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MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

8月15日に思う・・・

2008年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も、終戦記念日を迎えて 靖国参拝について 熱い議論が繰り広げらている。

しかし、今年の新聞・テレビなどのマスコミの報道を見ると、何故か例年の様子とは、かなり異なり静かなように思うのは、自分だけだろうか?

今年は、オリンピック報道に紙面や時間を割いているためだろうか?あるいは福田首相の対応の性なのか?

例年は、右も左もここぞとばかりに、自分の主義主張をアピールする日でもある。

ブロガーだけは、相変わらずかしましい。それも年々表現が過激になっているように感じるが?

今年は、映画「靖国 YASUKUNI」の上映についても、いろいろ議論が熱かった。

報道された内容からの判断では、靖国神社の存在を軍国主義と重ね合わせて表現されており、明らかに、政治的思想的な見地からのものと思わざるを得ない。

勿論、表現の自由は 勝手であるが、今 普通の日本人にとっては、靖国参拝が軍国主義の復活などと考えている人はいない。

また、政治家や閣僚が参拝すれば、マスコミは必ず「公人か私人か?」などくだらない質問を繰り返しているが、うんざりである。

テレビも、今年は前述したように 報道は少なかったが、「知識人」や「コメンテイター」「反日家」などが、さも正論らしきことを述べているが、我々多くの一般人には もう沢山だよ。

福田首相も、「相手が嫌がることを敢えてする必要はない」などと、述べているが情けない。

これが、国を代表する人の言葉かと疑いたくなる。

これは、国家の主権の問題である。これじゃいいように相手に利用されるだけではないか?

これじゃ、日本の将来が不安である。

もっと我々国民は、政治家や官僚に任せっぱなしではなく、意識して行動しなければいけないのではないのか?

政治的な思惑やイデオロギーの対象にするのではなく、静かに国のために 尊い命を失った戦没者の御霊に 哀悼の意を表して 平和を願う日であることを願うべきではないのか?

A級戦犯との合祀だとか 分祀だとかの問題も 誰が祀られているかなど 思って手を合わせる人はいないだろう。

靖国神社が、特定宗教団体であるという議論も同じである。

もともと、靖国神社は、国のために奉じた人を弔うために創設された神社である筈だ。

ことしも、静かに靖国にお参りする予定である。

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