
勇気をふりしぼって、「シャイニング」を再度見てみました。
やっぱりこわいよ~。キューブリックじゃなければそもそも見たくない映画。私、ホラーものはまったく全然ニガテなのです。テレビで予告編見るだけでもうダメですから。
舞台は雪に閉ざされたロッキー山中のホテル。冬の5ヶ月間は閉鎖されるそのホテルの管理人として小説家志望のジャック・トランスが妻ウェンディと5歳の息子トニーを連れてやってきます。閉ざされた空間の中で小説に専念しようという目論見です。ところが、そのホテルは、かつて精神に異常をきたした管理人が一家を惨殺するという忌まわしい事件の舞台でもありました。殺された妻、双子の娘の亡霊が、今度はジャックの精神をむしばんでいきます。キューブリックは言っています。「これは一人の男の家族が、一緒に静かに狂っていくだけの物語だ」。
この映画はしかし、それほど直裁的にこわいシーンが出てくるわけではありません。一度だけ、浴槽に浮かぶ女性の死体が出てくるくらいです。あのシーンももちろんこわいけど、なんというか、身体の芯から震えがくるようなこわさが全編通して漂ってくるのです。「キューブリックのアプローチとは、典型的なホラー映画の虚飾を排除することであった。ドアがきしんだり、棚から骸骨が落ちてくるようなことは一切あってはならない。本当のものと思わせるために、実際の光と同じような環境で撮影を行い、同じジャンルのものでよく使われる芝居がかった効果を用いなかった。」(『映画監督スタンリー・キューブリック』より)のだそうです。納得。心から納得。
ジャックを演じるのは、キューブリックが最初にスティーブン・キングの原作を読んだ時から決めていたというジャック・ニコルソン。DVDジャケットのあの表情は、もう、こわいというより、パロディの対象になるくらい印象的ですね。
妻ウェンディ役にはシェリー・デュヴァル。いかにも弱そうな印象の人です。原作者キングは「あの役にジェーン・フォンダは到底考えられない。おどおどしていじめられやすそうな人でないと」と言ったそうですが、これも納得。彼女は、この映画でずいぶんキューブリックに鍛えられたみたいです。ただでさえ1シーンのテーク数が多いことで有名なキューブリックですが、彼女の演技に対しては特にダメ出しが多かった。「シェリー、そうじゃない。いつになったらちゃんとできるようになるんだ」(同書より)。役の上でのウェンディがジャックに追いつめられていくように、シェリー自身もキューブリックに相当のプレッシャーをかけられていきます。もともと孤独なタイプの彼女は精神的に大きなストレスを抱えながら撮影に臨まざるを得なくなります。結果的に彼女は素晴らしい演技を見せることになるのですが、これもまたキューブリック・マジックの一つでしょうか。
あのジャック・ニコルソンでさえ、キューブリックの完璧主義にうんざりすることもあったようですが、しかし、彼もまた他の俳優同様、キューブリックに対して「ゆるぎない尊敬の念」を抱いていました。「私が前もってあまり考えなかったり、考えの合わない監督とやるときは、私は彼らについていくことが多い。それは私が俳優として自由でいたいためだ。コントロールは彼らにしてほしい。そうでないと結局私の仕事になってしまい、面白くない。」ニコルソンのこの言葉に彼とキューブリックの関係が大変よく表れていると思います。ニコルソンにとって、キューブリックは、自分にないものを持っている、あるいは自分の知らないところを上手に引き出してくれる極めて刺激的な監督だったにちがいありません。
この映画は、キューブリック作品の中でも、際だって「美しい」映像にあふれていると思います。もちろん、「バリー・リンドン」のろうそくの灯りに照らされる部屋とか、「2001年宇宙の旅」の宇宙&地球とか、美しい映像は他にも数々見られますが、「シャイニング」のほとんどホテル内の映像の静謐な美しさには到底及びません。蛍光灯の光がまばゆい厨房、シャンデリアにきらめくボールルーム、わずかな光に照らし出される雪の迷路。そしてキューブリックお得意の左右対称の安定美。「こわいほど美しい」のか「美しいからこわい」のか。いずれにしても、全編貫くあのこわさは、きっと「美しさ」のせいなのです…。
