暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一五

2011年02月05日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一五
 このころ、伊丹郷町に商才に長けた傑出した人物がいた。
 梶曲阜(かじきょくふ)と言い、通称を大和田屋金兵衛、俳句の号を照顔齋(てるがおさい)
と言った。上島鬼面(うえしまおにつら)を意識した号である。猪名野神社の境内には大和田屋金兵衛の名で寄進した立派な燈籠があり、多くの諸国の俳人と交わっている。
 與鹿を伊丹郷町に招いたのは。【劔菱】の酒造家である坂上桐陰、それにこの照顔齋の意見が強かった。劔菱は、頼山陽が最も好んだ伊丹の酒で、母親を伴ってきたときには母には白雪を進めたと伝わる。当時の醸造は現在と違って管理が難しく、苦労して仕込んでも腐敗してしまうというようなことも少なくなかった。そのため、劔菱では醸造にあたっては、大阪府の西国四十八箇所の一ヶ寺、勝尾寺に近い箕面の滝の水を寒中に酌んで加えた。劔菱の剣は箕面の滝不動明王の倶利伽羅(剣)であり、飾樽(化粧樽)の中央に剣、右上に瀧水、左には伊丹の銘酒であることを示す、【丹醸】の文字がある。文人好みの酒といわれ、愛飲家が多いが、現在は、灘の酒になっている。

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