オフ・ザ・ピッチの肖像|第7回 特別編 1st HALF:羽田憲司
2016年1月16日(土)
新しいシーズンは、鹿島のトップチームコーチに就任することが決まった羽田憲司。セレッソサポーターには驚きのニュースだったが、そこには将来を見据えた熱い決意があった。指導者としての3年間で得たもの、感じたこと、そしてセレッソへの思いを聞いた。
自分なりに頑張った2015シーズン
コミュニケーションが足りなかった
「オフ・ザ・ピッチの肖像」に、そろそろ登場してもらおうと考えていた。本人も、「僕は次ぐらいですか(笑)」なんて言っていたから、シーズンが終わったら…と思っていた矢先の移籍話だった。
話を聞くのは難しいかなというタイミングだったが、本人から「セレッソを去るにあたって、話しておきたいことがある」と聞いて、実現したのがこのインタビューである。
選手として4年間、指導者として3年間、セレッソのために尽力した
2015年12月27日、南津守のクラブハウス。グラウンドでは、セレッソ大阪堺レディースの選手たちが年始の大会に向けてトレーニングしているだけで、館内はひっそりしていた。
「鹿島からオファーをもらったのは、幸せなことです。役職はトップチームのコーチ、(2015年の)セレッソでの立ち位置とほとんど同じです。オファーをもらって、迷いました。悩みました」
セレッソからも契約の話があったことで、進路についてはずいぶん考えたという。結論は、鹿島への移籍だった。
「今年(2015年)は、トップチームに移りましたけど、自分の中では、やってやろうという強い気持ちがありました。選手をサポートしたり、監督と選手の間に入ったりしてうまくやれるのは僕しかいない。現場スタッフで選手と一番近いのは、自分だと思っていたから」
熱い思いを秘めて迎えたシーズン。奇しくも、羽田が選手として移籍してきた2007年と同じ、「J1昇格」を目標にした戦いだった。
「1年間、いろいろありましたし、いろいろなものが見えました。パウロ(アウトゥオリ前監督)とは、鹿島でも一緒になったことがあったので、どんな人かはわかっていました。でも、鹿島の時はもっと怖かったですね。もっとピリピリしていた。今回はだいぶ丸くなったなあと感じました。パウロは、基本的に『自分が監督だから、自分がすべて決断する』という考えの持ち主で、自分の信念は曲げない人。監督だから仕方ないと思うけど、最後までパウロは貫き通しました。『ここで信念を曲げたら自分じゃなくなる』とは、僕にもよく言っていました」
パウロ・アウトゥオリ氏は途中で退任。チームは、4位に踏みとどまりJ1昇格プレーオフに臨んだものの、目標達成はならなかった。
「自分なりに精いっぱいやったつもりです。力は足りなかったと思いますけど、やりましたね。選手の言葉を聞いたり、立場的に選手には言えないこともありましたけど、自分なりに話をしたりはしました。でも、この1年に関しては、悔いが残ります。精いっぱいやったけど、力が足りなかった。チームに一番足りなかったのはコミュニケーションだったと思っています」
2014年は、U-18のコーチを担当した。2014年12月には、高円宮杯U-18サッカーリーグ2014 チャンピオンシップで優勝するという結果を残した。
「高校3年生が比較的多い、経験を積んでいたチームで、いい選手がいて、全国的に見ても強いチームだったのかなと思います。楽しかったです。難しいこともありましたけど、U-18というプロに一番近いところで仕事ができて、勉強になりました。大熊(裕司)さんの下で、毎日勉強させてもらった気がします。コーチとしての1年目(2013年)は、スクールを経験させてもらいました。スクール、育成、トップと1年ずつだったけど、それぞれのマネジメントの部分も見ることができて、浅いかもしれないですけど、すべてを見させてもらって、経験させてもらいました。なのにクラブを出て行くのは、しかも何も残していない状態で出るというのは、申し訳ない思いです」
文・構成 横井素子
【はねだ けんじ】
1981年12月1日生まれ、千葉県出身
2007年から2010年までは選手として、2013年からは指導者としてセレッソ大阪に在籍。
選手時代は、優れた守備能力と冷静な判断でディフェンスの中心として活躍した。2009年、2010年はキャプテンとしてチームを引っ張った。現役引退後の2013年はセレッソ大阪サッカースクールのコーチとして復帰。2014年はU-18のコーチ、2015年はトップチームのコーチを歴任した。2016年、鹿島のトップチームコーチに就任。
オフ・ザ・ピッチの肖像|第7回 特別編 2nd HALF:羽田憲司
2016年1月16日(土)
新しいシーズンは、鹿島のトップチームコーチに就任することが決まった羽田憲司。セレッソサポーターには驚きのニュースだったが、そこには将来を見据えた熱い決意があった。指導者としての3年間で得たもの、感じたこと、そしてセレッソへの思いを聞いた。
いつか、セレッソの監督になりたい。
オファーがもらえるように頑張ります
「申し訳ない」という気持ちを抱きながらも、今回の決断をした理由について、羽田はこう話す。
「鹿島のトップチームのコーチになるのはかなり狭き門です。このタイミングでしかない話だと思いました。鹿島という伝統ある、あれだけの優勝回数のあるクラブの中に入って、コーチとしてチームを見られる。こんな素晴らしい環境とはないと思います、自分の将来のためを考えると。自分にとって大きな財産になる、そう思ったから決断しました。正直、まだ指導者としては早いなと自分では思いますけど、このチャンスを逃しちゃいけない。今までの流れを見ても、OB、しかも鹿島で結果を残した人たちが入るポジションです。そんなに鹿島で試合に出ていない自分が呼んでもらえるというのは、すごい話です」
彼の描く「将来」とは、どんなものなのか。
「監督です。監督を目指しています。パウロ(アウトゥオリ前監督)も、(大熊)清さんもそうだけど、近くで見ていてトップの監督はやっぱり違うな、しびれるなと思いました。自分で決断して、責任もって仕事をする。自分も監督をしたいと思います。そのためには、これからいろんな経験を積んでいかないといけない。僕は、将来セレッソで監督がしたいんです。今からいろいろ吸収して、勉強して、経験して、いつかオファーがもらえるようになりたい。そのために頑張るつもりです」
どうしてセレッソで、なのか…?
