鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

北九州・石神・本山、新加入コメント

2016年01月09日 | Weblog
【2016シーズン始動!】北九州:新体制発表会見での出席者コメント(2)
2016年1月9日(土)

北九州の新加入会見が1月9日、北九州市のステーションホテル小倉で開かれ、新加入5選手と新任となる美濃部直彦コーチなどがあいさつしました。5選手のうち3選手は北九州市出身で、今季は地元出身選手が充実することになります。出席者のコメントは次のとおりです。
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≪新加入選手挨拶≫

●石神直哉選手
「ポジションは左サイドです。ビルドアップやクロスで北九州に貢献できればと思います。先ほど監督からリクエストがありましたが、メディアで取り上げる機会があれば呼んで下さい。(長崎の広告撮影で)ふんどしまで行ったのでこれ以上脱ぐことはできませんが、何かあればよろしくお願いします」

Q:北九州の印象は?
「一番印象に残っている試合は最終戦。長崎はプレーオフが懸かっていて絶対に落とせないというモチベーションの高い長崎でしたが、完全に北九州に回されていました。すごいいいサッカーをしているなと感じました。僕が見ていてやりたいサッカーをしていた。逆に長崎は長崎のサッカーはできていなくて、最終戦はすごく印象に残っています」

Q:ストロングポイントは?
「さっきも言いましたが、サイドバックに入ってのビルドアップやオーバーラップしてからのクロス、セットプレーがストロングポイントだと思ってプレーしてきました。いま言ったプレーで貢献していきたいと思います」

●池元友樹選手
「ポジションはFWです。去年の悔しさを今年、ここでしっかり晴らしたいと思いますし、地元出身ですし北九州のために貢献したいと思います。1年で戻ってくるのは正直、自分でもイメージしていなかったし、自分が想像していたのとは違いますが、帰ってきたからにはしっかりとここで結果を出したいなと思います」

Q:J1で感じたことは?
「全てにおいてレベルが違ったと思いました。技術、決定力、判断のところは違うなと思いました。(北九州では)普段のトレーニングからしっかりとしたモチベーションを持ちながら、FWなのでゴール前での動きをやれればいいなと思います」

Q:今季の目標は?
「毎試合決められるように頑張ります」
※柱谷監督:ということは42点?毎試合だから42点だよな?
「はい(笑)」

Q:北九州に戻る決め手になったのは?
「これから自分が成長するためにはと考えたときに北九州しかないと思ったので移籍しました。(理由は)たくさんありますが、スタイルや周りの環境であったりです」

Q:本城陸上競技場を使うのは最後の年になる。意気込みを聞かせてほしい。
「小学校から使っていて、プロになっても何試合もしたし、ゴールも決めていて、自分にとっても大好きな場所でもあります。今年は最後の年なので、やはりまだ超満員で試合をしていないので、なんとかそうなるように結果を出して、たくさんの人が来てくれるようにしたいなと思います」

●花井聖選手
「ポジションはMFです。自分の持ち味を生かしてチームのJ1昇格に貢献できるように頑張りたいと思います」

Q:北九州の印象は?
「すごくパスを回していて見てもやっても楽しそうなサッカーをしているなと思いました」

Q:持ち味と目標は?
「ゲームを組み立てたり、チームの流れに沿ったプレーができると思うので、そういう中でドリブルやパスやシュートを出していきたいなと思います。まずは試合にしっかり出ることと、個人の目標よりもチームのJ1昇格に向けて貢献したいと思います」

Q:どういうプレーを目指したいか?
「攻撃的なところでのパス。北九州さんはパスを繋ぐイメージがあるのでそこは自分がやれるのかなと思いました」

●刀根亮輔選手
「地元の北九州でサッカーができる喜びを噛みしめながら今年1年間、頑張っていきます」

Q:持ち味は?
「毎回聞かれるが、自分でも分からないので探してもらっていいですか?(笑)」

Q:どういうプレーをしたいか?
「失点数が多いので自分がディフェンスに入って少しでも減らせるように頑張りたいと思います」

Q:北九州に決めた理由は?
「やりたいサッカー、やって楽しいサッカーが北九州にあった。声を掛けてくれるのも早かったですし、地元を盛り上げたいというのもあります。ボールを大事に後ろから繋いでいくサッカー。自分自身、そういうのは得意だし好きです」

