暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (三九二)

2013年06月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (三九二)
 これは仮説です。
 国境として神を祀れないことは、【大和朝廷】は、はなはだ困惑したことでしょうが、これの対案として策定されたのが佛教導入だったと考えられます。これに賛同したのが【聖徳太子】と【蘇我氏】だったと推定されます。聖徳太子、蘇我氏ともに韓半島(朝鮮半島)からの渡来人だったと推察されます。

玉依姫 様 (三九一)

2013年06月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (三九一)
 これは仮説です。
 新設された【大和朝廷】の初期には日本の国内に立てた、かりそめの【韓王朝(百濟王朝)】ともいえるような形態だったのではないでしょうか。しかし、当初は脆弱に見えた【大和朝廷(韓王朝)】は、渡来氏族の心のよりどころとして、厚い支持があり以外に強固なものへと発展してゆきました。初期には【大和朝廷】は、従来どおり神を祀る祭政一致の政治を行ったと推定されます。瀬戸内の大三島に祭られる、【大山祗神社】は、鷲ヶ頭山(四三六・五メートル)を御神体山とする神社ですが、社記では、スイコテンノウ(推古女帝)二年(五九四)の創祀と伝えられます。【大和朝廷】このころにはまだ神を祀っていたと考えられますが、意外なところで躓くことになりました。海神系・綿津見氏が祖神の引渡しを拒んだと考えられることです。

玉依姫 様 (三九〇)

2013年06月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (三九〇)
 これは仮説です。
 大和(奈良県)に新設された大和朝廷は、おそらく【百濟の貴人】すなわち、【皇極天皇女帝】がたてられたと推定されます。しかしこの当時は出雲市の衰退に伴い、従来は【日氏】とともにしていた【物部氏】が、出雲市と密接であったことから韓半島(朝鮮半島)では【物部氏】を【倭王】と考えていた形跡があります。それは七支刀の銘文が「上位にあるものが下位にある物部氏に下賜する……」といったないようになっていることからもうかがえます。
 各國におかれた出雲氏の武人を統率していたのが【大物氏】と推察します。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・上毛三碑・山名城址・根小屋城址
2013/6/4(火) 午後 2:13
... このことは、大和朝廷の支配が古代東国まで及んでいたことを表している。  古墳では6世紀後半の七輿古墳 ... 【銘文】                        辛己歳集月三 ... 刀自孫物部君午足次 [馬爪] 刀自次□ [馬爪 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/citizen8823/11096824.html
・建長寺    神奈川県鎌倉市
2011/3/4(金) 午前 11:17
... 【 梵 鐘 】 1255年(建長7年)に、大和権守物部重光が鋳造したもの↑で、大覚禅師による建長寺の銘文が浮彫りにされている名鐘です。 (国宝)  重要文化財の 仏 殿 の中にある、【本尊 地 蔵 菩 薩 像】↑ です。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/yahhoyahho3podayo/62856739.html
・箸墓再考②~石上神宮と四道将軍
2009/9/6(日) 午前 2:48
... 皇室や出雲国造と同じ、世襲の忌火職であり、 物部氏の宗家が代々宮司を務めている。 古代大和政権、そして天皇家と所縁が深いだけでなく、 物部氏の祭祀する、もの(物)のふ = 漢 の社 ... 150文字の銘文が発見され、 ワカタケル(雄略天皇)の文字 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/62191067.html
・鎌倉探訪 建長寺3
2009/3/6(金) 午後 7:12
三門の案内板をアップしていませんでした。 読める物とは思いませんけどね。 梵鐘(国宝)重さ2.7t 建長7年(1255)に、大和権守物部重光が鋳造したもので、 大覚禅師による建長禅寺の銘文が浮彫りにされている名鐘です。
http://blogs.yahoo.co.jp/dbxmr184/50156369.html
・石上神宮 
2007/7/1(日) 午後 5:23
... 石上神宮は大和政権の武器庫であったという説もあります。又、物部氏は兵杖を預かる氏族でもあります。  なんといっても有名なのは国宝になっ ... (たち)    七支刀(ななつさやのたち)・・銘文の中に369年に当たると推定される「泰和四年 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nekozero54/48005626.html
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玉依姫 様 (三八九)

2013年06月25日 | 日本の山車
玉依姫 様 (三八九)
 これは仮説です。
 ここからがお尋ねのお答えになります。出雲王国の滅亡は五世紀末ころ。その時期は韓半島(朝鮮半島)の【百濟(くだら)、滅亡は六六〇年】、【高句麗(こうくり)、滅亡は六六八年】とほぼ同じ時期にあたると推定します。この終焉期はまた多くの渡来人が日本に渡った時期ですが、そのなかに先住の渡来人に伝(つて)を求めた氏族が多くカモ氏、秦氏はその有力氏族だったと考えられます。
 カモ氏と百濟王とのかかわりから百濟の高官も大和(奈良県)に集まり、論語、佛教、文字(漢字)、千字文、金属の精錬など、遠く西方の中近東などから、中国、韓(古代朝鮮)の数々の新文化が伝えられ、六世紀ころは日本でも最も進んだ先進文化國だったと考えられます。カモ氏は、百濟からの渡来人を招いて一大勢力となったと推測されます。