鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

富山・西室、チームが勝たなければ自分は評価されないと思う

2016年01月15日 | Weblog
鹿島ユース時代に小笠原満男から影響を受けたMF西室隆規、大学を経て富山へ「チームのために走れる選手に」


インタビュー・写真=平柳麻衣

 憧れていた高校サッカー部ではなく、鹿島アントラーズユースを選んだMF西室隆規は、トップチームで輝きを放つレジェンドから刺激を受け、「同じ舞台に立ちたい」と夢を抱いた。結局、トップ昇格は叶わなかったが、法政大学での4年間を経てプレーも人間性も成長を遂げ、カターレ富山でプロ生活のスタートを切る。

鹿島に行ったからここまでやってこれた

――本格的にサッカーを始めたのはいつ頃ですか?

西室 5歳上の兄がスポーツ少年団に入っていたので、ずっとついていってサッカーボールを蹴っていて、小学3年生から僕も本格的に入りました。

――鹿島アントラーズユース出身ですが、加入に至った経緯は?

西室 中学校までは山梨県のフォルトゥナサッカークラブという街クラブでサッカーをやっていたのですが、中学の時に鹿島ジュニアユースが遠征で山梨に来て、練習試合をやった時にたまたま自分の調子が良くて目に留まったらしく、誘ってもらいました。

――今までやったことがあるポジションは?

西室 基本的にずっとボランチですが、左利きなので小学生の頃は左サイドハーフをやったり、FWも少しだけやっていました。

――鹿島ユースに入って、印象的だったことはありますか?

西室 やっぱりアントラーズの練習着を着られることがうれしかったです。あと、同学年にレベルが高くてうまい選手が多かったので、「こいつらに負けたくないな」という想いはずっと持っていました。

――当時、憧れていた選手は?

西室 高3の始めにトップチームの春キャンプに参加して、その後もサテライトの試合に出場することが多かったので、トップの選手と話す機会があったのですが、中でも小笠原満男選手に憧れていました。ある時、満男さんがユースの選手たちに「サッカーが好きな人?」と聞いて、みんな手を挙げたんですけど、続けて「誰にも負けないぐらい努力してると胸を張って言える人?」と聞いた時、自分はすんなりと手を挙げることができなかったんです。そして、「プロの選手だって、プロになってからも一生懸命努力しているから、ユースの君たちはもっと努力しないとダメだよ」と言われて、もっとがんばろうと思いました。

――実際、プロの選手やトップチームの練習の雰囲気についてはどう感じていたのですか?

西室 技術的な部分も人間性もすごい選手がたくさんいたので、刺激を受けることばかりでした。特に満男さんや野沢拓也(現ベガルタ仙台)さん、モトさん(本山雅志/現ギラヴァンツ北九州)、中田浩二さん(元日本代表)などは、名前を聞いただけでうまいとわかるんですけど、一緒にやってみて本当にすごいなと感じました。

――小笠原選手からアドバイスをもらうことはあったのですか?

西室 キャンプの時は練習が終わった後にユースの選手のところに来て、話しかけてくれました。例えば、フィジカル一つにしても、「俺は高校時代、『誰よりも速く走ってやる』っていう気持ちでずっとやっていた。だから自分で限界を決めないで、誰にも負けないぐらいやらないとダメだ」といった話をしてもらいました。

――ユースで過ごした3年間で一番の思い出は何ですか?

西室 やっぱりトップチームのキャンプに参加したことが今でもすごく印象に残っています。キャンプでは選手の素の部分も見られるので、「いい選手は人間性もいいんだな」と感じました。あと、プリンスリーグ(高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プリンスリーグ関東)で優勝した瞬間はうれしかったです。

――高校3年の時はキャプテンを務めていました。

西室 元々そんなに責任感が強い方ではないと思うんですけど、キャプテンという肩書きがついただけで「やらなきゃ」という気持ちになりました。また、いろいろな場面で「例えば、満男さんだったらどうするんだろう」とか、「キャプテンとは、どうあるべきか」と客観的に考えるようになりました。それを自分の行動に反映してみたり、「ここでこの選手に声をかけたらいいんじゃないか」といった気遣いができるようになったと思います。

――ユース時代のプレースタイルは?

