年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

思いは適う

2006-12-09 00:00:00 | Weblog
2006/12/9 (Sat) 思いは敵う

 画家の「熊谷榧」を探して30年が過ぎた。彼女の絵との出会いは、私がネパールの山をうろついての2~3後昭和55年頃の雑誌「岳人」の表紙絵を4年間ほど飾って以来である。畦地梅太郎の版画の世界と何かしら共通している。三番町にある行きつけの「三幸」の社長に雑誌を持っていき美術年鑑から調べてもらったところわからないという、ただ熊谷守一氏の娘さんではないだろうかとお聞きしてから30年が過ぎた。それ以来家のトイレ内に飾っている畦地梅太郎さんの1号大の版画を見るたびに榧さんの名前は頭の隅にあった。
 今晩は池袋で泊まることにした。立教大学で第4回目のキャリアコンサルタント全国大会があるために。この大会にリクエストしたコースはメンタリングによる発達支援のプログラムである。家を早めに出て午後の散策時間を作ろうと思った。前日池袋界隈の名所旧跡をネットで調べていると、オッ、なんと要町に「熊谷守一美術館」があるではないか。しかも、館主は熊谷榧とある。これは何をさておいても行かねばならぬと思った次第。グーゼングーゼンでラッキー。30数年前のあだ討ち状態。冷たいまとわりつくような雨が降る中、池袋駅からとぼとぼ歩いて閑静な住宅街を通り豊島区千早にある「熊谷守一美術館」に行く。確かに守一氏の絵には吸い込まれるものがあった。何か書いてある対象の人物や動物がそのまま内側から表出されているような感じ。説明して頂いた受付の若い美人さんからは、気に入らないことは一切されない人であった、自由気ままな生活を好んでいた。だから忠義を誓う犬の絵は書かなくて猫の絵を書くことのほうが好きであった、などと聞かされた。守一氏の三女である榧さんの山の絵やカップなど焼き物や塑像を見ても父親と共通しているものがあると思った。素朴で飾り気がなくありのままにそこにある感じがして。彼女が創作された水彩画やブロンズ像や焼き物が展示されている1階の「カフェギャラリー榧」で榧さんが焼かれたごつごつしたコーヒーカップでコーヒーを入れてもらった。するとそこへひょっこり熊谷榧先生本人が外から帰ってきた。早速自己紹介をして岳人の表紙を見て以来30年のファンであることを話すと快く買い求めた彼女の絵葉書にサインをしていただいた。思いは通ずる。長年思い続けていた画家に会えた。海外旅行が多いとお聞きした彼女はつい最近ペルーから帰ったばかりだとか、お元気な様子であった。年は今年77になるという。