Q:本城陸上競技場への思い入れはあるか?
「小中と本城陸上競技場で試合をしていて勝っていましたが、プロになってアウェーになってここにくると勝てないので、今年はちょっと1回でも勝ちたいなと思います。冗談ですが(笑)」

●本山雅志選手
「鹿島アントラーズから北九州に帰ってきました。ギラヴァンツ北九州に入ることを本当に光栄に思います。やってきたことを全部生かしてチームに貢献したいと思います。J1に行けるようにみんなで頑張ります」

Q:地元の北九州に帰ってきた率直な感想は?
「すごく嬉しいです。親もそうですが周りの友達も喜んでくれているのですごく嬉しいです」

Q:実家から練習場に行くという話をしていましたね?
「コンディションを上げるために実家から通いたいと思います。僕は全力でサッカーをやってきたのでそういうところを、常に全力であるところを見せていかないといけないですし、何を伝えられるかは分かりませんが、ケガもたくさんしているし、試合に出られないときもあったし、出られたいい時期も経験もあるし、そういうことを生かしてチームを一つの方向に向かわせるようなことができればいいなと思います。チームが勝つために、自分がやりたいプレーはないですし、チームが勝つためのプレーをしたいと思います。厳しい戦いになると思いますが、みんながやればいい方向に向かうと思います。みんなでJ1を目指したいと思います」

Q:地元クラブに戻ることを決めた理由は?
「鹿島を退団するのを発表したときに、すぐに話を頂いて、地元でサッカーするというのはすごく有り難かったので、監督と社長とも話をさせてもらってこのクラブでやりたいと決めました」

Q:本城ラストイヤーですがその点に関しては?
「本当に地元で、部活が終わったあととか夜に練習するくらいに行っていたので、僕を作った原点だと思います。本城からスタジアムが小倉に移るのは寂しい部分はありますが、チームとして発展するためには小倉のほうがいいですが、プレーオフに行けるので、しっかりJ1に上げられるようにして、(本城の)最後にしたいなと思います」

以上



わけわけ三国志


北九州の新体制会見の様子である。
新加入選手として石神と本山がコメントしておる。
石神は左SBとして起用される様子。
左サイドを駆け上がり、良いクロスを供給するのだ。
また、セットプレイも見物である。
本山からはJ1という言葉が出ておる。
昇格を目指し、一致団結させてくれるであろう。
石神との連携で左サイドを攻略せよ。
二人の活躍を楽しみにしておる。


わけわけ三国志

栄光の“鹿島の10番”は北九州へ

2016年01月09日 | Weblog
栄光の“鹿島の10番”は北九州へ――。
東福岡高出身・本山雅志の夢は続く。

posted2016/01/09 06:00


地元でボランティアとして参加している「WAKAMATSU CUP」での本山。

text by
蘇芳あかね
Akane Suo

PROFILE
photograph by
Akane Suo

「俺、しばらく実家から通おうと思ってるんだけど。変かな!? 実家から通ってる36歳のプロ選手って、きっと他にいないよね」

 本山雅志は笑いながら言った。

 ギラヴァンツ北九州への移籍が正式に発表された4日後、昨年末12月30日のことである。

年末、“鹿島の10番”だった男は北九州にいた。

 12月30日、本山雅志は早朝7時から、北九州市内の某グラウンドにいた。

 池元友樹(北九州)や山形辰徳(栃木FC)、引退した宮原裕司、千代反田充など東福岡高校卒業生の姿もみえる。ほかにもアビスパ福岡J1昇格の原動力・鈴木惇、アギーレJAPANに招集されたこともある坂井達弥(鳥栖)、U-18日本代表の冨安健洋まで……。

 彼らは“WAKAMATSU CUP”のボランティアスタッフだ。

 WAKAMATSU CUP(新春初夢若松サッカー大会)は本山雅志、宮原裕司、山形辰徳の3人が主催者となり、毎年冬休みに地元の小学生チームを招待して開催している少年サッカー大会。主催者3人の実家は北九州市の“若松”区、歩いて100歩の距離にある。そろって二島小学校→二島中学校→東福岡高校→プロサッカー選手になった盟友である。

「大会」といっても優勝チームを決めるためのカップ戦ではなく、丸1日、地元小学生とプロのサッカー選手がいっしょにプレーする手作りのイベントだ。ボランティアの選手たちは助っ人外国人のように各チームに入り本気で試合をする。