その美しさをカメラで演出したのはジョン・オルコット。「時計じかけのオレンジ」や「バリー・リンドン」でも撮影を担当していますが、この作品が彼の撮った最後のキューブリック作品となりました。
『シャイニング』>>Amazon.co.jp
やっぱりこわいよ~。キューブリックじゃなければそもそも見たくない映画。私、ホラーものはまったく全然ニガテなのです。テレビで予告編見るだけでもうダメですから。
舞台は雪に閉ざされたロッキー山中のホテル。冬の5ヶ月間は閉鎖されるそのホテルの管理人として小説家志望のジャック・トランスが妻ウェンディと5歳の息子トニーを連れてやってきます。閉ざされた空間の中で小説に専念しようという目論見です。ところが、そのホテルは、かつて精神に異常をきたした管理人が一家を惨殺するという忌まわしい事件の舞台でもありました。殺された妻、双子の娘の亡霊が、今度はジャックの精神をむしばんでいきます。キューブリックは言っています。「これは一人の男の家族が、一緒に静かに狂っていくだけの物語だ」。
この映画はしかし、それほど直裁的にこわいシーンが出てくるわけではありません。一度だけ、浴槽に浮かぶ女性の死体が出てくるくらいです。あのシーンももちろんこわいけど、なんというか、身体の芯から震えがくるようなこわさが全編通して漂ってくるのです。「キューブリックのアプローチとは、典型的なホラー映画の虚飾を排除することであった。ドアがきしんだり、棚から骸骨が落ちてくるようなことは一切あってはならない。本当のものと思わせるために、実際の光と同じような環境で撮影を行い、同じジャンルのものでよく使われる芝居がかった効果を用いなかった。」(『映画監督スタンリー・キューブリック』より)のだそうです。納得。心から納得。
ジャックを演じるのは、キューブリックが最初にスティーブン・キングの原作を読んだ時から決めていたというジャック・ニコルソン。DVDジャケットのあの表情は、もう、こわいというより、パロディの対象になるくらい印象的ですね。
妻ウェンディ役にはシェリー・デュヴァル。いかにも弱そうな印象の人です。原作者キングは「あの役にジェーン・フォンダは到底考えられない。おどおどしていじめられやすそうな人でないと」と言ったそうですが、これも納得。彼女は、この映画でずいぶんキューブリックに鍛えられたみたいです。ただでさえ1シーンのテーク数が多いことで有名なキューブリックですが、彼女の演技に対しては特にダメ出しが多かった。「シェリー、そうじゃない。いつになったらちゃんとできるようになるんだ」(同書より)。役の上でのウェンディがジャックに追いつめられていくように、シェリー自身もキューブリックに相当のプレッシャーをかけられていきます。もともと孤独なタイプの彼女は精神的に大きなストレスを抱えながら撮影に臨まざるを得なくなります。結果的に彼女は素晴らしい演技を見せることになるのですが、これもまたキューブリック・マジックの一つでしょうか。
あのジャック・ニコルソンでさえ、キューブリックの完璧主義にうんざりすることもあったようですが、しかし、彼もまた他の俳優同様、キューブリックに対して「ゆるぎない尊敬の念」を抱いていました。「私が前もってあまり考えなかったり、考えの合わない監督とやるときは、私は彼らについていくことが多い。それは私が俳優として自由でいたいためだ。コントロールは彼らにしてほしい。そうでないと結局私の仕事になってしまい、面白くない。」ニコルソンのこの言葉に彼とキューブリックの関係が大変よく表れていると思います。ニコルソンにとって、キューブリックは、自分にないものを持っている、あるいは自分の知らないところを上手に引き出してくれる極めて刺激的な監督だったにちがいありません。
この映画は、キューブリック作品の中でも、際だって「美しい」映像にあふれていると思います。もちろん、「バリー・リンドン」のろうそくの灯りに照らされる部屋とか、「2001年宇宙の旅」の宇宙&地球とか、美しい映像は他にも数々見られますが、「シャイニング」のほとんどホテル内の映像の静謐な美しさには到底及びません。蛍光灯の光がまばゆい厨房、シャンデリアにきらめくボールルーム、わずかな光に照らし出される雪の迷路。そしてキューブリックお得意の左右対称の安定美。「こわいほど美しい」のか「美しいからこわい」のか。いずれにしても、全編貫くあのこわさは、きっと「美しさ」のせいなのです…。
