赤塚不二夫氏が亡くなりました。
ちょうど、泉麻人の『シェーの時代─「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)を読んでいるところでもあり、いつかはこの日が来るだろうとは思っていましたが、逝去のニュースは大きな衝撃でした。
赤塚不二夫は、「生き方」がもっとも顕著に「仕事」に表れていた人だと思う。自分がハメを外せない人に、あれだけのはちゃめちゃなギャグ漫画は書けないでしょう。だからこそ、他の追随を許さず、「ギャグ漫画の歴史そのもの」とさえ呼ばれる。彼もまた重要な「パイオニア」の一人でした。
『シェーの時代』で、泉氏は、赤塚作品に見られる、コマ割りや時折登場する“変な大人”のキャラクターなど、「漫画としての先進性」についても、例をあげながら分析してくれています。なるほど、と思うことばかりで、改めて赤塚不二夫の偉大さを感じていたところでした。
泉氏は、私より少し世代が上なので、赤塚不二夫といえば、少年サンデー連載の「おそ松くん」(連載開始=昭和37年=1962年)なのですが、私にとって思い出深いのは、「もーれつア太郎」や「天才バカボン」、それからアニメ版の「ひみつのアッコちゃん」でしょうか。
「もーれつア太郎」に出てくるニャロメ、ベシ、ケムンパスは、中でも印象深いキャラクター。ウナギイヌを含めて、「サブキャラ四天王」とでも呼んでおきましょうか。彼らの繰り出すドタバタに腹を抱えて笑い、シュールなセリフにどきっとし、時にはほろりとさせられ、そしてそれは、「赤塚不二夫」にしか作れない世界だったことに、大人になってから気づきました。限りなく人間に近い変な「動物」たちや、弱い子どものキャラクターは、いじめられながらも、たくましく生きようとします。そこに垣間見られるのは、そういう者たちに対する、赤塚不二夫の惜しみない愛情です。
赤塚作品に見られる、「たくましく生きる力」を、今の日本の子どもたちは失いつつあるのでしょうか。もしそうだとしたら、あの時代を赤塚作品でたくましく生きてきた大人たちが、たくましく生きるということはどういうことか、赤塚作品を使って教えてあげるのも悪くはないでしょう。
ちょうど、泉麻人の『シェーの時代─「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)を読んでいるところでもあり、いつかはこの日が来るだろうとは思っていましたが、逝去のニュースは大きな衝撃でした。
赤塚不二夫は、「生き方」がもっとも顕著に「仕事」に表れていた人だと思う。自分がハメを外せない人に、あれだけのはちゃめちゃなギャグ漫画は書けないでしょう。だからこそ、他の追随を許さず、「ギャグ漫画の歴史そのもの」とさえ呼ばれる。彼もまた重要な「パイオニア」の一人でした。
『シェーの時代』で、泉氏は、赤塚作品に見られる、コマ割りや時折登場する“変な大人”のキャラクターなど、「漫画としての先進性」についても、例をあげながら分析してくれています。なるほど、と思うことばかりで、改めて赤塚不二夫の偉大さを感じていたところでした。
泉氏は、私より少し世代が上なので、赤塚不二夫といえば、少年サンデー連載の「おそ松くん」(連載開始=昭和37年=1962年)なのですが、私にとって思い出深いのは、「もーれつア太郎」や「天才バカボン」、それからアニメ版の「ひみつのアッコちゃん」でしょうか。
「もーれつア太郎」に出てくるニャロメ、ベシ、ケムンパスは、中でも印象深いキャラクター。ウナギイヌを含めて、「サブキャラ四天王」とでも呼んでおきましょうか。彼らの繰り出すドタバタに腹を抱えて笑い、シュールなセリフにどきっとし、時にはほろりとさせられ、そしてそれは、「赤塚不二夫」にしか作れない世界だったことに、大人になってから気づきました。限りなく人間に近い変な「動物」たちや、弱い子どものキャラクターは、いじめられながらも、たくましく生きようとします。そこに垣間見られるのは、そういう者たちに対する、赤塚不二夫の惜しみない愛情です。
赤塚作品に見られる、「たくましく生きる力」を、今の日本の子どもたちは失いつつあるのでしょうか。もしそうだとしたら、あの時代を赤塚作品でたくましく生きてきた大人たちが、たくましく生きるということはどういうことか、赤塚作品を使って教えてあげるのも悪くはないでしょう。
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