西室 中学の時は、ボールを持ったら「俺がやってやる」と思ったり、華麗なプレーをすることに美学を感じていたんですけど、鹿島に入ってからは、「陰で効いてる」と思われるような選手、例えば「この選手が走ってくれたから他の選手が活きた」と思われる選手になりたいと思うようになりました。自分が点を取らなくても自分が起点になって点が入ればいいですし、サッカーを知っている人からうまいと言われる選手になりたいです。僕も客観的に見て派手さはないと思うんですけど、チームのために走ったり、体を張れる選手を目指しています。

――鹿島と言えば、戦術や哲学がチームに浸透しているイメージがありますが、ユースの選手たちにも指導されているのですか?

西室 はい。特に3年生になって、ブラジル人のキッカ監督が来て、熊谷(浩二)さんがコーチになってからは私生活もかなり厳しくなって、オンもオフも「サッカーのために」という生活を送っていました。

――ユースは練習時間がそれほど長くないですよね?

西室 2時間くらいです。でも、練習以外の時間も寮で誰かの部屋に集まって前週の試合のビデオを見て、「これ、ナイスプレー」とか「俺、この場面で本当はこうしたかった」と話し合ったりしていました。

――高体連ではなく、クラブユースに入って良かったと思いますか?

西室 中学の時は高校サッカー選手権に憧れていたので、仲がいい先輩が進学した市立船橋(高校)や静岡学園(高校)に行きたいと思っていたんですけど、今振り返ってみると、やっぱり鹿島に行って良かったし、鹿島に行ったからここまでやってこれたと思います。

――鹿島ユースは今年度、高円宮杯U-18サッカーリーグ2015プレミアリーグEASTを制しました。直接、関わりがある後輩ではないですが、どう思いますか?

西室 自分たちの代の時にプレミアリーグに上がったのですが、今も残ってくれていて、優勝してくれるのは誇らしいですし、素直にうれしいです。

チームが勝たなければ自分は評価されない



――高校を卒業するタイミングでトップ昇格の話はあったのですか?

西室 クラブの人からは、ギリギリまで迷ったと聞きました。でも結局、「このタイミングでは難しい」という話をされて、その時に法政大からオファーをもらったので行くことにしました。

――法政大以外の進路は考えましたか?

西室 他にも声をかけてくれた大学はあったんですけど、鹿島から法政大に入った人がほとんどいなくて、熊谷さんに「今後、鹿島と法政大をつなげる役割をしてほしい」と言われたんです。僕はあまり他の人と同じことをするのが好きじゃないので、「じゃあ、法政で」と。当時の法政大は2部で、声をかけてくれた中には1部の大学もありましたけど、自分が行って上げればいいと思いましたし、それよりも「鹿島から法政」というルートを自分が作りたい気持ちの方が強かったです。実際、1学年下の後輩も一人、鹿島から法政大に入りました。

――大学サッカーとクラブユースの違いはどんなところに感じましたか?

西室 ユースはグラウンドもユニフォームもスパイクも完全に整えられた環境でできるので、それが当たり前とは思っていないつもりでしたけど、やっぱり最初は違和感がありました。上下関係も大学に入ってから学びましたし。「ユースの頃の方が良かったな」と思うこともありましたけど、そういう環境から離れたからこそ、クラブユースのすごさを感じることができたと思います。

――サッカー面で感じたことは?

西室 強さや速さは高校の時より全然レベルが高いなと感じましたけど、僕は速さや強さで勝負するプレースタイルではないので、判断のスピードをもっと上げないといけないと感じました。

――レギュラーになったのはいつ頃ですか?