 6年前に引退し、アビスパ福岡で育成の仕事を始めた宮原裕司が2人に声をかけてスタート。発起人の宮原裕司は当時こう話していた。

「自分が指導者になってみて、二島FCだったり東福岡だったり、これまでお世話になってきた方々たちのおかげで自分の夢をかなえることができたんだとしみじみわかった。福岡のサッカーを盛り上げようとかそんな大げさなことじゃなくて、何か恩返しがしたい。交流の場になれるように小さいイベントでいいから長く続けたい」

 その言葉どおり、少しずつ賛同者を増やし続けて第6回をむかえた(筆者も第1回から撮影ボランティアとして参加させてもらっている)。

ギラヴァンツのユニフォームを着た本山雅志。

 手作りの大会ではあるものの、例年、何社か地元メディアが取材に訪れるWAKAMATSU CUP。今回は本山移籍後初の公の場となるだけにどうしたものか……。

 だったら逆にしっかりおひろめできるようにしよう、と、ギラヴァンツのチームスタッフが急きょ新ユニフォームを用意し大会会場に持ってきてくれた。

 本山がそれを拡げて袖を通すと、宮原がすぐ反応する。

「お、モッさん、なつかしい背番号やね(笑)」

 43番は、本山が東福岡高校時代3年間つけていた練習着の背番号だ。

「ミツ(小笠原満男)に“40番にしなよ”って言われて、“なんでよ? お揃いにするわけないじゃん!”とか話してるときに、パっと43番が浮かんだの。初心に帰れるかなとも思って」

 各局テレビのローカルニュース、新聞社などほとんどすべての地元メディアが集まってきていたこともあり、なりゆき上、本山雅志・ギラヴァンツ北九州入団記者会見とあいなった。

いつ、アントラーズ退団を考えたのか?

「このたび戻ってくることができて、あ、間違えました!」

 囲みの記者たちから笑い声が沸き、はりつめていた空気が一気に和む。

「このたび、地元ギラヴァンツに新入団する本山雅志です。自分の育った街のチームでプレーできることになって、夢がかなったようでとてもうれしいし、光栄です。自分の持っているものをすべて出してがんばりますので、応援よろしくお願いします」

 表舞台で活躍してきたベテランらしい、こなれた取材対応はさすがだ。

 ギラヴァンツのユニフォームを脱ぎ大会スタッフに戻った本山に、少しずつ話を聞いてみた。

――いつごろから、アントラーズの退団を考えてましたか? 天皇杯でボランチをやった試合のあとや、ナビスコカップで優勝したときの様子がいつもと違うように見えましたが。

「いや、正直、アントラーズから正式に来季の話をされる時までは、ずっとアントラーズでチームのためにがんばるつもりでしたよ。Jリーグ最終戦の3日前くらいだったかな。もちろん自分にとっては納得がいくシーズンではなかったけれど、試合に出られていなくてもコンディションが悪かったことはなかったしね」

“鹿島の10番”のまま現役引退すると思っていたが……。

――“鹿島の10番”のままアントラーズで引退すると信じていたサポーター、多かったと思います。

「自分でも、そうだと美しいなとぼんやり考えてはいたけど……(中田)浩二が引退を発表した翌日だったかな、ミツやソガ(曽ヶ端準)の同期4人で食事をしに行っていろいろ話をして。浩二は本当にまだまだ充分トップでプレーできるのに引退を選んだけど、自分はできるだけ長く現役でプレーしたいって、そのとき強く思ったんですよね。だからチームに話をしてありました。もし自分が構想外になったときは、他のチームで現役を続けられないか挑戦したいからちゃんとクビにして欲しいって」

――中田選手が行動するきっかけをくれたんですね。

「そういえば浩二には、鹿島を退団することをいちばん初めに伝えたかもしれない。たまたま浩二が“来年のオフィシャルスーツ用の採寸いつする?”って聞いてきたから、“退団するんだから採寸しないよ”って(笑)。相手がチームスタッフのなかでも浩二だったからね、そうなった(笑)」

――小笠原選手や曽ヶ端選手はびっくりしてませんでしたか?

