YS Journal アメリカからの雑感

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エホバの証人

2011-03-22 18:51:49 | 雑記
ここ3年程、週末(日曜日が多いと思う)に2ヶ月に一回くらいのペースで、「エホバの証人」の宣教訪問を受けている。40歳位の感じの良いアメリカ人で、いつも控えめに出版物を渡してくる。例によって、常に2人組。彼の子供が一緒だったり、奥さんが一緒だったりする。(数ヶ月前は日本人の人も来たのだが、このアメリカ人とは全然別系統の様だった)

合う回数が増える度に親近感が増すもので、玄関先での数分の会話ではあるが、少しづつそれらしい話もする様になった。キリスト教に興味がある事と言っているものの、「エホバの証人」の教え、特に輸血拒否等については否定的である事をハッキリ表明しており、お互いにそのような理解の上で、会話をしている。

先週末の日曜日は、日本での地震が話題となり、マタイの福音書の一節を教えてもらった。(これでも一応、聖書は、英語版(Holy Bible New Living Translation、子供用に簡単な聖書絵本(?)を買った時に自分用に購入)と日本語版(リビングバイブル、これは貰いもの)を持っている)

それは、Matthew 28:2 (マタイの福音書28章2節)であった。イエス復活の場面だ。

Suddenly there was a great earthquake! For an angel of the Lord came down from heaven, rolled aside the stone, and sat on it. (突然、大きな地震が起きました。主の使いが天から下って来て、墓の入り口から石を転がし、その上に座ったからです)

聖書には、地震が19回(20回とも)出てくるらしい。そんな事を調べていたら、今回の地震、津波(そして原発事故)が3月11日に起きた事で、マタイの福音書3章11節と12節を指摘しているものを偶然発見

Matthew 3:11&12

“I baptize you with water for repentance. But after me comes one who is more powerful than I, whose sandals I am not worthy to carry. He will baptize you with the Holy Spirit and fire. His winnowing fork is in his hand, and he will clear his threshing floor, gathering his wheat into the barn and burning up the chaff with unquenchable fire." (「私は、あなたがたが改心するために、水でバプテスマを授けているが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方だ。私にはその方のはきものを運ぶ値うちもない。その方は、あなたがたに御霊(みたま)と火でバプテスマをお授けになる。手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまで、掃き清めて、麦を倉に納め、もみ殻を消えない火で焼き尽くされる。」(英語版いろいろ微妙に違うので、日本訳もいろいろ))

私は、これらを結びつけたりする気はないのであるが、改めて聖書の内容の幅広さ、深さに感動した。(罰当たりな私は、未だに聖書(特に旧約)は、素晴らしい想像力で書かれた作品であると言う意識が強い)

彼が来た前夜、土曜の夜に、たまたま聖書を取り出し「ヨブ記」を再読していた。日本人的には有り得ない、神とサタンとの取引(?)により苦しめられるヨブ。聖書の中の神は荒々しい。今回の日本の事を考えてオーバーフローした頭を落ち着かせる為に、なぜか「ヨブ記」を紐解く気になったのである。

私が、キリスト教に帰依する事はまず無いと思う。(「エホバの証人」は尚更)宗教のもつ独特の窮屈さがどうしても馴染まない。宗教を "way of life" と認識しているので、自分が育った日本人としての凡庸で土着的な感覚が、自分にとっての宗教だと思っている。一方で、この感覚とキリスト教の重なり合う所が多いのに驚いたりするのである。アメリカでの生活が長くなった事で、キリスト教的な "way of life" が染み付いてきたとも考えられるが、違和感が無いのでる。

心の拠り所となるものは、仏教でも神道でも、その他の宗教にもあるのだろう。自分にとってそれは読むという行為で、クリスチャンでもないのに、偶然「ヨブ記』だっただけだ。(その上、英語版の "Job" はキチンと読んでいない)

まあ、一家に一冊、聖書があっても罰はあたらないと思う。