年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

送り火

2012-08-15 21:36:21 | Weblog
 6時に家に帰る車の中は、珍しく4男が乗り母親が乗っている。毎年この日にお坊さんが棚経として午後1時過ぎに実家に来ることになっている。しかし出迎えたのは私と妻と妹と義弟の4人である。この時間は、母親は身体がきついこともあり遅れて3男の車で母親と4男を連れてやってきたときは棚経も終わっていた。しかし恒例の?おごちそうを食べる日でもあり妻がスーパーでお寿司など大量に買ってきている。で、昼食のために子供たちがやってきた。特に4男が実家に来ることは珍しく、来るとすぐさま海水パンツに着替えて海に行った。この数年間で4男が夏に泳ぐ姿を見るのは小学生以来ではないだろうか、と思う。
 で、その帰り道の車の中で、母親が4男に向かって話している。今日は67年前に日本が戦争に負けた日、つまり敗戦の日である、と。終戦の感覚ではない、なぜならば当時仁川の日本人町にいて15日の朝、仁川の街の至る所に米軍のMPが街角の要所要所に銃を持ち構えているのを見たことと、港には米軍の駆逐艦が浮かんでいるのも見つけた。これなど以前から敗戦になることを予測していたことでもあるんだろう・・・などと。母親24歳の時の12月に家族全員で内地に引き上げたことなど、そのような話を90過ぎた母親が4男に話しておった。
 戦争は、先の戦争に限らず街が廃墟になるとか、人々が死んでゆくとかではなく、自分が生きてゆくために当面の敵を殺していかねば自分がやられてしまう構図の中で、自分の家族に会うためには相手を殺さなければ自分の家族に会うことができないことに特徴がある。国家や国民の正しい道を見つけて義として戦うことが美しいなどと当たり前に考えていたのは、ついこの間ではなかったか。母親はいつも、この戦争により家族を失い、自分の人生が大きく変わったことなど遠い昔話ではなく昨夜の出来事であったように話しかけてくる。戦争は、いかなる戦争も勝ったとか負けたとかではなく、愛する家族を失うかどうか、また生きて帰ったとしても敵を何人殺して帰ってきたのか、と考えると聞いている4男も返事すら忘れて黙って聴いていた。
 夕方送り火を焚く。