「ぜんぜん驚かなかった。それよりさっきサッカーとまったく関係ない地元の友達に“ギラヴァンツに入団したから、これからずっとこっちにいるよ”って言ったら“ウソウソウソ、何冗談言ってんの”って。アイツらがいちばん驚いてたねぇ(笑)」

――すぐ退団の発表をして最終節にサポーターの前であいさつすることもできたのに、そうしなかったのはどうしてですか? サポーターにはきちんとあいさつしたかったでしょう。

「引退するわけじゃないからセレモニーというのもおかしいでしょ? チームはまだ優勝の可能性が残ってたし。最終戦が終わってもしばらくトレーニングがあることもわかっていたから、クラブハウスまで練習を観に来てくれたサポーターに心を込めて話をして……次に行ったチームで活躍できればアントラーズのサポーターならきっとわかってくれますから」

退団を公表して最初にオファーをくれたチーム。

――移籍先はどうやって探したんですか?

「すべてチームにお任せしました。いろいろ手伝おうかと言ってくれた方々もいたんですが、(鹿島の強化部長・鈴木)満さんから『自分が探すから』と言ってもらったので。自分で動いたらチームに失礼になりますし。でも、せっかくだから思いきり環境を変えてみたくて、同世代の選手がプレーしていたアメリカやオーストラリアリーグにはちょっと興味がありました。調べてみたら今は移籍のシーズンじゃないということがわかってすぐ諦めましたけど(笑)」

――ギラヴァンツに決めた理由は何ですか?

「退団を公表して、いちばん初めに正式オファーを出してくれたこと。すぐに柱谷(幸一)監督が鹿島まで話をしにきてくれたこと。この時点で、ある程度心は決まっていたと思います。プロ生活も長いですから、Jリーグのチームの運営が大変なことやチーム事情というか、編成の大変さとかも理解してますから。想定外だった選手を1人獲得するのがどれだけ難しいか……。そんななかで、すぐに具体的な話をしに来てくれるというのは、本気で自分を必要としてくれているんだとわかりますから」

――早々に返事をしないでもう少し待てば、いろんなチームから選ぶことも可能だったでしょう。

「実際、いくつか話をしてみたいというチームもあったようなのですが、お会いしてお話しを聞いているとスケジュール面でギラヴァンツの始動に間に合わないと思ったんです。チームが始動する日から合流したいですから、年内にお返事しました。あとは、プロになったときからずっと1度は地元に近いチームでプレーしたいとずっと思っていて。そうしたら北九州がオファーをくれた。ほんとうにうれしかったんです」

――東福岡高校の志波芳則総監督も「プロになった選手たちにはできれば地元でプレーしてほしい」とよく仰られてましたね。

「それもありますし。うちは兄弟が多いうえに商売をしていて、両親になかなか試合を観に来てもらえなかったから。いつか地元に近いチームでプレーして、元気にサッカーしてる姿を観てもらいたいと思ってました。北九州に入団が決まって両親はほんとうに手放しで喜んでくれた。ホームの試合は全部観に行くって」

北九州スタジアムの完成を楽しみに……。

――2年契約にしたのはどうしてですか?

「確かに最近はずっと1年契約にしてもらっていたんですけどね。新しくできる北九州スタジアムにふさわしいチームになるところまで自分に対して責任を持たせる意味で、スタジアム完成までの2年にしてもらいました」

――J2ということにためらいや不安はありませんでしたか? 施設、サポート面、試合スケジュールなど環境も大きく変わると思います。

「J2だからとかいう以前に、鹿島以外のチームでプレーしたことがないんだから、全力で挑戦するしかないですよね。環境という面では鹿島は最高峰ですから。でも、不思議となんだかワクワクする気持ちというか。伸二と対戦できるんだよね、とか」

――確かに、それは愉しみですね(笑)。

これからの選手人生で鹿島の経験がどう生きるか?

「とにかくまだ1度もチームに行ったことがなくて(ホームスタジアムの)本城陸上競技場も、小学校のとき何かの大会でプレーして以来だし。石神(直哉)や池元(友樹)くらいしかいっしょにプレーしたこともないしで大きなことを言える立場じゃないんですけどね。ピッチ以外でも、観客を増やすこととか、できることから何でもやりたいと思ってる」

――18年間、人生の半分を過ごした鹿島アントラーズに対して、今思うことは何でしょう。

「これは、引退するときに初めてわかることですよね。これからの自分次第でぜんぜん変わってきますから。このあとアントラーズにいたときより大きな仕事ができたらとか、これから出てくる課題がどんなものかによって、鹿島でのどの経験が自分にとって大きかったかわかってくるわけでしょ? 今後のアントラーズに関しては、自分が何か語るのは失礼だし……それに、どうしよう、なんかもうすっかり北九州の人の気分になっちゃってるよね(笑)」

