ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

列王記の王たち(続)

2013-11-30 22:07:23 | 聖書
「列王記下」8章16節~

ユダの王ヨラム
イスラエルの王アハブの子ヨラムの治世第五年にーーヨシャファトがユダの王であったがーー
ユダの王ヨシャファトの子ヨラムが王となった。
彼は三十二歳で王となり、八年間エルサレムで王位にあった。
彼は主の目に悪とされることを行った。しかし、主はその僕ダビデのゆえに、ユダを滅ぼそうとはされなかった。
主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。

ユダの王アハズヤ
イスラエルの王、アハブの子ヨラムの治世第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。
アハズヤは二十二歳で王となり一年間エルサレムで王位にあった。
彼もアハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。


この辺りは読んでいても中々呑み込めません。
「王と預言者」の表を見たり、「よくわかる旧約聖書の歴史」を読んでも混乱します。
お手上げで~す。 (^^;)

9章から、イエフ王朝の記事が始まります。 気を取り直して読み続けましょう。



今シーズン初めてツグミを見ました。 (^-^)


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明日は主日礼拝、午前10時半から始まります。 
第一主日で聖餐式も執り行われます。  どうぞ扉を押して教会の中にお入りください。
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「神殿を建てる」

2013-11-29 22:34:06 | 「先週の講壇より」
先週の礼拝説教の一部が週報に「先週の講壇より」として掲載されました。
テキストは「列王記上」8章27節~32節 & 「ヨハネによる福音書」2章13節~22節 タイトルは「神殿を建てる」でした。

  

  説教の全文が美竹教会のホームページ「9.説教集」に載っています。 皆さま、是非お読みください。



  
  公園のモミジが赤くなりました。 今年は紅葉が早いような・・・・


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エリシャの奇跡

2013-11-28 14:06:29 | 聖書
「列王記下」4章 エリシャの奇跡
預言者エリシャが起こした四つの奇跡物語が記述されています。

〇夫を亡くした妻を助ける話
主を畏れ敬う夫が亡くなると債権者が来て子供二人を奴隷に売ろうとします。
貧しい彼女の家には油の壺が一つあるだけでした。
エリシャは近所の人々皆から器を借りて来させ、借りてきた器がすべていっぱいになるほど
壺から油を注ぎだしました。
油を売って負債を払い、残りで妻と子供の生活が成り立つようにしました。

〇いつもエリシャに食事を勧めるなど親切な婦人は、彼のために家の階上に部屋を作ってくれました。
エリシャは感謝のしるしとして、不妊の彼女に子供ができるようにし、翌年彼女は男の子を生みました。
ところが大きくなったその子はある日「頭が、頭が」と言って死んでしまいます。
ひどく苦しんだ婦人はエリシャを訪ね子供が死んだことを告げました。
エリシャは婦人の家に行き、子どもと二人きりになり子供の上に伏して、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、
手を子供の手に重ねてかがみこむと子供の体は暖かくなって起き上がりました。
婦人はエリシャの足元に身をかがめ、地にひれ伏しました。

〇ギルガルの血が飢饉に見舞われた時のこと、預言者の仲間たちが彼の前に座っていました。
エリシャは従者に煮物を作って預言者にふるまうよう命じました。
野生の瓜をたくさん採ってきた従者は、それが何であるかを知らずに、刻んで人々に食べさせようとしました。
その瓜には死の毒があったのですが、エリシャが麦粉を鍋に入れると有害な者は亡くなりました。

〇一人の男がエリシャに大麦パン二十個と一袋の新しい穀物を持ってきました。
エリシャはそこにいる百人の人々に与えて食べさせるように命じました。
どうしてそんなに大勢に分け与えることができるでしょう、と答える男にエリシャは
「主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」と言いました。
召使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残しました。


新約聖書の福音書に出てくるイエス様の奇跡物語にも同じような話がありますね~ (^-^)



今年も川に<キセキレイ>が戻ってきました。


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教会の扉はあなたに向かって開かれていて、いつも共にいてくださる神がおられます。
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列王記の王たち (続)

2013-11-27 22:40:55 | 今日の聖句
「列王記上」22章41節~53節までにイスラエルとユダの王に関する記述が出てきました。
列王記の王と預言者の一覧表をご参照ください。

ユダの王ヨシャファト
アサの子ヨシャファトは、イスラエルの王アハブの治世第四年にユダの王となった。
ヨシャファトは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間王位にあった。
彼は父アサの道をそのまま進み、主の目にかなう正しいことを行った。
ヨシャファトはイスラエルの王との間に平和を維持した。
その子よラムがヨシャファトに代わって王となった。

