暘州通信

日本の山車

◆04212 今別の荒馬踊り 更新

2013年01月30日 | 日本の山車
◆04212 今別の荒馬踊り 更新
□催事 民俗行事 
□所在地 青森県東津軽郡今別町大字今別字今別
□祭は八月上旬
□山車
ねぷた、組佞武多。
□汎論
 今別町は、青森県の【下北半島】とともに本州最北端にあり、先端の竜飛岬は北海道と結ぶ海底トンネルが通じる。石川さゆりさんの【津軽海峡冬景色】はよく知られる。青森県は夏祭のねぷた、ねぶたが多数曳かれるが、その態様は地域によりさまざまに異なり、また地域によってはそれが混在する。山車文化の地域と分布に現れているように考えられる。
 ねぶた、ねぷたの起源は不明といわれるが、熊本県阿蘇神社には【禰牟利奈賀志神事】が行われ、富山県の滑川市には【ねぶた】が行われる。能登半島の【きりこ】、越中福野の【】夜高、越後弥彦神社の行燈、秋田湯沢の行燈などはねぷた、ねぶたの成立と関連があるだろう。
 また五所川原市の【立佞武多・たちねぶた】は、二〇メートルを越える巨大な行燈人形であるが、その来歴には、やはり富山県の【たてもん】の影響があったと考えられる。中世には日本全国に【ねむりながし】とよばれる神事が行われたが、【ねむり】とは、つまり【死】であり、秒駅に罹って、死去するのを防げた三田村鳶魚にはじめられたと考えられる。農作業の妨げとなる睡魔をはらうものではない。【疫病】を祓う神事は【京都祗園祭】に代表される、【八坂神社夏祭】へと集約されて次第に姿を消し、一方で青森のねぷた、ねぶた、佞武多となって、隆盛になったと考えられる。
 今別(いまべつ)の地名の語源は北海道のサロベツとおなじようにアイヌ語であろう。仮説になるが、県内の【三内丸山遺跡】は巨大な縄文遺跡である。縄文人の痕跡は九州韓半島何部から沖縄にまで見止られ、一方南方からの民族は、縄文人と融和し鹿児島県、宮崎県、熊本県などに定住しやがて、韓半島を経て南下した渡来人、さらに中国からの渡来人らの銅戈へと進んだであろうと推定される。
日本各地には現在も感じに置き換えあられない地名、山名、河川名がある。おそらくアイヌ語のカムイと【神・かみ】は語彙発生の語源だろうと考えられる。畢竟、つまるところ、縄文人とはアイヌ民族だったと推定される。
 秦の始皇帝の在位は、紀元前二四七年ー同二一〇年とされるが、その在位中に不老長寿の【ときじくのかぐのこのみ】を求めて徐福に命じ東海へと向かわせたと伝えられる。徐福は日本に渡ったが、日本各地に徐福伝説が伝わり、その上陸地も十ケ所以上が知られる。その場所を地図で見るとほぼ日本を一周しており、青森県にも徐福伝説が残る。つまり、紀元前にはすでに津軽海峡の存在は知られており、あるいは徐福も海峡をわたったとも推定される。
 大和朝廷は、東北を【陸奥・みちのく】と一括したが、大和朝廷以前すでに北方から、北海道、東北地方を席捲し、次第に南下していった縄文人・即、アイヌ人が、日本の先住民族だったことはいずれ証明されるときが来るるであろう。
 【東日流外三郡誌・つがるそとさんぐんし】を偽書として軽視する傾向があるが、軽率だと考える。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・アフリカは地球最後の資源国 
 HIBASIの写真川柳(旅風景・花・世情など気のつくままに) 徒然-雲=感
 http://blogs.yahoo.co.jp/tkb34500x/14818200.html
・江別市野幌のパソコン寺子屋-PCサロンパソコンに困ったら
 パソコン寺子屋備忘録(江別市野幌のパソコン教室) お越し頂き有り難うございます
 http://blogs.yahoo.co.jp/tel0113784948
・メキシコに行く~と決まって、まず、やりたかった事といえばセノーテで、ダイビングする事‥かな~
 miranonnブログ ~ のんびり日常・ときどき旅 ほ~もん、嬉しいです~^^v
 http://blogs.yahoo.co.jp/kanateru992001/9218649.html
・夫婦岩の大注連縄 伊勢市二見町にある夫婦岩は年に3回縄を張り替えています
 つれづれなるままに・・・日常の何気ないことをつづります。 城攻めはじめました
 http://blogs.yahoo.co.jp/kouzyousenki

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