昨年、このブログでも紹介したことがある田舎館村の「田んぼアート」。今年の「作品」のテーマは七福神の「恵比寿様と大黒様」。
ところが、今年の田んぼアートに、ちょっとした事件が持ち上がりました。
田んぼアートを見るために、毎年多くの観光客がやってきます。昨年は約24万人が見物に訪れたのだとか。小さな村にしては、この集客力は大したものです。
昨年も書いたように、田んぼアートを見るためには、隣接する村役場の「天守閣」に昇る必要があります。しかもこれが「無料」なのです。休日ももちろん開放しているため、エレベーターの電気代やトイレの水道料など、けっこう経費もかさむため、村(正確には田んぼアートの主催者:田舎館村むらおこし推進協議会)では、募金箱を置いて見物客に協力をお願いしていますが、しょせん、「募金」で集まるお金は微々たるもの。
そこで、今年は「スポンサー」をつけることにした。この話に乗ったのが、地元新聞社とJAL。何しろ「田んぼアート」のスポンサーなので、当然、「田んぼアート」に企業名のロゴやシンボルマークを入れることになった。広告料は200万円だとか。
ところが、この「企業広告」に待ったをかける人が出てきました。それは、田んぼの地権者でもある前村長です。もちろん「推進協議会」のメンバーです。何でも、広告を入れることを決定した会議にたまたま彼は欠席していたのだとか。しかも、事務局からは何の事後報告もなかった。
5月に田植えをして、だんだん稲が色づいてくるにつれ、企業広告もはっきりと姿を現してきた頃、前村長が「それ」を見てしまったのでしょう。彼は怒りました。「田んぼアートは村民の努力で成功させたもの。田んぼはその「田んぼアート」のために提供しているもので、そこに勝手に企業の宣伝を入れられるのは納得がいかない」として、ロゴなどの削除を推進協議会に要求。推進会議ではこれを受けて3回の会議を開き、最終的に、多数決で削除することを決めたといいます。その翌日には、役場職員によって広告部分の稲の抜き取り作業が行われました。成長途中で抜き取られた稲は、トラックで運ばれ処分されたのだそうです。
6月1日に、雨の中田植えに参加した村民たちが悔しがるのは当然ですね。せっかくみんなで植えた稲が、一部とはいえ、抜き取られてしまったのですから。「なんで今更…」という気持ちはとてもよくわかります。「誰も営利目的だとは誰も思っていないはず」というコメントも新聞で紹介されていました。また、広告主が怒るのもまた当然。正式に契約書を交わしているのに、これでは明らかに契約違反ですから。
何でも、現村長と前村長は前回2004年の村長選挙で村を二分して戦った関係だとか。前村長も、今年の村長選挙には出馬するとかしないとか。田んぼアートは、政争の舞台かとあらぬ勘ぐりもしたくなるところです。新聞を読むと、前村長の思いは、どうやら「商売っ気抜きで、純粋に村民によるアートとして楽しんでもらいたい」というところにあるようですが…。
しかし、「アート」にスポンサーがつくのは別に珍しいことではありません。「広告」は入れなかったにせよ、ルネサンスの巨匠、ダ・ヴィンチもミケランジェロにだって必ずスポンサーはいた。しかも今回は、ロゴやマークの部分も稲で表現しようとしたのだから、それも「アート」の一部に違いない。前村長の思いもわかりますが、そこはもう少し幅広い考え方をしてもいいのではと思います。
ただ、今回の広告料200万円ということは、もしそれだけの収入を得たいのであれば、見物客からたとえば「10円」ずつ徴収したとしても、年間20万人来ればその金額になります。ここまで来たら、「無料」という原則も見直す必要もあるのではないでしょうか。「田んぼアート」には、ある程度の金額であれば、それを払うだけの「価値」は十分あると思いますね。
ところが、今年の田んぼアートに、ちょっとした事件が持ち上がりました。
田んぼアートを見るために、毎年多くの観光客がやってきます。昨年は約24万人が見物に訪れたのだとか。小さな村にしては、この集客力は大したものです。
