カクレマショウ

やっぴBLOG

「キングコング」その2─これは古典ですから。

2005-12-18 | ■映画
この映画の舞台は1933年。1930年代の米国といえば、世界恐慌(1929年10月)によって大きなダメージを受けていた時代。失業者が街にあふれ、社会不安が増大していました。闇の世界ではギャングが暗躍する一方で、人々は映画や芝居といった娯楽にわずかな楽しみを見出していました。そんな社会背景が、前半、キングコングが登場するまでの約1時間で描かれていきます。

それにしても、見事に再現された1930年代のニューヨークの街並みには、CGと分かりつつ、感嘆せざるを得ませんでした。パンフレットによれば、9万棟以上のビルが3Dで描かれたのだそうです。ラストシーンはエンパイア・ステート・ビルのてっぺんが舞台となりますので、そこから見下ろすニューヨークの街は42km四方の光景になるのだとか。涙をそそる「朝焼け」も美しかった。しかし、あの空までがバーチャルな作り物だとしたらコワイ。「本物」を見極めることなんかできなくなってしまいそうです。

この映画、「美女と野獣」の純愛映画ととらえることもできるでしょうが、キングコングとアンの関係は、いわゆる「純愛」とは違うのではないでしょうか。キングコングが落ちたあと、いきなりはしごを上って登場してきたジャックと、アンがひしと抱き合うのを見てそんな感じがしました。男女の恋愛というよりはもっと奥深い、すべての「生き物」に底流する感情。感情というより感覚か。エンパイア・ステート・ビルのてっぺんでアンとキングコングはそれを確かに確認し合ったのだと思います。

また、「キングコング」は「猿映画」というくくりもできます。「猿の惑星」なんかもその系譜に含まれるのですが、猿映画では人間に敵意を抱く「悪い猿」はたいてい「ゴリラ」と決まってます。キングコングしかり。そのイメージは「凶暴」にして「女好き」。実際のゴリラは見た目とは裏腹に優しい性質なのだそうですが、「猿映画」がゴリラの悪いイメージを定着させてしまった、とゴリラ研究家の山際寿一さんが言っています(2005年12月14日付け朝日新聞)。なるほど。外見で判断してはいけませんね。とはいっても、洞窟シーンに出てくる昆虫お化けはあまりにも気色悪かった…。

いったいぜんたい、髑髏島の原住民とキングコングや恐竜たちとの関係はどうだったのか。奥深いジャングルで一行が迷わずに探索できたのはなぜなのか。クロロフォルムで眠らせたキングコングを髑髏島からどうやって運んできたのか。途中で目覚めたキングコングは暴れたりしなかったのか? そんな突っ込みどころも多々あります。でもいいんです。「キングコング」なので。このストーリーは、もはや定番というより古典なので。古典に敬意を表して、最新技術でリメイクしてくれたピーター・ジャクソン監督に感謝です。


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