――話を聞いてると、あいかわらず律儀というか、周りの人たちのことを気づかいながら今回の移籍を進めたように感じます。こういうときくらい、自分だけのことを考えてワガママに行動すればいいのに、小笠原満男選手みたいに(笑)

「あぁ、でも、それだと自分じゃなくなるから(笑)」

17年ぶりの優勝を目指す母校を胸に刻んで。

「あ、けど1コだけ。Jの公式試合記録に載る自分の『前所属チーム』が東福岡高校じゃなくなるのは少し残念だったかな」

 最後にそう言って、彼は子どもたちの待つピッチへ向かって走って行った。

 卒業して鹿島に入団して以来、1度も移籍をしていないからこその“前所属チーム=東福岡高校”という肩書。「サッカーファンや関係者が公式記録を見るたびに『東福岡高校』を思い出してくれるだろうから」と、彼はずっと誇りにしていた。

 しかし今シーズン、全国高校サッカー選手権で17年ぶりに準決勝(1月8日現在)まで勝ち進んだ「東福岡高校」を、世間は忘れないはずだ。

 だから本山は安心して東福岡高校の広告塔をお休みしていいのだ。

 鹿島の10番という大きな荷物も下ろして、軽やかに走る天才ドリブラー本山雅志……J2の試合に通うのが愉しみになってきた。



わけわけ三国志


本山の逸話を引き出すNumberの蘇芳氏である。
鹿島退団の経緯、北九州移籍の話などが並ぶ。
読み取ると、鹿島からは戦力と考えられていない旨が伝えられたように感じる。
これは少々寂しい。
それはそうと、背番号を決めたエピソードで、満男に40番を勧められた話が面白い。
「なんでよ? お揃いにするわけないじゃん!」とは本山本人の弁ではある。
がしかし、ファンとしてはお揃いの番号も嬉しかったように感じる。
また、北九州とは2年契約とのこと。
来年、北九州がJ1昇格を成し遂げれば、対戦もあり得る。
これは俄然楽しみになってきた。
北九州に本山あり。
応援しておる。


わけわけ三国志

U-23日本代表・豊川、とにかく本番でも出たいという強い意識がある

2016年01月09日 | Weblog
豊川、アピール懸命=残り2枠に責任感―サッカー五輪予選
時事通信 1月9日(土)5時29分配信

 【ドーハ時事】サッカー男子のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねたU23(23歳以下)アジア選手権に向け、ドーハで調整中のU23日本代表で、MF豊川雄太(岡山)がアピールに懸命だ。
 最後に残された2枠に滑り込み、「とにかく本番でも出たいという強い意識がある」と意気込んでいる。
 年末の紅白戦で、右CKをオナイウに合わせてゴールを引き出した。セットプレーが課題とされるチームにあって、正確なキックを披露。7日のU23ベトナム代表戦では豊富な運動量が生きて、こぼれ球に反応して先制ゴール。「ここで一つ結果を残せたのはステップアップになる」と自信を膨らませた。
 原動力は外れた仲間に対する思いだ。「選ばれなかった人もいる中で、追加で入れた。だからこそ何かしらの結果を出さないといけない」。昨年3月の五輪1次予選では初戦のマカオ戦でCKから先制点をアシストしたが、1カ月前の中東遠征では選ばれない悔しさを味わった。そのときの経験が今の責任感につながっている。
 合宿前から自主練習をみっちり積んできたため、コンディションは上々。決して中心選手ではなかったが、化ける可能性は十分。「五輪の切符を必ず取ることを目標に、精いっぱい頑張りたい」との言葉には、気持ちの強さも感じさせる。



わけわけ三国志


アピールを続けるU-23日本代表の豊川である。
合宿では正確なセットプレイを魅せ、CKからアシストし、代表に追加招集された。
練習試合では、胸トラップからのボレーでシュートの巧さを披露。
豊富な運動量とシュートの巧さ、そしてセットプレイと豊川の良さがアピールされておる。
この気持ちの裏には、選出外の仲間への思いがあるとのこと。
「選ばれなかった人もいる中で、追加で入れた。だからこそ何かしらの結果を出さないといけない」と言う。
豊川の人間性が表れておる。
フォアザチームは鹿島に所属した影響も大きかろう。
この器の大きさで五輪への切符を掴み取るのだ。
豊川の活躍を期待しておる。


わけわけ三国志