01613 深志神社祭
松本市深志
深志神社
祭は7月下旬。
舞臺ととぶ山車18臺を曳く
■山車
・本町1丁目
昭和17年7月25日の建造。
彫師は富山県井波の大島五雲
錺師は、やはり富山県高岡の山内平吉。
・本町2丁目
昭和9年7月23日の建造。
工匠はは清水湧水。彫刻はマ松本館を設計した、市内の太田南海。
塗師は古畑苔園。金具は橋本菊太郎商店。
創建は寛政年間といわれ、天保8年に梓川村北大妻に譲渡されたが、いまも現存する。
天保9年(1838)煮再建された山車は大町市大黒町に譲渡された。
・本町3丁目
昭和13年7月の建造。設計と彫刻は太田南海。工匠は川崎喜。
塗は巣山義太郎。
・本町4丁目
明治初期の建造。神功皇后の人形がのる。
・本町5丁目
明治初期の建造。
・伊勢町1丁目
明治25年頃に高山から取得したといわれるが、山車の形式が高山の屋臺とは異なる。
仮に飛騨の匠の手にかかるものなら出作りと推定される。今後の検討を要する。
大黒天の人形がのる。
・伊勢町2丁目
建造年不詳。この屋臺も高山から取得したといわれる。松本の山車には飛騨春慶の塗りが施されたものがあり、筑摩県としておなじ県内であった高山とのかかわりは十分考えられる。彫刻は原田蒼渓。
・伊勢町3丁目
明治25年の建造。工匠は坂巻儀平。
・中町1丁目
昭和9年建造。
大工、彫師、人形師は不詳。人形は旧臺に飾られていた猩々。
先の山車は塩尻市に譲渡された。
・中町2丁目
明治45年7月の建造。彫刻は太田鶴斎、太田南海、清水湧水。
人形は神武天皇で、太田鶴斎の作。
・中町3丁目
明治中期の建造。
・博労町
建造は江戸後期。
彫刻は諏訪の立川和四郎。人形は鐘馗。
・宮村町1丁目
明治中期の建造。彫刻は田中徳斎。人形は須佐之男命。
・飯田町1丁目
明治36年頃の建造。人形は高砂。
・飯田町2丁目
明治5年の建造。人形は蘭陵王。
・小池町
明治27年の建造。工匠は不明だが市内の大工だという。
彫刻はやはり市内の清水湧水。塗は小川久吉。
・六九町、東町2丁目
舞臺は四柱神社秋祭(しんとまつり)にも曳かれる。氏子の地域が重なるが
四柱神社の氏子は安曇野方面にも及んでおり、穂高町から人形が奉納される
。深志神社が現在地に遷座する以前には産土神鎮守として祀られていたことをうかがわせる。
参考
飛騨春慶
・松本市の舞台。
・高山市大新町の鳳凰臺の基臺。
・富山県城端祭の庵屋臺。
松本市深志
深志神社
祭は7月下旬。
舞臺ととぶ山車18臺を曳く
■山車
・本町1丁目
昭和17年7月25日の建造。
彫師は富山県井波の大島五雲
錺師は、やはり富山県高岡の山内平吉。
・本町2丁目
昭和9年7月23日の建造。
工匠はは清水湧水。彫刻はマ松本館を設計した、市内の太田南海。
塗師は古畑苔園。金具は橋本菊太郎商店。
創建は寛政年間といわれ、天保8年に梓川村北大妻に譲渡されたが、いまも現存する。
天保9年(1838)煮再建された山車は大町市大黒町に譲渡された。
・本町3丁目
昭和13年7月の建造。設計と彫刻は太田南海。工匠は川崎喜。
塗は巣山義太郎。
・本町4丁目
明治初期の建造。神功皇后の人形がのる。
・本町5丁目
明治初期の建造。
・伊勢町1丁目
明治25年頃に高山から取得したといわれるが、山車の形式が高山の屋臺とは異なる。
仮に飛騨の匠の手にかかるものなら出作りと推定される。今後の検討を要する。
大黒天の人形がのる。
・伊勢町2丁目
建造年不詳。この屋臺も高山から取得したといわれる。松本の山車には飛騨春慶の塗りが施されたものがあり、筑摩県としておなじ県内であった高山とのかかわりは十分考えられる。彫刻は原田蒼渓。
・伊勢町3丁目
明治25年の建造。工匠は坂巻儀平。
・中町1丁目
昭和9年建造。
大工、彫師、人形師は不詳。人形は旧臺に飾られていた猩々。
先の山車は塩尻市に譲渡された。
・中町2丁目
明治45年7月の建造。彫刻は太田鶴斎、太田南海、清水湧水。
人形は神武天皇で、太田鶴斎の作。
・中町3丁目
明治中期の建造。
・博労町
建造は江戸後期。
彫刻は諏訪の立川和四郎。人形は鐘馗。
・宮村町1丁目
明治中期の建造。彫刻は田中徳斎。人形は須佐之男命。
・飯田町1丁目
明治36年頃の建造。人形は高砂。
・飯田町2丁目
明治5年の建造。人形は蘭陵王。
・小池町
明治27年の建造。工匠は不明だが市内の大工だという。
彫刻はやはり市内の清水湧水。塗は小川久吉。
・六九町、東町2丁目
舞臺は四柱神社秋祭(しんとまつり)にも曳かれる。氏子の地域が重なるが
四柱神社の氏子は安曇野方面にも及んでおり、穂高町から人形が奉納される
。深志神社が現在地に遷座する以前には産土神鎮守として祀られていたことをうかがわせる。
参考
飛騨春慶
・松本市の舞台。
・高山市大新町の鳳凰臺の基臺。
・富山県城端祭の庵屋臺。