日本三大船祭りの一つ「真鶴・貴船まつり」が始まりました。
「貴船まつり」は、豊漁や無病息災などを祈願する貴船神社の例大祭で350年以上の伝統を誇り、国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統のまつりですが、今年は、台風12号の接近で海上渡御が中止となっていました。
4年前にも強風と高波で豪華な小早船が転覆するという事故が発生していたので、残念ながら止む無しですね
会場の真鶴港に着くと、花形の色とりどりに装飾された豪華な花飾りの東西の小早船は2隻とも陸揚げされたままで、残念ながら左右に船体を揺さぶりながら海上を進む勇壮な光景は見ることが出来ませんでした。
貴船神社に着いたときに、丁度、神社の神輿発輿祭が終わり、山上の社殿から108段の清めの大石階段を神輿が大きな掛け声をかけながら降りてきました。
途中、海神を祀る「龍神社」の前では、公開の安全と大漁を祈願して海上渡御の代わりに、所狭しと右に左に神輿の大揺れの担ぎ踊りが行われました。
約10分間の神輿踊りの後、浜へと大きな掛け声を発しながら降りて行きますが、これぞ貴船祭の神髄と思わせる雄大な姿でした。
神輿を見送って階段を上り本殿へと向かうと、石段の両側に23基づつの立派な石灯籠が並び画になる光景が続いています。
階段を上りきると、鉄筋コンクリートの本殿があり、台風接近による海上安全を祈願してきました。
本殿の周りには、厄除厄祓門や心願成就石が置かれて禊ぎを受けてきました
石階段の途中には、京都伏見稲荷大社より勧請された貴船稲荷社があり、小さな祠が祀られています。
参拝後、真鶴港に戻ると海上渡御は行われないため、真鶴港の海には手漕ぎの神輿船や櫂伝馬船も見られず、渡御の行く先である「お仮殿」へは、街中渡御で進みます。
漁港の山側には、石橋山の合戦で平家に敗れた源頼朝が逃げ込んでいた「しとどの窟」やこの窟(いわや)近くに「鵐(しとど)窟観音」が祀られていました。
岩屋の前には、江戸時代に築かれた品川台場(砲台)に使われた真鶴産の石の「品川台場礎石の碑」が台場から移設されています。
残念ながら海上渡御を見ることなく、ジョグ&ウオークで三石海岸など真鶴半島一周していました。【続く】
「貴船まつり」は、豊漁や無病息災などを祈願する貴船神社の例大祭で350年以上の伝統を誇り、国の重要無形民俗文化財にも指定されている伝統のまつりですが、今年は、台風12号の接近で海上渡御が中止となっていました。
4年前にも強風と高波で豪華な小早船が転覆するという事故が発生していたので、残念ながら止む無しですね
会場の真鶴港に着くと、花形の色とりどりに装飾された豪華な花飾りの東西の小早船は2隻とも陸揚げされたままで、残念ながら左右に船体を揺さぶりながら海上を進む勇壮な光景は見ることが出来ませんでした。
貴船神社に着いたときに、丁度、神社の神輿発輿祭が終わり、山上の社殿から108段の清めの大石階段を神輿が大きな掛け声をかけながら降りてきました。
途中、海神を祀る「龍神社」の前では、公開の安全と大漁を祈願して海上渡御の代わりに、所狭しと右に左に神輿の大揺れの担ぎ踊りが行われました。
約10分間の神輿踊りの後、浜へと大きな掛け声を発しながら降りて行きますが、これぞ貴船祭の神髄と思わせる雄大な姿でした。
神輿を見送って階段を上り本殿へと向かうと、石段の両側に23基づつの立派な石灯籠が並び画になる光景が続いています。
階段を上りきると、鉄筋コンクリートの本殿があり、台風接近による海上安全を祈願してきました。
本殿の周りには、厄除厄祓門や心願成就石が置かれて禊ぎを受けてきました
石階段の途中には、京都伏見稲荷大社より勧請された貴船稲荷社があり、小さな祠が祀られています。
参拝後、真鶴港に戻ると海上渡御は行われないため、真鶴港の海には手漕ぎの神輿船や櫂伝馬船も見られず、渡御の行く先である「お仮殿」へは、街中渡御で進みます。
漁港の山側には、石橋山の合戦で平家に敗れた源頼朝が逃げ込んでいた「しとどの窟」やこの窟(いわや)近くに「鵐(しとど)窟観音」が祀られていました。
岩屋の前には、江戸時代に築かれた品川台場(砲台)に使われた真鶴産の石の「品川台場礎石の碑」が台場から移設されています。
残念ながら海上渡御を見ることなく、ジョグ&ウオークで三石海岸など真鶴半島一周していました。【続く】
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