年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

「家族」を考えた

2018-06-21 00:00:00 | Weblog
 すべてのものは、生まれ、発展成長し、そして消滅するという法則にのっとれば、まさしく家族にも当てはまるんだろう。


 小野川も一昨日の雨で増水した。堰から落ちる水の音が大きいにもかかわらずウグイスの声はそれを突き破りホ~ホケキョとやかましい。朝の5時半、まだご近所さんは朝の日常生活をスタートしてはいない。
 川のそばに立ち公民館活動で区割りされているわれわれ1班の家を眺めてみるとご夫婦二人だけの家が増えた。ついこの前までそれぞれのご家庭にお子さんが二人三人といられて、背中にランドセルをしょい学校に行ってたものの、いつのまにか「巣」から離れて飛び去っている。

 チュンチュンとスズメの家族だろうか、軒下から聞こえてきた飛んでは戻り、また飛んでは戻る姿を眺めていると親が餌を探しに行ってるんだろうか、チュンチュンの声も朝の空気を突き破る。

 生成⇒発展⇒消滅の法則は家族の歴史にも当てはまるんだろう。

 とーちゃんとかぁちゃんがいて、そして弟と妹の5人家族がいた。4つ離れた妹はフラフラと遊びまわる子だったので一緒に遊んだという記憶がないが弟とはよく遊んだ、よく話していた。ま~るいちゃぶ台を囲み家族でご飯を食べたが台の上のご飯は何品もおかずが出ることはなかったと思う。海のそばだったから魚をよく食べてた。焼き魚であったり煮魚であったり、1~2品でごはんをかき込むようにして3~4回のお代わり。当時の話題は何だったかさっぱり覚えてはいない。笑いあいながら食べてた記憶もない、叱られながら食べてた記憶もない。たしか、早く食べて外に遊びに行く・・ことが大きかったと思う。海に山に近所の友達誘い合い遊んでおった。夏休みになると決まったように大阪のいとこ達がやってきてさなが小さなわが家が海の家と化した。とーちゃんがいてかぁちゃんがいてぶつぶつと何かと文句を言われながら遣り過ごしていたんだろう。それが発展の踏み台。

 その風景が「こころの風景」になってしまった。父が亡くなり、弟が亡くなり、そして母が亡くなった。自分を育んでくれた家族が消滅し、次に私は自分の家族を作った。生成し発展する歴史を踏む。6人家族が形成されてたが、やがて子らは一人の医学生を除きそれぞれが家庭を築いた。我が家はいつの間にか夫婦二人だけになった。つまり自分で作った家族がいつの間にか消滅した感覚。


 奈良の亡くなったおじおばの子供たちもそれぞれ独立離散。いとこの長男は数年前に亡くなり今、次男と三男がいる。でも次男と三男は行き来してはいないと聞く。だからなのだろうか、突然スマホに入った三男の声。三男は岐阜の山奥に所有していた別荘(川魚釣り用の山小屋)を改装して一人で住んでる。Yちゃんである。何年かぶりに聞くYちゃんの声。アニキ、調子が悪いネン、うつ病が再発してなぁ、会社と喧嘩して辞めたんや・・どうしたらエエ、、のこと。病んでおる。

 私の方、受刑者との面接をやってる。社会復帰がスムーズにいくように身柄の面接を繰り返してる。今日は中国地方からの協力雇用事業主さんに来所いただき、採用面接を行う。70分の面接時間は最長であった。ツカレタが採用の許しを得た。

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