山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

四国八十八ヶ所札所めぐりを振り返って(その4)

2021年02月15日 | ちょっとそこまで

四国八十八ヶ所札所36番札所に青龍寺(高知県)があります。

このお寺の名前青龍寺は、空海が中国に渡って学んだお寺の名前です。その折の師が恵果。恵果は、当時中国密教の頂点に立っていたお坊さんです。空海と恵果の出会いの実情はよく分かりませんが、恵果は空海の到着をひそかに待っていたようです。

 恵果は、空海との初めての出会いにおいて「待っていました」と言ったとか・・・? 日本を出る前の空海は、日本ではまだまだ無名に近い存在で、中国行きの学僧に選ばれただけでも不思議なくらい・・・。よほどのパトロン(お金を出す人)がついていなければ行けなかったようです。同じ学僧に最澄がいますが、この方は当時の天皇から信頼もされ、大いに期待を寄せられて出航されたようです。

 最澄が天皇から期待されていたのは、理由があります。当時、仏教は聖徳太子以来国の教えとなっていて仏教を行う僧侶たちは、今で言う最上級の国家公務員でした。しかし、仏教の興隆とともに寺院・僧侶の力が増し結果として堕落も始まっていたようです。

 ここで、本当の仏教とは何か、天皇は最澄に期待したのが日本の仏教の改革です。それなのになぜ無名だった空海が一躍中国において有名になったのか。ここの辺りから、空海という人物の凄さが感じられます。

 当時の船は、海が荒れるとまともな航海ができず、無事に目指す港に句着くには運も幾分作用していたようです。鑑真和上のお話は有名ですね。

 空海や最澄の船も嵐に遇い名も知れぬ(?)港に着きどうしたものかと大いに迷い、困っていたようです。そこで、空海は当時の天皇に手紙をしたためます。

 一筆啓上ではありせんが、字体、文面の素晴らしさ、凄さにトギモを抜かれた役人は、すぐに天皇に届けました。このおかげで、一行は天皇のお墨付きをもらい中国において自由に希望通りの行動が許されることになります。

 問題は、なぜまだ若くて無名の空海が、それほどまでに中国の言葉を自由に使い、素晴らしい文と筆を駆使できたかということです。空海が中国に行くことになる数年前、彼の行動はよく分かっていません。以前彼は、官僚を目指し今で言う「大学」に入っていますが、なぜか1年もせずに中退しています。そして、自然の中で修行を始めたようで、和歌山から奈良そして四国山地の山や海辺を歩いています。

 不思議なのは、中国の文字や言葉、書や文章の工夫などいつどこでどのようにして身につけていったのか?天才といわれるゆえんがこの辺りにあるようです。この辺りが、釈迦と似たところを感じますが、とにかくよく分かりません。

 空海は、修行の結果として超能力を身につけたと言われています。その修行に虚空蔵求聞事法があると言われています。この法をマスターすれば、無限の記憶力を得ると考えられています。

 虚空とは、この宇宙のこと。蔵とは倉(物を入れるところ)。虚空蔵菩薩とは、無限の物を入れられる(入れている)能力を持つ菩薩さんのことです。この菩薩の真言を100万回称えると超記憶力が得られるとされています。

      真言は、ノウボウアキャシャ キャラバヤオン アリキャ マリボリ ソワカです。 

               室戸岬にある御厨人窟(みくろど) 24番最御崎寺が近い

                 

 

 

 

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