西室 入学した年の開幕戦からレギュラーとしてずっと試合に絡ませてもらいました。1年生だからといって遠慮することはなかったですし、プロになるために「試合に出なきゃ」という感覚が強かったです。

――大学4年間でターニングポイントになった出来事はありますか?

西室 3年の時に長山(一也)監督が就任したことです。その年の夏に総理大臣杯で準優勝できたことは、僕の大学サッカーでのターニングポイントになったと思います。

――長山監督が来て、チームはどう変わったのですか?

西室 1、2年生の頃もチームにうまい選手はいたんですけど、私生活やサッカーに対する姿勢に甘さがあったと思います。だから苦しい時に勝てなかったり、連敗してしまったり。でも、長山監督が来て「私生活がサッカーにつながる」と言われて、例えば寮の清掃などの細かいところから意識を変えていったら、サッカーも少しずつ変わっていきました。

――私生活が変わると、サッカーも変わるものなのですか?

西室 僕も最初は信じられなかったんですけど、細かいことができる人ってピッチに立った時も気が遣えますし、うまく自分のところにボールがこぼれてくるんですよね。「神様がいる」というわけじゃないですけど、自分のところに運を運んでくるというか。そういう意識を持つことがすごく大事だなと思いました。

――3年生で2部リーグ優勝を経験し、最後の1年は1部に挑戦しました。レベルの差は感じましたか?

西室 2部の時も総理大臣杯で1部のチームに勝っていたので、正直、そこまで変わらないだろう思って、優勝を目標に掲げて臨んだんですけど、開幕戦で負けて(慶應義塾大学に0-3で敗戦)、そんなに甘くないなと感じました。その後、慣れてきたら勝てるようになって、前期リーグは3位で終わったんですけど、「もっとやれる」という気持ちが残りました。

――後期リーグは苦戦し、最終順位は7位でした。

西室 後期リーグ開幕戦に勝ってからは引き分けや負けが続きました。みんな今までどおり練習も私生活もしっかりやっていたのに、なぜか勝てないという状況で。監督がIリーグのメンバーを入れたり、フォーメーションを替えたりしたことで、リーグ終盤は良くなったんですけど、最初にこけてしまったのが痛かったですね。

――最終節は早稲田大学に敗れ、目の前で優勝を見届けました。

西室 今の自分やチームの現状を痛感し、悔しかったです。早稲田大の選手たちには技術の面で負けているとは思いません。でも、チームのためにといった謙虚さや献身性が自分たちよりあり、そこに差があると感じました。来年、あの舞台で勝ちきることができるチームに法政大はなれると思うので、がんばってほしいです。

――新シーズンからカターレ富山に加入しますが、経緯を教えてください。

西室 長山監督が元富山の選手ということもありますが、富山のスカウトが熱心に毎試合観に来てくれて、その度に話しかけてくれたことが加入を決めた理由の一つです。

――富山以外からもオファーはあったのですか?

西室 正式なオファーは富山だけでしたが、興味を持ってくれたクラブはあったので、富山に返事をするのが遅くなりました。でも、富山に行くと決まった今は、このスタートラインからがんばろうという気持ちが強いです。

――最後に、今後の目標を聞かせてください。

西室 大学3年生の総理大臣杯で準優勝した時に、自分を気にかけてくれる人やクラブが増えて、チームの成績が個人の評価も上げてくれることを学びました。今後もチームが勝たなければ自分は評価されないと思うので、まず自分が試合に出て、富山がJ2、そしてJ1に上がっていけばいいなと思います。



チンチロリン


インタビューに応じるカターレ富山の西室である。
鹿島ユース時代のことを語っておる。
トップ昇格の可能性もあったとのこと。
入団していたらどのような選手になっておったのであろうか。
左利きのボランチとして大成しておったやもしれぬ。
今季より加入の富山にて、存在感を発揮し、ポジションを掴むのだ。
将来を楽しみにしておる。