イスラエルの王アハズヤ
アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファトの治世第十七年にサマリヤでイスラエルの王となった。
彼は二年間イスラエルの王位にあった。
彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの道を進んだ。
彼はバアルに仕え、その前にひれ伏し、イスラエルの神、主の怒りを招いた。

ここで「列王記上」は終わって「列王記下」に続きます。


「列王記下」2章11節~14節は「エリヤ、天に上げられる」記述があります。

彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。
エリヤは嵐の中を天に上って行った。
エリシャはこれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。
エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。
エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、落ちて来た入谷の外套を取って、
それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言った。
エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。


エリヤは生きたまま天に上げられたようです、その遺体は見つかりませんでした。 (↓ 参照)

エリヤは、最後は死んだとは言われずに、「嵐の中を天に上って行った」と言われている。
そのことから後に、生きたまま天に上ったエリヤが、再び降りて来て、苦しんでいるイスラエルの民を
救ってくれるというメシア思想が発展していった。イエスも一部の人たちからエリヤの再来であると
見られていたことが福音書に記されている。(マタイによる福音書6:14)・・・・・・・・・・・樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」より


3章にはまたイスラエルの王の記述がありますが、その後しばらくは預言者エリシャの記事が続くようです。
旧約聖書は読むだけで精一杯ですね~
歴史を記述するのは難しいのでしょうけれど、イスラエルの歴史、旧約聖書は読むのも大変デス。



今日は公園で<アオバト>に出会えました。 (^-^)


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聖書に興味のある方、ご一緒に旧約聖書を読んで悩んだり喜んだりいたしましょう!
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讃美歌515番

2013-11-26 18:55:27 | 讃美歌
讃美歌515番 「十字架の血に清めぬれば」
先週の説教の主題は自分の力(すなわち自分の血)に頼ることなく、主イエスの十字架の血に依り頼み生きる、
ということでした。
上田先生による御言葉の解き明かしのあと、この讃美歌を歌いました。

1) 十字架の血に 清めぬれば
   来(こ)よとの御声(みこえ)を 我は聞けり
 繰り返し
   主よ我は 今ぞ行く
   十字架の血にて 清め給え

2) 弱き我も 御力(みちから)を得
   この身の汚れを みな拭(ぬぐ)われん  
  繰り返し

3) 真心(まごころ)もて 切(せつ)に祈る
   心に満つるは 主の御恵(みめぐ)み  
  繰り返し

4) ほむべきかな 我が主の愛
   ああ、ほむべきかな 我が主の愛
  繰り返し


↓ ネットから引用させていただいた解説です。 

代表的福音唱歌の一つで、わが国でも明治版の『讃美歌』以来、広く愛唱されてきました。
歌詞、曲ともにLewis Hartsough(1828-1919 米国人)によるものです。
ハートソーはMethodistの牧師としてNew York、Utah、Wyoming、Iowa各州の各地の教会で牧会しました。
ハートソーは、この讃美歌を作った頃 Dwight Lyman Moody & Ira D. Sankeyのリバイバル運動にも同調したと思われ、
この歌も、1872年のIowa州でのリバイバル集会用に書かれたものです。
彼の歌は主として Sankey の 「Sacred Songs and Solos,1878年」に収められました。

「この美しい讃美歌の歌詞と旋律は、最初、月刊誌 Guide to Holiness に発表されました。
そのコピーが英国にいる私に送られるとすぐに、私はこの曲を「Sacred Songs and Solos」に採用しました。
この歌はリバイバル運動の讃美歌として大変役に立ち、しばしば英国、米国の伝道会で決心者を募るときに用いられました。」
・・・・・Ira D. Sankey による --わが人生と福音讃美歌の歴史―1907年-- より

ここをクリックすると讃美歌515番を聴くことができます。 (番号が違いますが、曲、歌詞は全く同じで no problem です。)




公園の<オナガ>


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「生きて働く神」

2013-11-24 22:24:43 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「列王記上」18章30節~40節 タイトルは「生きて働く神」でした。

「わたしに答えて下さい。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、
彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」

37節のエリヤの祈りに主は応えられました。
38節「すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。
これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。


信じるバアルからの応答がなく、火を降らせることができなかったバアルの預言者450人はこの後、
キション川で全員が殺されました。
450人の血が流されることには神ご自身が最も心を痛められたことでした。
人間は何故血を持って贖わなくては分からないのか。
人間の歴史は常に血が流されてきました。
平安な世界は何故やってこないのか。

