この表紙は、潮ビジュアル文庫版ですが、私が持っているのは、潮出版社のハードカバー版。第1巻の第1刷は1988年4月20日となっています。全8巻。
第1巻 カピラヴァストゥ
第2巻 四門出遊
第3巻 ダイバダッタ
第4巻 ウルベーラの森
第5巻 鹿野苑
第6巻 アナンダ
第7巻 アジャセ
第8巻 祇園精舎
第1巻のタイトル「カピラヴァストゥ」とは、ゴータマ・シッダルタが生まれたシャカ国の都の名前です。物語は、シッダルタの誕生のずっと前から説き起こされます。シッダールタは、第1巻の後半、第7章になってようやく誕生する。
冒頭、一切のセリフなしで描かれるエピソードがいきなり衝撃的です。シッダルタの生誕を祝福するアシタ師が、その師である「ゴジャラさま」が体験したこととして弟子たちに紹介するという設定なのですが、このエピソードこそ、この物語全体、つまりブッダの教えを象徴するものとも言えます。
そのアシタ師から、「そのナゾのわかる人間、“世界の王”になるべき人を探せ」と命を受けたのが、ナラダッタ。彼もまた、全編にわたって重要な役回りを演じていきます。
ナラダッタは、旅の途中で不思議な能力を持つ浮浪児に出会う。タッタという名のその少年は、動物の体に心を入れ替えることができるのでした。タッタは、カースト制度の中でも、シュードラ(奴隷)よりもさらに身分が低いヴァリアという階級に属していました。彼は生きるために、盗みを働くしかありません。
ある日、シュードラ(奴隷)のチャプラから反物を奪う。チャプラは奴隷主からこっぴどく叱られ、反物を取り戻してこないと、母親を売り飛ばすと脅される。タッタを探し出したチャプラだが、奪い返すどころか、逆にタッタとその仲間たちに手痛い仕打ちを受けてしまう。しかし、チャプラの母を思う気持ちを知ったタッタは、チャプラが母親を救う手助けをすることになるのです。お得意の、動物の心を操るワザを使って…。
どうやったらそんな力を持てるんだい?というチャプラの問いに対して、タッタはこんなふうに言っています。「人間がトコトンどん底まで苦しんで、あーおいらはケダモノとおんなじだと思いこまなきゃだめだと思うな。」 人間が、「ケダモノとおんなじ」という境地に達するのはとてもむずかしいことだと思います。少なくとも、当時のインドの支配階級であるバラモン(僧侶)やクシャトリヤ(武士・貴族)といった人々にはまったく無理だったことでしょう。タッタは、カーストからもはじき出された人間。そういう社会の最下層に生きる人間だからこそ「ケダモノとおんなじ」と言える。ただし、それは決して動物たちを卑下しているものではなく、人間が、動物たちの方に近づいていっているだけなのですね。イナゴの大群に追われ、食べるものがほとんどなくなってしまった時、偶然見つけたわずかばかりの穀物を、タッタは動物たちにも分けてやる。そんなタッタを見て、ナラダッタは、彼こそ自分が探し求めていた人だと言う…。しかし、それでもなお、タッタがヴァリアだということが、バラモン階級のナラダッタには、腑に落ちない様子。当時、すぐれた人物は、階級も上位でなくてはならない、卑しい階級の人間にそんな人がいるわけがないという思い込みに縛られていたのは、ナラダッタだけではなかったと思います。しかし、シッダールタは、クシャトリヤ階級、しかもシャカ国の王子でありながら、そんな固定観念に縛られてはいなかったのです。
シャカ国は、実は弱小国で、常に近隣の大国に脅かされていました。特に、コーサラ国はシャカ族を支配下に入れるべく、何度もカピラヴァストゥに軍を差し向けていました。ふとしたことからコーサラ軍のブダイ将軍の命を救ったチャプラは、将軍の気に入られるところとなり、シュードラであることを隠して彼の養子になる。足の裏に押されている奴隷の烙印を隠し通しさえすれば、自分もかあさんも幸せになれるチャンスをつかんだのです。
その頃、シャカ国のスッドーダナ王の王妃マーヤは不思議な夢を見ていました。6本のキバを持った白い像が右の脇の下から体の中に入る夢。そして、マーヤは身ごもります。
ひでりと 嵐と 疫病と 飢えの中で インドの人たちは 一度に大勢が死んでいき
そして苦しみながら また立ちあがるのだ
どんなにバラモンが神に祈り どんなに偉大な王がよい政治をしようとしても
この苦しみだけは 人々はまぬがれなかった
ある人々はそれを輪廻というものだと説いた
生きものは 生まれて死に 死んでは生まれ変わり 永遠に輪のようにつづく運命で
苦しみからのがれることはできない…
なぜ人間は苦しむのか、なぜこんな世界があるのか。その答えを持つ偉大な人物がこの世に生を受けようとしていました。ナラダッタも、タッタも、チャプラも、いずれ彼の影響を大きく受けることになっていくのです。(続く…)