チンチロリン

鹿島神宮必勝祈願

2016年01月15日 | Weblog
必勝祈願


今日は午前に鹿島神宮にて必勝祈願を行い、午後はクラブハウスでボールを使ったトレーニングを行いました。

鹿島神宮必勝祈願

本日、毎年恒例の鹿島神宮必勝祈願を行いました。


初参加の新人4選手


先頭を行く石井監督


玉串拝礼を行う選手会長の西選手

宮司の鹿島則良さんに激励のお言葉をいただきました。

「監督の指揮のもと、しっかりと皆さんの力を合わせて、素晴らしい成績をあげていただければと思います」

社長の井畑滋がクラブを代表して挨拶をしました。

「今年はクラブ創設25周年になります。この節目の年に皆さんとともに優勝に向けて頑張り、そして優勝の喜びを共に分かち合いましょう。今年の選手、並びにクラブへの温かいサポート、熱いご支援をよろしくお願い申し上げます」



チンチロリン


鹿島神宮にて必勝祈願を行う鹿島である。
今年はより多くのタイトルを獲る。
ご加護を祈る。


チンチロリン

U-23日本代表・植田、狙っていきたい

2016年01月15日 | Weblog
U23植田が連発宣言「また自分が点を取る気持ち」
[2016年1月14日20時45分]


北朝鮮戦から一夜明けランニングする植田(撮影・清水貴仁)

 リオデジャネイロ五輪アジア最終予選を兼ねる、サッカーU-23(23歳以下)アジア選手権(カタール)の初戦で北朝鮮を破った日本が14日、ドーハ市内で練習した。

 前日13日に1-0で勝った後、同じB組のタイとサウジアラビアが1-1で引き分け。日本が16日の第2戦タイ戦で勝てば、他国の結果に関係なくグループ2位以上が確定。1次リーグを突破し準々決勝に進出できる状況になった。

 一夜明け、北朝鮮戦の先発組11人は回復メニューに取り組み、交代出場だった3人とサブ組はパス回しやスプリント、PK練習などで汗を流した。殊勲の決勝点をCKから奪ったDF植田直通(21=鹿島)は「次も失点ゼロでいきたいし、次のタイは小柄な選手が多い。またセットプレーが重要になってくるし、また自分が点を取ってやろうという気持ちになっている」と2戦連発を誓った。

殊勲弾の植田に北朝鮮応援団が「ウエダ」コール!?
[2016年1月15日7時18分 紙面から]


後半、ヘディングでクリアする植田(撮影・清水貴仁)

<リオデジャネイロ五輪最終予選兼U-23アジア選手権:日本1-0北朝鮮>◇1次リーグB組◇13日◇ドーハ

 U-23(23歳以下)日本が1次リーグ突破に王手をかけた。13日の初戦で北朝鮮を1-0で退けた後、同じB組のタイとサウジアラビアが1-1で引き分け。明日16日の第2戦タイ戦で勝てばグループ2位以上=準々決勝進出が確定する。北朝鮮戦はDF植田直通(21=鹿島)の1点を守り抜いたものの、取り組んでいるロングボール攻撃が機能せず。速攻と遅攻の使い分けを大会中に修正していく。なお試合翌日の14日、先発メンバーは軽めの調整で終わり、控え選手はミニゲームなどで汗を流した。

 殊勲弾のDF植田に祝福メールが殺到した。無料通信アプリLINEを含めて100件を超える連絡があり「全員に返信? もちろんです」と笑顔を見せた。

 前日は攻守に獅子奮迅の活躍を見せた。開始5分、DF山中の右CKをファーサイドで受けて先制。「マーカーにフェイントをかけたら簡単に外せた。オレが決める気だった」。冷静に右足を合わせ、GKの股下を射抜く。手倉森ジャパン20戦目の初ゴールだった。