その美しさをカメラで演出したのはジョン・オルコット。「時計じかけのオレンジ」や「バリー・リンドン」でも撮影を担当していますが、この作品が彼の撮った最後のキューブリック作品となりました。
『シャイニング』>>Amazon.co.jp
本エントリー、そして、「時計じかけのオレンジ」その1~その3をスリリングな思いで拝読させて頂きました。
僕に取って『シャイニング』は鑑賞を重ねるごとに何らかの気づきが加わりますし、見直すごとに得がたい妙味を感じ取れて行く映画です。もっともこの部分は、自分に取っては、キューブリック作品全てにおいて共通して言えることの一つなのですが…。
引用されているニコルソンの発言、
僕も、「メイキング」で目(耳)にしました。
その際、「…そうだったんだろうな。ニコルソンは、ただ、じわりと狂って行く役どころを好き勝手に暴れるように演じた訳ではなく^^、逆に、キューブリックのコントロールに委ねられる部分があったからこそ独創的なチャレンジも出来たんだろうな…」などと、僕なりに感慨深く思えたものです。
そして、まさしく、やっぴさんが仰るように、
ニコルソンに取ってのキューブリックは「極めて刺激的な監督だった」に相違ないように思える次第です。
―後ほど、そんなニコルソン扮するジャックがホテルに取り込まれてしまったことを示唆しているのであろう、あの、ラストの写真だけに触れた文章を含むエントリー(※「映画中の写真」をテーマにしたエントリーです)がありますので、『時計じかけ…』に触れた拙エントリーと共にTBさせてください。
それではまた。
コメントとトラックバック、ありがとうございます。
ブログ拝見しました。あの写真は実に印象的でしたね。最後にあの写真を配置するあたりが、さすがキューブリック、としか言いようがありません。
遅ればせながらこちらからもトラックバックさせていただきました。
しかしジャック・ニコルソンのジャケットはほんと怖い顔ですねぇ。バットマンに出た時の顔ににてるなw。双子の女の子が廊下に立ってたり、血がドバーッとでてくるとこなんか、吸い込まれていきそうな印象を受けました。あきらかな敵役みたいな存在をボカしているからジワジワくるんでしょうね。僕にとっても印象深い映画でした。
そういえばスタンリーキューブリックといえば、あの有名なアメリカが初めて月面着陸を果たした映像を、捏造したといううわさがありますね。宇宙開発でソビエトに大幅に遅れをとっていたアメリカのニクソンが、威信を取り戻すためにスタジオで撮影した映像が、あの月面着陸の映像だったらしいんです。最近になってロシアのプーチン大統領もこの質問に対してノーコメントだったらしいです。”人類にとっては偉大な一歩だ”という名セリフが嘘だったかもしれないって、そんなばかなーって感じですよね。でも証拠がかなり多くて、ほんまにそうなんかな?って考えてしまうほどです。それを踏まえて映画”カプリコン1”をみると、もう、やっぱりうそやったんやんかーっていいたくなってしまいますよw。本当か嘘かは、もはや闇の中ですけど・・・
そうなんですか! キューブリックが関係しているとは知りませんでした。さすがキューブリックですね。
アポロ11号の月面着陸ねつ造説については、前に書いたことがありますので、ぜひご覧ください。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/10_theme/10_03utyuu/10_03utyuu01.htm
最近コンビニで買った、アメリカの陰謀っていう本に載ってたんで、へーっと言う感じで読んでました。まぁ陰謀説を支持した立場の本でしたから、そういう反対側の説を読むまではなんとも言えないなと思ってました。ただ、そう言う人もいるんだなーと。
9・11の同時多発テロまでもがネオコンによる自作自演で、イラク戦争のための口実作りだったとか、そんなことばっかり書いてました。読み物としてはちょっと気になったので読んでいましたが、そんな話までが上がるというところが大国であり一人勝ちを目指すアメリカらしいなと思いました。まぁあの戦争でブッシュ一家が大もうけしたのは確からしいですが。