暘州通信

日本の山車

◆00152 石取祭

2011年10月26日 | 日本の山車
◆00152 石取祭
□社名 桑名宗社
□所在地 三重県桑名市本町
□祭神
アマツヒコネノミコト 天津彦根命
アメノクグシビノミコト 天久々斯比乃命
アメノヒワケノミコト 天日別命
春日四柱神
 タケミカヅチノカミ 建御雷神 
 イツキヌシノカミ 齋主神 
 アメノコヤネノミコト 天兒屋根命 
 ヒメカミ 比賣神
□祭は八月上旬
□山車
石取祭車が四一臺曳かれる。
第一組 本町組
・上本町
昭和五年の建造、戦災で焼失。
昭和二三年再建。工匠は小島建設。
彫刻は、二代目森丹渓。
・羽衣連中
大正九年の建造、工匠は佐藤新六。
彫刻は、大正一二年高村光雲。
天幕、胴幕、水引幕は昭和四三年、川島織物の綴織。
・西舩馬町
江戸時代、安政年間の建造と伝わる。工匠は山中甚蔵と推定されている。
彫刻は文久二年(一八六二)。立川和四郎富重。
水引幕、胴幕は明治二〇年に花乃舎唯念の下絵による。
・花街 川口町
明治一八年頃の建造、工匠は山中甚三郎と推定されている。
・花街 江戸町
明治三二年の建造、工匠は小林弥七。
彫刻は石川信光。
明治三七年、小川与六により漆塗仕上げとなる。

第二組 京町組
・片町
昭和六二年の再建、工匠は小島建設。
彫刻は森西鶴、双鶴。
幟は水谷三兆筆による。
・宮通
昭和三〇年の再建、工匠は水谷弥次郎。
彫師は二代目森丹渓。

第二組 京町組
・京町
昭和二八年の再建、工匠は水谷弥次郎。
彫刻は、昭和三三年岩田冬根による。
平成五年に、塗師音により漆塗りと蒔絵が施された。

第三組 三崎通組
・宮北(宮町・北魚町・風呂町)
明治三三年の建造、工匠は山中吉次郎。旧宮町の石採祭車である。
昭和五五年、酒井清により透かし金具を調製。
宮北は旧宮町、北魚町、風呂町と合併し、宮北となった。

第三組 三崎通組
・三崎通
昭和三二年の再建、工匠は谷藤四郎。
彫刻は五代目木澤忠兵衛直次良。
水引幕は、桑名湊と名古屋熱田湊を結んだ通称、七里の渡し。
旧石採祭車は明治三一年の建造だった賀戦災で焼失。
以前は東之組、中之組、西之組からそれぞれ三臺の石採祭車が出ていた。
西之組の石採祭車は、四日市市の富田茂福に譲渡された。

第四組 魚之棚組
・職人町
昭和三二年の再建、工匠は太田清吉。
彫刻は岩田冬根。
平成三年塗師中により漆塗仕上げとなった。このとき三代目森本安之助により、金具が補充された。
・南魚町
南魚町=
明治三三年の再建。
昭和六二年に金具を補充。
工匠は、大島喜右衛門。
彫刻は岩田冬根。
黒漆塗りと蒔絵は塗師音による。
金具は近江屋の調製。
・田町
明治二〇年の建造。
彫刻は明治四三年。作者不明。
平成元年改修。工匠は山中甚三郎と伝わる。
彫刻は名古屋市の野々垣清三郎、地元の小川義休。

第五組 吉津屋組
・吉津屋町
創始期の事情は不明。昭和二五年の再建。
吉津屋町=昭和二五年六月再建。五五年完成。
工匠は森實。
彫刻は森西鶴、晴鶴。
漆塗りは塗師長。
花見、月見図は柴田更波。
幟は服部担風。
・鍛冶町
創始期の事情は不明。昭和二五年の再建。工匠は小島建設。
彫刻は岩田冬根。
平成二年、水引幕を新調。
・入江葭町
創始期の事情は不明。昭和二五年の再建、工匠は黒田利三郎。
彫刻は岩田冬根。
昭和四二年上幕を新調。
幟は服部担風。
平成三年に漆塗りと蒔絵を施す。
第六組 萱町組
・新町
創始期の事情は不明。昭和二九年の再建、工匠は黒田利三郎。
彫刻は岩田冬根。
平成六年、三代目森本安之助により金具が補充された。
・伝馬町
創始期の石採祭車は明治三四年の建造との伝承があるが、昭和二〇年七月の空襲で焼失。金具の一部は現存する。
昭和二五年再建。工匠は小島建設・代表者、五代目小島九右衛門、通称金次郎。
彫刻は昭和四十四年、近江醒ヶ井の森丹渓。
漆塗は塗師中。
平成二年に上幕を新調。
現石採祭車の建造にあたり、桑名市内の坂井に譲渡された。
・萱町
創始期の事情は不明。昭和三六年再建。工匠は森實。
彫刻は近江醒ヶ井二代目森丹渓。

第七組 九丁組
・宝殿町
文化一四年(一八一七)の建造。工匠は野々垣太兵衛、伴利助。
旧臺は四輪の地車(だんじり)だったと伝わるが、明治初期の改修で三輪の石採祭車となった。桑名市では現存する最古の石採祭車である。もともと桑名で建造されたが、長島町にじょうとされていたものを宝殿町が譲り受けたと伝わる。
旧殿町の宝殿町、新宝殿町はともに石採祭車があったが戦災で焼失。
・清水町
昭和三二年の建造。工匠は谷藤四郎。
彫刻は五代目木澤忠兵衛直次良。
平成五年上幕を新調。
旧町は北町、東町、西町に分かれ、江戸中期には各町ごとに祭車があったと伝わる。