 その後の85分間は、猛攻をことごとくはね返した。空中戦の勝利数「12」は両軍最多。「蹴ってきてくれて、楽しかった」。日本が苦手としてきたロングボールも植田には餌食だった。

 試合中、約1000人の北朝鮮応援団から「ウエダ」コールも浴びた。実際は意味が違う朝鮮語の応援だったが「僕も聞こえました。プレッシャーかけてきてんのかと(笑い)」。冷や汗をかく劣勢も、勝利の立役者には余裕があった。

植田、連続ゴールに色気「セットプレーが重要。狙っていきたい」

北朝鮮戦から一夜明け、練習に臨むU23日本代表・植田(左)、遠藤(右から2人目)、久保(右)らイレブン=ドーハ(撮影・桐山弘太)

 男子サッカー・U-23アジア選手権第3日(14日、ドーハ)北朝鮮戦で決勝点をあげてヒーローとなったDF植田(鹿島)は、一夜明けた練習後、「ライン(無料通話アプリ)で連絡が100件くらい来ました」と、祝福の嵐だったことを明かした。1次リーグでの山場となるタイ戦に向けて「小さい選手が多いので、またセットプレーが重要になる。狙っていきたい」と連続ゴールに色気を見せていた。
(紙面から)

V弾決めた植田に100件の祝福ライン
2016年1月15日


 前半、先制ゴールを決め喜ぶ植田(中央)=共同=

 「サッカー・U-23アジア選手権、日本1-0北朝鮮」(13日、ドーハ)   

  日本が8強に王手をかけた。サッカー男子のリオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねたU-23アジア選手権1次リーグB組の日本は、13日の初戦で北朝鮮を1-0で下して同組首位に立った。

 北朝鮮戦で決勝ゴールを挙げたDF植田が、無料通信アプリ「LINE」で100件ほどの祝福メッセージが届いたことを明かした。全員に返信したといい、タイ戦へ「地上戦になると思うが、相手は小さいので(セットプレーで)もう1点狙っていきたい」と意気込んだ。



チンチロリン


タイ戦に向けて、「セットプレイが重要になる」と語るU-23日本代表の植田である。
北朝鮮戦にてゴールを決めた感触が残っておるのであろうか。
また、100件超のLINEに返事をした律儀な植田の細かさが活きるように思う。
二試合連続弾を期待したい。
植田の活躍を楽しみにしておる。


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金崎夢生、ポルティモネンセ復帰

2016年01月15日 | Weblog
MU KANAZAKI JÁ ESTÁ EM PORTIMÃO
quinta, 14 de janeiro de 2016 popup - teste - DEBUG



Nuno Ferreira, director executivo da SAD (CEO) e Rodiney Sampaio director geral da SAD, acompanharam Mu Kanazaki no regresso a Portimão.

O atleta internacional MU Kanazaki que esteve cedido ao Kashima Antlers, por empréstimo, até 10 de Janeiro de 2016, foi o primeiro reforço de Janeiro da formação algarvia, para esta segunda metade do campeonato.

Não foi fácil o regresso de Kanazaki, uma vez que o atleta tem propostas de três clubes japoneses, um chinês e seis clubes da Europa, sendo quatro do principal campeonato de Portugal, como nos conta o director executivo, Nuno Ferreira.


Rodiney Sampaio, director geral da SAD, é quem melhor pode falar sobre Mu Kanazaki, uma vez que acompanhou praticamente toda a época do jogador no campeonato japonês ao serviço do Kashima Antlers e durante os jogos em que representou a selecção do seu país.



チンチロリン


金崎夢生の復帰を発表したポルティモネンセである。
鹿島との契約は終えたこととなった。
実際に夢生はこのままポルトガル2部にてプレイするのであろうか。
はたまた、ステップアップするのであろうか。
逆転鹿島も可能性は0ではない。
とりあえず、ポルティモネンセの夢生を応援したい。
活躍の報を待っておる。


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