ソロモンから100年、人々はバアルを崇拝することに慣れ、イスラエルの神への信仰はどん底に落ちていました。
この時のイスラエルの王、アハブは妻イゼベルの影響もあってバアルを信仰し偶像を崇拝していました。
人間の心は偶像の生産工場だと言われますが、人は、金、地位、名誉などを追い求め自分の望むことを偶像とします。
繰り返しバアル預言者の血が流されねばならないのです。

このことは歴史の最初、カインがアベルを殺した兄弟殺しから始まっています。
アベルの血に汚された地上、アベルの血は神に向かって叫び、弟を殺したカインは地をさまようことになりました。

人間はずっと他人の血を求めてきました。
平和の裡に人生を喜び合うことはできません。
神に立ち帰らない限り地上に永遠の都はありません。
イエスの血の力を信じないで自分の血の力(自分の能力、生きる力)を信じる限り、それが弱い時は無気力になり、
強い場合は他人と競い他人の血を流す、本当の平安は来ません。

キリストの十字架の血の力を信じていない点で人間の性(さが)は同じですが、それは空しいことです。
聖書には「血肉は神の地を受け継ぐことあたわず」とあります。
自分の血の力を信じて死ぬことを忘れている人間の愚かさ。
神の血を信じること、それに身を委ねて生きることこそが一番確かなことです。
神は熱心に立ち帰る(心を戻す)ように呼びかけられています。

私が最も感銘を受けた聖句、エゼキエル書33章11節
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。
イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」

私はこの御言葉に救われました。

神は悪人が死ぬのを喜ばれず、神に立ち帰ること求めています。
主は決定的な勝利を十字架の血の力においてなされました。
キリストの血の力を信じて、神に従うことが命の道であり、世の流れや境遇に一喜一憂することなく、
福音の道にまい進することができるのです。
                                 (以上、文責はゆうゆうにあります。)



公園の<カワウ>です。
木のてっぺんのカワウはすっきりして見えます。


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今日は礼拝後、会堂の椅子を拭いて、その後三本のクリスマスツリーの飾りつけと
クリスマス祝会の会場を少し準備しました。
教会学校の子供たちが頑張ってくれました。
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「王と預言者」

2013-11-22 20:40:40 | 聖書
列王記の王たちを列挙するつもりでしたが、以前読んだ本に「王と預言者」の表がありましたので
とりあえず、その表を載せます。
列王記上は16章の「イスラエルの王アハブ」まで王に関する記述がありますが、17章からは
預言者エリヤの話などが入り、王に関する記述は最終章22章「ユダの王ヨシャファト」で再開しています。

  

↑の表は樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」に載っています。
前回、旧約聖書を読んだときに併読した本なのですが、記憶がイマイチ。 (T__T)
齢を取るにつれて読んだ本も忘れるようで、これからはそんなにたくさんの本は要りませんね。
最後は聖書だけでОKになったりして・・・・・・それも寂しいことです。




モミジが赤くなり始めました。
猛暑の記憶消え去らぬ身に、もはや冬の気配とは。
忙しいことです。


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日曜日は教会の扉を開けてお訪ねください。
神様はいつもあなたと共にいて、あなたを見守っていてくださいます。
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列王記の王たち

2013-11-21 23:35:34 | 聖書
ヤロブアム
シロの預言者アヒヤの言葉↓ によって、分裂後のイスラエルの王となりました。
「イスラエルの神、主はこういわれる。『わたしはソロモンの手から王国を裂いて取り上げ、銃の部族をあなたに与える。
ただ一部族だけは、わが僕ダビデのゆえに、またわたしが全部族の中から選んだ都エルサレムのゆえにソロモンのものとする。(中略)
わたしは彼の息子の手から王権を取り上げ、それを十部族と共にあなたに与える。
彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に
絶えず燃え続けるようにする。
だが、わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ』・・・・」

ヤロブアムはべテルとダンに祭壇を設け、金の子牛を祀った
ヤロブアムが王であった期間は二十二年
その子のナダブが代わって王となった

ユダの王レハブアム
ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。
四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。
エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。
その子アビヤムがレハブアムに代わって王となった。

ユダの王アビヤム
ヤロブアム王の治世第十八年にレハブアムの子、アビヤムがユダの王となった。
三年間王位にあった
彼もまた、父ラハブアムが犯したすべての罪をお菓子、その心も父祖ダビデの心のようには自分の神、主と一つではなかった。
その子アサがアビヤムに代わって王となった

ユダの王アサ
イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十年に、ユダの王としてアサが王位につき、四十一年間、王位にあった。
アサは父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。
その子ヨシャファトがアサに代わって王となった。

