01562 旗鉾と神功皇后
三韓征伐のため仲哀天皇に従って九州にわたった神功皇后は、不幸にも夫君の死去にあい、また身重でもあって、大変な苦境に立たされた。
皇后は鮎を釣って戦果を占ったところ、吉がでたのを嘉し、それから七日七晩の戦勝祈願にはいった。
そのときあらわれたのが尾田(飛騨)の国吾田節の淡郡のだった。
皇后は竹内宿禰らをともなって朝鮮半島に渡り、啓示のとおり戦勝をおさめて凱旋することができた。
神功皇后は戦勝報告とお礼のため重臣を飛騨に使いさせて、戦場から持ち帰った多数の鉾と旗を奉納して感謝したのだった。
旗鉾の地名はこの由来によると伝えられる。
時代はさがって江戸時代、文化8年。
伊勢の地を離れた天照大神がこの旗鉾に降臨された。
お伊勢参りの衆は道を変え、信州安曇野方面から、越前、越中、越後。遠く庄内、出羽、陸奥あたりからも参詣人が押し寄せ、いままで何もなかった街道には店が数百件もたちならび、温泉宿が開業。街道筋にあたる高山市(旧丹生川村)大谷には茶屋屋敷、
大鳥居も三ヶ所たち大賑わいとなった。
京都から寺社奉行常陸守が取調べのため出向し、宿に当てられた民家ではあらたに増築して役人を迎えた。
数年後、天照大神は伊勢の地に戻られ、あたりはもとのしずかなたたずまいに戻った。
参考
神功皇后
・舟鉾 京都祇園祭
・神功皇后 神功皇后山からくり 滋賀県大津市大津祭
・金鳳臺 岐阜県高山市下一之町 櫻山八幡祭(秋の高山祭)
・神功皇后山 名古屋市緑区 有松祭
三韓征伐のため仲哀天皇に従って九州にわたった神功皇后は、不幸にも夫君の死去にあい、また身重でもあって、大変な苦境に立たされた。
皇后は鮎を釣って戦果を占ったところ、吉がでたのを嘉し、それから七日七晩の戦勝祈願にはいった。
そのときあらわれたのが尾田(飛騨)の国吾田節の淡郡のだった。
皇后は竹内宿禰らをともなって朝鮮半島に渡り、啓示のとおり戦勝をおさめて凱旋することができた。
神功皇后は戦勝報告とお礼のため重臣を飛騨に使いさせて、戦場から持ち帰った多数の鉾と旗を奉納して感謝したのだった。
旗鉾の地名はこの由来によると伝えられる。
時代はさがって江戸時代、文化8年。
伊勢の地を離れた天照大神がこの旗鉾に降臨された。
お伊勢参りの衆は道を変え、信州安曇野方面から、越前、越中、越後。遠く庄内、出羽、陸奥あたりからも参詣人が押し寄せ、いままで何もなかった街道には店が数百件もたちならび、温泉宿が開業。街道筋にあたる高山市(旧丹生川村)大谷には茶屋屋敷、
大鳥居も三ヶ所たち大賑わいとなった。
京都から寺社奉行常陸守が取調べのため出向し、宿に当てられた民家ではあらたに増築して役人を迎えた。
数年後、天照大神は伊勢の地に戻られ、あたりはもとのしずかなたたずまいに戻った。
参考
神功皇后
・舟鉾 京都祇園祭
・神功皇后 神功皇后山からくり 滋賀県大津市大津祭
・金鳳臺 岐阜県高山市下一之町 櫻山八幡祭(秋の高山祭)
・神功皇后山 名古屋市緑区 有松祭