一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

これがほんとの日本人

2011-06-06 05:52:33 | 日記
青森県知事選で、原発推進継続派が当選した。これが日本人の姿そのものである。福島県で原発事故が発生しても、そんなの関係ない、と云うことなのだ。日本人が各所で、原発反対を言っている人は、本当の姿ではない。福島県に原発を建設するときにも反対運動はあった。しかし、そこに流れてくるお金と雇用は福島県に多大の貢献をした。従って、原子力発電所はある意味では成功したのである。
日本人が抱いている原子力発電所のイメージ、今回の事故で失った面があったかもしれないが、決して廃絶と云うことではない。青森県は日本を代表しているといっても過言ではない。全国にある原子力発電所をなくそうなどと云う夢のようなことを言っている人たちにとって、青森県知事選は何だったのか。夢と現実は違うのである。
節電はしなければならないが、原発はやはり使わなければならないのだ。幾ら事故が起きても、日本人は建前と本音が違う。いつもそうだが、建前だけで議論をしても始まらない。本音はどうなのかと云うことなのだ。原発事故の処理がまだ終らないうちに始まった青森県知事選、原発推進は雅称理を治めたということは、将来事故が起きても何とかなるという考えなのだろう。よく言われることだが、事故があった後は厳しくなるので事故は起きない、と。甘い夢は事故が起きるまでの間なのだが、起きてから慌てふためく姿は、どのように映るのだろうか。
福島県に原子力発電所が出来てからは、発電所のことなど頭の隅に行ってしまって、支給される補助金だけが目の前に出てくる。このような構図は原子力発電所がある県はすべて同じなのである。別に補助金が悪いといっているのではない。堂々ともらってしかるべきである。しかし、夢のような補助金も、事故が起きると本当の夢になってしまうかもしれないということなのだ。
前にも書いたが、日本人の民主主義観というのは、形だけで中身がないのである。原子力発電所を建設するのなら、もっと防災のことを重視してやればいいのであって、今のようないい加減な設計でやられたのではたまらない。原発に反対する人は、本当に反対なら、原発を使わないという信念を持って欲しい。電力の30%が原発による発電なら、自ら30%節電を継続して欲しい。それが出来なければ、原発反対はウソなのである。それこそ建前と本音の問題。
日本人が抱いている反対運動には、すべて本音と建前があり、原発も全く同じ構図なのである。青森県人は極めて正直であったと思う。但し、青森県で原発事故が発生したときには、それなりの覚悟はしなければならない。当然のことである。泣き言は聞かないし聞きたくもない。
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