今日の聖句は、1月28日の主日礼拝説教「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」
というタイトルでその説き明かしをお聞きしました。
その時はプリントも読んでわかったつもりだった「然り、然り」「否、否」だったのに、
今日は、やはり、ン?と躓いてしまいました。
神様の名、天、神の玉座、などによって誓いを立てること・・・・・子供の頃よくやりました
「神様、仏様に誓ってそんなことはしないよ!」なんて風に。
神の聖名はそのようにはみだりに口にすべきではない、何故なら、神が私たちをお作りに
なったのであって、神を私たちの道具にするのは許されるものではない。
ゆえに(神の名によって誓うことなどもってのほか)私たちには「そうです、そうです」
「違います、違います」と言う事しかできない(はず)ということなのでしょう・・・・か。
何となく納得できるようで、堅くなった私の頭はなかなか理解してくれません。 (´Д⊂

お時間のある方、宜しかったらどうぞ20180203の記事をお読みください。

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