昨年も書いたように、田んぼアートを見るためには、隣接する村役場の「天守閣」に昇る必要があります。しかもこれが「無料」なのです。休日ももちろん開放しているため、エレベーターの電気代やトイレの水道料など、けっこう経費もかさむため、村(正確には田んぼアートの主催者:田舎館村むらおこし推進協議会)では、募金箱を置いて見物客に協力をお願いしていますが、しょせん、「募金」で集まるお金は微々たるもの。
そこで、今年は「スポンサー」をつけることにした。この話に乗ったのが、地元新聞社とJAL。何しろ「田んぼアート」のスポンサーなので、当然、「田んぼアート」に企業名のロゴやシンボルマークを入れることになった。広告料は200万円だとか。
ところが、この「企業広告」に待ったをかける人が出てきました。それは、田んぼの地権者でもある前村長です。もちろん「推進協議会」のメンバーです。何でも、広告を入れることを決定した会議にたまたま彼は欠席していたのだとか。しかも、事務局からは何の事後報告もなかった。
5月に田植えをして、だんだん稲が色づいてくるにつれ、企業広告もはっきりと姿を現してきた頃、前村長が「それ」を見てしまったのでしょう。彼は怒りました。「田んぼアートは村民の努力で成功させたもの。田んぼはその「田んぼアート」のために提供しているもので、そこに勝手に企業の宣伝を入れられるのは納得がいかない」として、ロゴなどの削除を推進協議会に要求。推進会議ではこれを受けて3回の会議を開き、最終的に、多数決で削除することを決めたといいます。その翌日には、役場職員によって広告部分の稲の抜き取り作業が行われました。成長途中で抜き取られた稲は、トラックで運ばれ処分されたのだそうです。
6月1日に、雨の中田植えに参加した村民たちが悔しがるのは当然ですね。せっかくみんなで植えた稲が、一部とはいえ、抜き取られてしまったのですから。「なんで今更…」という気持ちはとてもよくわかります。「誰も営利目的だとは誰も思っていないはず」というコメントも新聞で紹介されていました。また、広告主が怒るのもまた当然。正式に契約書を交わしているのに、これでは明らかに契約違反ですから。
何でも、現村長と前村長は前回2004年の村長選挙で村を二分して戦った関係だとか。前村長も、今年の村長選挙には出馬するとかしないとか。田んぼアートは、政争の舞台かとあらぬ勘ぐりもしたくなるところです。新聞を読むと、前村長の思いは、どうやら「商売っ気抜きで、純粋に村民によるアートとして楽しんでもらいたい」というところにあるようですが…。
しかし、「アート」にスポンサーがつくのは別に珍しいことではありません。「広告」は入れなかったにせよ、ルネサンスの巨匠、ダ・ヴィンチもミケランジェロにだって必ずスポンサーはいた。しかも今回は、ロゴやマークの部分も稲で表現しようとしたのだから、それも「アート」の一部に違いない。前村長の思いもわかりますが、そこはもう少し幅広い考え方をしてもいいのではと思います。
ただ、今回の広告料200万円ということは、もしそれだけの収入を得たいのであれば、見物客からたとえば「10円」ずつ徴収したとしても、年間20万人来ればその金額になります。ここまで来たら、「無料」という原則も見直す必要もあるのではないでしょうか。「田んぼアート」には、ある程度の金額であれば、それを払うだけの「価値」は十分あると思いますね。
芸術は、その時代の社会背景と切り離しては語れませんからね。豊かな時代に芸術は花開いてきましたが、混迷の時代にもすばらしい作品はいくつもありますね。
「いいスポンサー」なら、つかないよりはついた方がいいかもしれないとは思います。
「事務局からの事後報告が何もなかった」ってのが一番痛いですね。いわゆる「こじれた」んでしょうね。
「事務局」ってところは物事の趣旨を正しく理解して情熱を持って仕事に当たってくれないと、こうやって物事がこじれる。面倒なことばっかりで地味な裏方なんですけど・・・
せっかくの村民の楽しみにけちが付いたのは本当に残念。
それと、毎度思うのですが、やはり裕福な時代にこそアートは作られるんですよね。遠くはルネサンスしかり、日本の80年代もしかり。