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第1巻 カピラヴァストゥ
第2巻 四門出遊
第3巻 ダイバダッタ
第4巻 ウルベーラの森
第5巻 鹿野苑
第6巻 アナンダ
第7巻 アジャセ
第8巻 祇園精舎
第1巻のタイトル「カピラヴァストゥ」とは、ゴータマ・シッダルタが生まれたシャカ国の都の名前です。物語は、シッダルタの誕生のずっと前から説き起こされます。シッダールタは、第1巻の後半、第7章になってようやく誕生する。
冒頭、一切のセリフなしで描かれるエピソードがいきなり衝撃的です。シッダルタの生誕を祝福するアシタ師が、その師である「ゴジャラさま」が体験したこととして弟子たちに紹介するという設定なのですが、このエピソードこそ、この物語全体、つまりブッダの教えを象徴するものとも言えます。
そのアシタ師から、「そのナゾのわかる人間、“世界の王”になるべき人を探せ」と命を受けたのが、ナラダッタ。彼もまた、全編にわたって重要な役回りを演じていきます。
ナラダッタは、旅の途中で不思議な能力を持つ浮浪児に出会う。タッタという名のその少年は、動物の体に心を入れ替えることができるのでした。タッタは、カースト制度の中でも、シュードラ(奴隷)よりもさらに身分が低いヴァリアという階級に属していました。彼は生きるために、盗みを働くしかありません。
ある日、シュードラ(奴隷)のチャプラから反物を奪う。チャプラは奴隷主からこっぴどく叱られ、反物を取り戻してこないと、母親を売り飛ばすと脅される。タッタを探し出したチャプラだが、奪い返すどころか、逆にタッタとその仲間たちに手痛い仕打ちを受けてしまう。しかし、チャプラの母を思う気持ちを知ったタッタは、チャプラが母親を救う手助けをすることになるのです。お得意の、動物の心を操るワザを使って…。
どうやったらそんな力を持てるんだい?というチャプラの問いに対して、タッタはこんなふうに言っています。「人間がトコトンどん底まで苦しんで、あーおいらはケダモノとおんなじだと思いこまなきゃだめだと思うな。」 人間が、「ケダモノとおんなじ」という境地に達するのはとてもむずかしいことだと思います。少なくとも、当時のインドの支配階級であるバラモン(僧侶)やクシャトリヤ(武士・貴族)といった人々にはまったく無理だったことでしょう。タッタは、カーストからもはじき出された人間。そういう社会の最下層に生きる人間だからこそ「ケダモノとおんなじ」と言える。ただし、それは決して動物たちを卑下しているものではなく、人間が、動物たちの方に近づいていっているだけなのですね。イナゴの大群に追われ、食べるものがほとんどなくなってしまった時、偶然見つけたわずかばかりの穀物を、タッタは動物たちにも分けてやる。そんなタッタを見て、ナラダッタは、彼こそ自分が探し求めていた人だと言う…。しかし、それでもなお、タッタがヴァリアだということが、バラモン階級のナラダッタには、腑に落ちない様子。当時、すぐれた人物は、階級も上位でなくてはならない、卑しい階級の人間にそんな人がいるわけがないという思い込みに縛られていたのは、ナラダッタだけではなかったと思います。しかし、シッダールタは、クシャトリヤ階級、しかもシャカ国の王子でありながら、そんな固定観念に縛られてはいなかったのです。
シャカ国は、実は弱小国で、常に近隣の大国に脅かされていました。特に、コーサラ国はシャカ族を支配下に入れるべく、何度もカピラヴァストゥに軍を差し向けていました。ふとしたことからコーサラ軍のブダイ将軍の命を救ったチャプラは、将軍の気に入られるところとなり、シュードラであることを隠して彼の養子になる。足の裏に押されている奴隷の烙印を隠し通しさえすれば、自分もかあさんも幸せになれるチャンスをつかんだのです。
その頃、シャカ国のスッドーダナ王の王妃マーヤは不思議な夢を見ていました。6本のキバを持った白い像が右の脇の下から体の中に入る夢。そして、マーヤは身ごもります。
ひでりと 嵐と 疫病と 飢えの中で インドの人たちは 一度に大勢が死んでいき
そして苦しみながら また立ちあがるのだ
どんなにバラモンが神に祈り どんなに偉大な王がよい政治をしようとしても
この苦しみだけは 人々はまぬがれなかった
ある人々はそれを輪廻というものだと説いた
生きものは 生まれて死に 死んでは生まれ変わり 永遠に輪のようにつづく運命で
苦しみからのがれることはできない…
なぜ人間は苦しむのか、なぜこんな世界があるのか。その答えを持つ偉大な人物がこの世に生を受けようとしていました。ナラダッタも、タッタも、チャプラも、いずれ彼の影響を大きく受けることになっていくのです。(続く…)
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