一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

原発推進派が益々増えていく日本

2011-06-06 09:32:44 | 日記
青森県知事選で原発推進継続派が当選したことで、今後は益々このような知事が増えていくのではないだろうか。難しいことは考えなくてもいいのである。県の経済が安定すればいいのである。県民がそれで喜べばいいのである。「危険?」そんなことはない。県が安全を保証するといっているではないか。
すべての県で、同じように「県が安全を保証します」といえば、すべての原発は安全なのである。難しい理論は考えない。議論もしない。毎日が楽しく暮らせればそれでよし。文句があるなら自分で電気を作ればいいのだ。これからの日本は、原発事故が起きても皆が知らん顔でいられるから良いではないか。県が安全を保証しているのだから。
これほど楽観的な考えを持つ国民が世界にあるのだろうか。中国もびっくりしているのではないだろうか。これから原子力発電所を沢山造ろうとしている中国、日本人の爪の垢でも飲ませたいだろう。何しろ国民が賛成してくれるというのだから、これほど楽に原子力発電所を造れる国はない。
そこへ行くとドイツ人は大したものだ。原子力発電所を無くそうというのだ。それで足りない電気はフランスから買うのである。お金で解決できるというのは一番手っ取り早い。日本はそうはいかない。電力が足りないからといって、外国から買うことは出来ない。こんな時には陸続きと云うのは便利である。
まあ、しかし、国民が原子力政策について理解を示して賛成してくれたのだから、バンバンザイである。さすがは自民党である。国民を騙すのはうまい。民主党がだらしが無いことに目をつけて、原発賛成派を勝利に導くなんて。このテクニック、民主党は見習わなければならない。戦後65年間政権政党に有っただけに巧妙なテクニックを使った。ご立派。
ということは、電力不足はあまり考えなくてもいいのかもしれない。原子力発電をフル稼働すればいいのだ。去年のあの暑い夏は何とか乗りきれることだろう。これも原子力発電のお蔭なのである。
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これがほんとの日本人

2011-06-06 05:52:33 | 日記
青森県知事選で、原発推進継続派が当選した。これが日本人の姿そのものである。福島県で原発事故が発生しても、そんなの関係ない、と云うことなのだ。日本人が各所で、原発反対を言っている人は、本当の姿ではない。福島県に原発を建設するときにも反対運動はあった。しかし、そこに流れてくるお金と雇用は福島県に多大の貢献をした。従って、原子力発電所はある意味では成功したのである。
日本人が抱いている原子力発電所のイメージ、今回の事故で失った面があったかもしれないが、決して廃絶と云うことではない。青森県は日本を代表しているといっても過言ではない。全国にある原子力発電所をなくそうなどと云う夢のようなことを言っている人たちにとって、青森県知事選は何だったのか。夢と現実は違うのである。
節電はしなければならないが、原発はやはり使わなければならないのだ。幾ら事故が起きても、日本人は建前と本音が違う。いつもそうだが、建前だけで議論をしても始まらない。本音はどうなのかと云うことなのだ。原発事故の処理がまだ終らないうちに始まった青森県知事選、原発推進は雅称理を治めたということは、将来事故が起きても何とかなるという考えなのだろう。よく言われることだが、事故があった後は厳しくなるので事故は起きない、と。甘い夢は事故が起きるまでの間なのだが、起きてから慌てふためく姿は、どのように映るのだろうか。
福島県に原子力発電所が出来てからは、発電所のことなど頭の隅に行ってしまって、支給される補助金だけが目の前に出てくる。このような構図は原子力発電所がある県はすべて同じなのである。別に補助金が悪いといっているのではない。堂々ともらってしかるべきである。しかし、夢のような補助金も、事故が起きると本当の夢になってしまうかもしれないということなのだ。
前にも書いたが、日本人の民主主義観というのは、形だけで中身がないのである。原子力発電所を建設するのなら、もっと防災のことを重視してやればいいのであって、今のようないい加減な設計でやられたのではたまらない。原発に反対する人は、本当に反対なら、原発を使わないという信念を持って欲しい。電力の30%が原発による発電なら、自ら30%節電を継続して欲しい。それが出来なければ、原発反対はウソなのである。それこそ建前と本音の問題。
日本人が抱いている反対運動には、すべて本音と建前があり、原発も全く同じ構図なのである。青森県人は極めて正直であったと思う。但し、青森県で原発事故が発生したときには、それなりの覚悟はしなければならない。当然のことである。泣き言は聞かないし聞きたくもない。
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東南アジアで中国とアメリカが火花を散らす

2011-06-06 04:47:50 | 日記
中国の軍事力を誇示するかのように、東南アジアでは大変な事態になっている。アメリカは中国の出方を覗いながら、中国をけん制している。中近東ではアメリカが出てくると何かと騒動が大きくなり、挙句の果てに戦争にまで発展してしまう。
東南アジアでは、第2次世界大戦後、多くの国が独立を果たした。最も遅かったのがベトナムである。この国の戦争が終ってからは、ある程度の内戦はあったが、大きな戦いになっていない。国境を陸で接していない国にとって、海洋は自国の発展に不可欠なものだ。特に、ベトナム、マレーシア、シンガポール、カンボジア、タイ、インドネシア、フィリピンなどは、海洋なくして国の存在は考えられない。そこに中国が軍事力を持って力で押さえつけようと云うのだから、騒動にならないはずがない。夫々の国が持っている権益が中国によって侵略されるのではないかと恐れるのも当然のことである。
アメリカは、中国が余りにも身勝手な行動をすることから、少しずつ軍事面で協力をしようと云う姿勢を見せ始めている。ベトナム、カンボジアでは失敗してしまったアメリカは、他の国との関係を良好に保ちながらうまくやっていかなければならない。また、中国とも直接衝突することは避けようとしている。
中国をことさら刺激をすることなく、東南アジア各国と良好な関係を保つのは容易ではない。とはいえ、黙ってみていては中国のやり放題になりかねない。アメリカとしては、軍事援助と云う形だけでも何とかしないといけないことが承知している。
軍事力強化を続けている中国が、中華帝国と云う思想を掲げているかのように、力で押し通すことに専念している。中国が外に向ってやろうとしていることが、衝突を招いていることも事実である。このような事態に対して、日本はどのように対処していかなければならないか。今、日本は国内がごたごたしていて、東南アジアのことを心配するどころではない状況にある。
東南アジアに戦禍がなければいいのだが、この先どうなるのか全く解らない。
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