「やっぱり、自分はセレッソが好きだから。選手としてチームをJ1に上げたり(2009年)、ACL(AFCチャンピオンズリーグの出場権)を取ったり(2010年)、キャプテンとして、選手としてやれた、自分が何かを残すことができたチームがセレッソ。だから、思い入れがあります」
思い入れのあるセレッソでの監督就任を目指す
そして、2015シーズンに指導した若い選手たちには、こんなメッセージも。
「物足りないですね。ぎらぎらした感じが足りないかな。ほかのクラブの人に聞いても、昔みたいにぎらぎらした選手は少なくなっていると聞くから、時代なのかもしれないですけど。レギュラー選手をけずってでも、ポジションを奪ってやろうという選手は少ない。そういう気持ちの部分は、言い続けないといけないのかもしれないでね。1年いっしょにやった若い選手たちには、頑張ってほしいです。U-23ができるので、そこが活動の中心になっていくと思いますけど、彼らが頑張らないと、このチームはダメになると思いますね、はっきり言って。南野拓実に続く選手が出てきてくれないと、ね。拓実のような選手が身近にいるのだから、他の選手には感じてほしいです」
最後に、あらためてセレッソのサポーターの皆さんへのメッセージを…。
「選手として4年、指導者として3年、7年間お世話になりました。自分の将来のことを考えたときに、日本で一番たくさん優勝しているチームの中に指導者として入って、勉強したい、戦いたいという想いが強くて、非常に難しい決断でしたけど、させてもらいました。僕が鹿島のトップチームに呼ばれるのは、このタイミングしかなかったと思います。行っておけばよかったと後悔するよりは、チャレンジすることを選ばせていただきました。セレッソは本当に思い入れがあって、大好きなチームなので、鹿島で経験を積んで、またセレッソから声がかかるような指導者になりたいなと思っています。J1に上げられなくて、申し訳なかったです。本当にありがとうございました」
文・構成 横井素子
【はねだ けんじ】
1981年12月1日生まれ、千葉県出身
2007年から2010年までは選手として、2013年からは指導者としてセレッソ大阪に在籍。
選手時代は、優れた守備能力と冷静な判断でディフェンスの中心として活躍した。2009年、2010年はキャプテンとしてチームを引っ張った。現役引退後の2013年はセレッソ大阪サッカースクールのコーチとして復帰。2014年はU-18のコーチ、2015年はトップチームのコーチを歴任した。2016年、鹿島のトップチームコーチに就任。
チンチロリン
セレッソサポに向けて口を開いた羽田憲司である。
かなり悩んで鹿島のコーチを引き受けた様子。
羽田本人が語るように、鹿島のコーチとしてのオファーは、このタイミング以外ではなかろう。
良い決断をしたと後々に思って欲しところ。
そして、このチャレンジする姿勢は、指導者として、また始動される者にも影響を与える重要な要素である。
セレッソの若手にはギラギラしている選手がいなかったとのことであるが、鹿島の若手にはギラついていることであろう。
強い気持ちを持ち続けられる者だけが、臙脂のユニフォームに袖を通すことが出来るのだ。
羽田はそれを理解しているからこそ、コーチとして招聘されたのである。
良い指導をして、チームの底上げを託したい。
そして、羽田も指導者としての実績を積み上げ、いずれセレッソの監督に就任して欲しいところ。
将来の羽田監督誕生を楽しみにしておる。
チンチロリン