第八組 今一色組
詳細不明。
・春日町
・寺町
・堤原
・今中町
・今北町
・今片町
・太一丸

第九組 六丁組、矢田組
・東鍋屋町
創始期の石採祭車は江戸時代の建造で、大正末期に昭和天皇御大典を祝し、新臺建造となったので、員弁町東一色暮明に譲渡された。
昭和三〇年の再建、工匠は森實。
彫刻は岩田冬根、森晴鶴。
昭和六三年に上幕、圖題、布袋和尚を新調。
・西鍋屋町
昭和二四年の再建、工匠は黒田利三郎。
彫刻は昭和三九年、岩田冬根。
平成八年に塗師長により漆塗となった。
・掛樋
昭和二八年の再建、工匠は伊藤幸太郎。
彫刻は小川光久、森西鶴。
・東矢田町
昭和二八年の再建、工匠は水谷弥次郎。
彫刻は井尻翠雲。
昭和六二年に上幕を新調。
・西矢田町
創始期の石採祭車は江戸時代の建造と伝わり、員弁町畑新田の石採祭車がそれだといわれる。
二臺目の石採祭車は明治三六年に建造されたが戦災で焼失した。
減石採祭車は三臺目にあたる。昭和二五年の建造、工匠は森實。
本座人形として、昭和六一年から蘭陵王がのる。
・福江町
昭和二八年の再建、工匠は森實。
彫刻は早瀬景雲、岩田冬根、新美茂登司。
平成二年、酒井清により銀金具を新調。

第十組 馬道組
・東馬道
昭和二七年の再建。工匠は森實。
彫刻は二代目小川光民。
昭和四七年、塗師長による漆掛けが行われた。
・西馬道 馬道二丁目、三丁目
明治三六年五月の建造。大工は小林弥七。
彫刻は初代小川光久。
繊細を免れた数少ない石採祭車で、平成一〇年に大改修が行われた。
・西栄町 栄町、西川原
昭和一二年の建造。工匠は浅野清一。
彫刻は小川光久。
平成八年に改修が行われた。
・新矢田一丁目
昭和三〇年の建造、大工は森實。
彫刻は二代目小川光久、駒田正則。
昭和六一年に塗師長により漆塗。
幟の書は、元桑名市長だった水谷昇筆。
・上野町
昭和二二年の建造、工匠は加藤友弥、高弥。
彫刻は昭和六二年、森西鶴。
昭和五八年に塗師中により漆塗り。蒔絵は西村一勇。
上幕は川島織物の調製。

第十一組 寿中央町組」
・寿町
昭和三四年の建造。工匠は大平庄右衛門、大島喜右衛門。
彫刻は岩田冬根、井尻翠雲。
上幕は小川英織物の調製。
・中央通
昭和三一年の建造、工匠は森實。
彫刻は岩田冬根、森西鶴、双鶴。
昭和六三年に上幕を新調。
・東常盤町
昭和四七年の建造、工匠は浅野真清。
彫刻は昭和四八年、森西鶴、双鶴。
昭和六三年に、上幕圖題朱鷺(とき)を新調。

火災で焼失し、現在は存在しない石取車
・油町
・殿町
・紺屋町
江戸時代建造の石採祭車があったが、明治三〇年代に桑名郡木曽岬町田代新田に譲渡された。
明治三〇年代の建造、組内の工匠の手によるものだったが、昭和二〇年空襲で焼失。
(順不同)
□汎論
 桑名宗社は、延喜式神名帳伊勢國二五三座中、桑名郡十五座中の二座として記載される古社。その一社は、 桑名神社(三崎大明神) 、いま一社は、中臣神社(相殿春日大明神)であり、桑名宗社の名称は桑名神社
と中臣神社の惣社(総社)の意で、春日さんの通称で親しまれる。
 桑名神社の祭神、アマツヒコネノミコト(天津彦根命)は、アマテラスオオミカミとスサノオの誓約(うけい)により、天照大神の八尺勾玉
から生まれた五男神のうちの一柱とされる。アメノクグシビノミコト(天久々斯比乃命)は天津彦根命の子で、古代の桑名首(くわなおびと)の祖神といわれる。アメノヒワケノミコト(天日別命)は、アメフタヱ(ムラクモ)の孫とされ、『伊勢国風土記』逸文では、アメノヒワシノミコト(天日鷲命)とは同一神とされる(異説あり)。アメノヒワシノミコトは、阿波忌部氏の祖とされ、中臣氏(なかとみうじ)は、古代の日本において、忌部氏とともに祭祀を司さどった氏族であり、アメノコヤネノミコト(天児屋命)を祖としている。
 桑名地方の開拓神、中臣氏の祖である春日神を祀る。中臣神社は往古、山上に祀られていたといわれ、アメノコヤネノミコト(天児屋根命)を祭神とし、ヒメカミ(比売神)を祀るが、鹿島神のタケミカヅチノミコト(武甕槌命)、香取神のフツヌシノミコト(経津主命)の神名は見当たらない。東大阪市の枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、中臣氏の支族である、平岡氏の祭祀を起源とし、奈良市の春日大社は、当社より アメノコヤネノミコト(天児屋根命)と、その妃である、ヒメカミ(比売神)を祀っていたが、その分祀を受けて祀ったと伝わる。現在はタケミカヅチノミコト、フツヌシノミコトが祀られるがこれは後祀である。桑名宗社の春日神の祭祀は、枚岡神社とおなじく古い歴史があると考えられる。
 桑名宗社の氏子は十一区に分かれて石採祭車を曳く。「日本一やかましい祭」で知られ、県指定民俗無形文化財に指定されている。