イスラエルの王ナダブ
ユダの王アサの治世第二年に、ヤロブアムの子アダブがイスラエルの王となり、二年間イスラエルを収めた。
彼は死の目に悪とされることを行って、父と同じ道を歩んだ。
イサカルの家のアヒヤの子バシャは、彼に謀反を起こした。
バシャがナダブを殺し、代わって王となったのは、ユダの王アサの治世第三年のことであった。

イスラエルの王バシャ
彼は主の目に悪とされることを行って、ヤロブアムの道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返した。

イスラエルの王エラ
ユダの王アサの治世第二十六年に、バシャの子エラがティルツァでイスラエルの王となり、二年間王位にあった。
その家臣で戦車隊半分の長であったジムリが謀反を起こした。

イスラエルの王ジムリ
ユダの王アサの治世第二十七年にジムリはエラに代わって王となった。
かれが王位にあったのはわずか七日間だった
ジムリが謀反を起こして王を倒したとの知らせを聞いたすべてのイスラエルは、陣営において軍の司令官オムリをイスラエルの王とした。

イスラエルの王オムリ
ユダの王アサの治世第三十一年にオムリがイスラエルの王となり、十二年間王位にあった。
オムリは主の目に悪とされることを行った。
彼はヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によって主の怒りを招いた。
その子アハブがオムリに代って王となった。

イスラエルの王アハブ
オムリの子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年であった。
アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。
彼はヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕えこれにひれ伏した。
アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。


列王記を読んで、ソロモン以降、バビロン捕囚までの王をまとめてみようと思いました。
今日はイスラエルの王ジムリまでを聖書の記述に従って抜き出してみました。
私もそれなりに忙しい毎日を過ごしていて、一気には読み進めません。
少しずつ抜き書きして、最後にまとめられたら、と思っていますが、サテ、無事に最後までゆけるでしょうか。 (^^;)




黄葉の映り込んだ池を泳ぐ<カイツブリ>


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ヤロブアム

2013-11-20 20:52:44 | 今日の聖句
今日の聖句は「列王記上」12章26節~33節です。

ヤロブアムは心に思った。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。
この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は
再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、
ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」
彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。
見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」
彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。このことは罪の源となった。
民はその一体の子牛を礼拝するためダンまで行った。

彼はまた聖なる高台に神殿を設け、レビ人でない民の中から一部の者を祭司に任じた。
ヤロブアムはユダにある祭に倣って第八の月の十五日に祭を執り行い、自ら祭壇に上った。
ベテルでこのように行って、彼は自分の造った子牛にいけにえをささげ、自分の造った聖なる高台のための祭司をベテルに立てた。
彼は勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に自らベテルに造った祭壇に上った。
彼はイスラエルの人々のために祭を定め、自ら祭壇に上って香をたいた。



列王記は、イスラエル、ユダ王国の展開を歴代の王の治世順に紹介している。
ソロモン以後イスラエル王として19名、ユダの王としては20名が登場するが、それぞれの治世の交代に際して、
王の治世への評価を下して、その王の善悪が明言されている。
善悪の基準は「主の目にかなう」という点におかれている。
善と判断された王としてはヨシヤとヒゼキヤで、北王国(イスラエル)の諸王はほぼすべてが悪とされている。
悪とされる理由としては「ヤロブアムの罪」従うという説明が付加されている。

ヤロブアムは南北王朝分裂に際して、ベテルとダンとにイスラエル王国としての神殿を設けて自ら祭儀を制定、
実施することによってエルサレム神殿祭儀への対抗を示したとされている。

↑以上は「聖書事典」からの抜書きです。

ヤロブアムはソロモンの後、南北に分裂した王国の、北王国(イスラエル)の初代王です。
主の目に適わなかった王・・・・・覚えました! (^-^)




<メジロ>
今夏の猛暑の影響か、今年は都市公園にメジロが少ないような気がします。


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王国分裂の始まり

2013-11-19 23:21:16 | 今日の聖句
今日の聖句は「列王記上」11章3節~10節です。

彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。
ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。
こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。
ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。
ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。
そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。
アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。
また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。
主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。



神はダビデの信仰のゆえにソロモンが生きている間は国を分裂させることはしませんでしたが、息子レハブアムの代になると、
彼はユダの町々に住むイスラエル人に対してのみの王となり、それ以外のすべてのイスラエルの人々はヤロブアムに従い、彼を王としました。
ヤロブアムは最初から神の目に悪とされることを行った王でした。
ダビデが統一した王国はソロモンの時代にほころびを見せ、その息子の代には分裂しました。 
神、主とイスラエル統一王国との蜜月は本当に短い間でした。



公園の水場に<アトリ>の番(つがい)がいました。
いよいよ冬鳥シーズンの始まりでしょうか。 (^-^)


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