年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

読書の秋

2016-09-15 00:00:00 | Weblog
 銀杏が少し色づいた。

 田舎モンとさげすむ言葉がある。自分の現職時代、東京での会議に出席するたびごと九州地区や中四国地区の出席者には何度か浴びせられた言葉である。もちろん発信する方は東京在住ではあるが地方から異動していた人。だから浴びせられても所詮田舎モンどうしではある。この言葉には罵倒するから可愛がるまで表現によって受け取り方が違ってくる。一言で言えば、仕事の出来ない幹部は田舎モンなどと拒絶されていたようだが、同じような仕事ぶりである自分には云われたことがないように思う。そう思うのは可愛がってるんだろうと解釈していたから。所詮自分も田舎モンではあるが・・。


 50年ぶりに読んだ夏目漱石の「坊ちゃん」のこと。東京から舞い降りた先が田舎モンの集散地四国松山のこと。船に乗りマッチ箱の汽車に揺られやって来た。当然価値観が違う世界に舞い降りた「おれ」。
 「おれ」の周りにいるたぬきの校長や赤シャツ・教頭のおべんちゃら腰ぎんちゃく・野だいこ、うらなりを振ったマドンナ、それに東北の人山嵐、そして清の人間模様



 このような似た人は当地にゴロゴロいる、今もいる。今までにたくさんいた。この中に入っていけない「おれ」が、ロープウェイ街にあるこの撮影用人形に当てはまる人と生活すると・・・そりゃ「おれ」は調子が狂うワナ。で、
たぶん心療内科に行くと
 適応障害と云われるのではないか・・・
(大辞林 第三版)自らの欲求が,自分の外的・内的状況にうまく適応できないこと。欲求不満や心身症・神経症の原因となる





 「おれ」を理解してくれる「清」を東京においてやって来たものの1ヶ月も経たないうちに、田舎くさい赴任地をこき下ろさざるを得ないワケはどこに原因があるのだろうかと・・。「郷に入れば郷に従え」の訓えは「清」からもらっていないだろう。

 確かマドンナのような人もいた。でも数十年経ち年を重ねたそのマドンナ達が、幸福の最上位にいて万事すべて人生うまくいっていると思うことはない。人それぞれに山あり谷ありの航跡があるのを聞いている。そのようなことが話の中心になるであろう「坊ちゃん」や「マドンナ」が集まる同級会の案内を受けた。今日の午後、高校同級会出欠のハガキを出した。