年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ホスピタルショッピング

2014-06-22 00:00:00 | Weblog

 セカンドオピニオンのためのドクターショッピングをしているわけではない。自分のすぐ近くの近親者が次々と入院手術をし、お見舞いし続けることが止まらないからである。
 
  で、今日のお見舞いは二人で奈良の義母のもとへ。
 実は、先週の水曜日に右足の大腿骨人工骨頭置換手術をしたばかりである。先週の日曜日にベッドから足をおろし立ち上がった時に手で支えるものがなくそのまま倒れた。その時に骨折し救急車で運ばれたのが橿原市の平成記念病院。奈良県立医科大学付属病院の前にある。

 義母は、妻と母親と同じ手術を受け同じリハビリを受けている。
 この数年の間、病院や医院、診療所をいくつ廻ったんだろうか。数えたことはない。でも病院には医師がいて看護師がいて補助をするスタッフがいるのはみな同じ。おんなじだけれどもみんな違う。その違いはなんだろう・・と考えた。
 言葉なんだろう、と思う。一人一人の患者に対する、あるいはご家族への、それぞれのスタッフさんからの言葉がけなんだろうと思う。医療技術、リハビリ技術の専門分野は自分は知らない。知らないが説明を受ける際の言葉は、みな違う。相手の気持ちを掬い取る言葉。それともう一つ違いを知らされるのは、スタッフの表情、特に笑顔の違いも患者側に立ってみればよく観察することができる。昨年から同じ手術をした県中病院、赤十字病院と橿原の平成記念病院がそれぞれ違っていて、サービス業の中の医療サービス業として客側の視線で見るとこんなに違うのかと考えさせられた。IC、インフォームドコンセントによる患者参加型の医療サービスでもない。治すのは本人の意思なんだろう、病院側はその意思に沿って支援をすることなんだろうと思う。手術をして治してやる、だから俺の言うことを聞けと云わんばかりの上から目線の横柄な医療行為とその医師、反対に患者を真ん中において、限りなく励ましや傾聴、医療技術で支える病院側の差異は、いったいどこから生まれるんだろう。hospitalityを考えた。
 ここもPT・OT・STさんは100人ほどいられるとお聞きした。妻や母親が入院した松リハと同様にみな若い人であった。患者さんとゆっくり丁寧に笑顔で接している。コミュニケーションを大切にしている現場を見せていただくと、妻も安心しておる。
 おりしも、長男が金曜土曜日に横浜みなとみらいで世界作業療法学会に出席しているとメールがあったけれど、世界的にはリハにおいてどのようなことが議論されているのだろうか。
   阿倍野ハルカスはやっぱり高かった。3月オープン前にはこのビルで就労する従業員○千人が、いまだ募集人員に達していない、などと報じられていたけれど、今どうなんだろう。サービス業にあるだけに、やっぱり人に依るに違いない。
(札幌の次男から・孫のY君と月寒のスケートリンクでスケートをやっている、と。近鉄百貨店地下の食品売り場でウロウロしていると、九州の4男からも連絡あり。雨につきサッカー練習なし。朝から部屋の片づけをやったとか。そして酢豚の作り方を教えてほしいと妻に教えを乞う電話。3男の様子は、お嫁さんのつわりによる食欲がないことの心配中。みんなそれぞれの地方での生活の様子)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