暘州通信

日本の山車

00170 越生祭

2007年08月17日 | 日本の山車
00170 越生祭
埼玉県越生町越生
越生神社
□祭は七月下旬。
山車六臺(山車、屋臺)を曳く。

□山車
・本町ほ組
本座人形は神武天皇。
大正九年の建造。
工匠は亀家清秀。
旧臺・牛若丸は大正八年に毛呂本郷に譲渡。

・仲町 い組
昭和二十九年の建造。
工匠はだし鉄こと山本正太郎、越生の長谷竹松。
旧臺は明治期に川越市志義町の山車を譲り受けたがさらに入間市の志茂町に譲られた。

・上町
人形は豊島佐衛門尉経泰。
明治十九年に建造された、東京都谷中初根町二丁目と上三崎町の山車で、日暮里の諏方神社で曳かれていたものを、大正八年に譲り受けた。

・河原町 ろ組
昭和十二年の建造。

・黒岩町
品座人形は素盞鳴命。
明治二十九年の建造。
明治四十二年熊谷市鎌倉町より譲り受けた。

・新宿町 は組
大正一〇年に青梅市小曽木より譲り受けた。
もと八王子市上八日市町が建造した山車だという。文政一〇年に墨書きがある。

00168 貫前神社祭

2007年08月17日 | 日本の山車
00168貫前神社祭
群馬県富岡市一ノ宮
貫前神社
□祭神
経津主神(フツヌシノカミ)
姫大神(ヒメオオカミ)
□祭は三月中旬(隔年)。
山車六臺を曳く。
□汎論
安閑天皇元年(五三一)、磯部氏の創建といい抜鉾大神、抜鋒大神、一宮抜鉾大明神の別名がある。貫前姫大神(名称不詳)は絶世の美女だったといわれる。
延喜式に明神大社・上野国一之宮と記される由緒ある古社。鎌倉時代の元寇の節は関東祈祷寺だったという。
武田氏、小田原北条氏、徳川家ら武家の信仰が特に篤かったといわれ、現在の社殿は寛永一二年徳川三代将軍家光の造営といわれ、貫前造りの本殿、拝殿、楼門、回廊は国の指定重要文化財に指定されている。
本殿は、外見は単層だが、内に入ると二層という特殊な構造になっている。
境内には藤原太郎秀郷が平将門征伐のさいに植えたと伝える老杉が神木となっている。
一月中旬には作物吉凶を占う御筒粥神事がある。


00165 出町曳山子供歌舞伎

2007年08月17日 | 日本の山車
00165出町曳山子供歌舞伎
富山県砺波市出町
□神明社
□祭は四月中旬。
山車(曳山)は三臺あるが、今は交代で一臺づつを曳き子供歌舞伎を演じる。

□山車(曳山)。
・東町
・中町
・西町

□汎論
浄瑠璃と歌舞伎曳山
当地の歌舞伎曳山を支えてきたものは、「一口浄瑠璃知らぬは男の恥」といわれるほどの浄瑠璃熱だったという。言い伝えによると、水島勝満寺の住職が京都に遊学したさい習い覚え、天保年間(一八三〇ー一八四三)頃に人々に教えたのに始まるといい、門下に中村屋知平、苗加屋三四郎、善政等があった。なかでも中村屋知平は天稟の美声だったといい、京都本願寺へ参詣した折、大阪の本舞臺に立ち、北陸にこのような名人がいたとは!と浪華の人々を驚かせたという。
「出町子供歌舞伎曳山」は、富山県指定無形民俗文化財に指定され、砺波子供歌舞伎曳山振興会により維持されている。
これまで上演された藝題は、「鎌倉三代記三浦別れの段」、「絵本太功記十段目尼ヶ崎の段」、「奥州安達ヶ原三段目袖萩祭文の段」、「御所桜堀川夜討三段目弁慶上使の段」などである。出町神明宮でお祓いお受け、鳥居前で上演したあと、各町内を回り、辻々で上演する。
子供歌舞伎上演に欠かせないのが「後見」の存在で、舞臺で役者の陰(脇)に控えて、演技の補助する。小道具の受け渡し、衣裳のひきぬき、鬘の操作などの世話をする重要な役である。この後見の良悪は、直ちに演技に響くので、演者と同等以上の実力のものが勤める。「ツケ」
演技にめりはりをつけ、見切りを様式的に誇張する。演技の各所で「ツケ木」で「ツケ板」を打つ。打つ人を「ツケ打ち」といい、砺波の子供歌舞伎では後見がつとめる。

□問い合わせ
砺波市商工観光課
電話0763-33-1111