最近、日本神経科学学会のHPに「「ヒト脳機能の非侵襲的研究」*の倫理問題等に関する指針改訂にあたっての声明」がアップされたことが話題になりました。いわゆる「神経神話」(右脳・左脳論、3歳児神話、ゲーム脳、脳トレ)などに対する警鐘のようです。MRIの解像度が上がったことなど非侵襲的解析装置の技術発達によって、画像データが得やすくなったという背景があります。
問題は安易なデータの解釈にあります。証明が不十分なまま、仮説程度(時にはそれ以下)のデータ解釈を「科学的に証明された真実」のように宣伝し、医療や教育に次々と応用しています。とくに発達過程にある子供さんへの応用は慎重に検討されるほうがいいと思います。
話は変わってずいぶん前のことですが、朝の混雑した電車でちょっとしたトラブルから若い女性同士が殴り合うシーンを目撃したことがあります。周りの男性は思わず目を伏せて引いていました(笑)
そういえばこれも朝の通勤電車の中でのことですが、足を払われたことがあります。その男性は恋人と思しき女性と一緒で、その女性には大変優しく振る舞っていました。その一方で他人に対しては全く思いやりのない行動をとっていたわけです。その男性の顔をしげしげと眺めますと、その方はなんと「ふふん」といった表情でした。得意そうにしていたのです。何かとんでもなく自分の立場や行いに対して誤解をしておられるようだ、とびっくりしたものです。そのときは無茶苦茶腹が立ちました。しかし、それを相手が望んでいることがわかったので、素知らぬ振りをしたものです。
自分の「幸せ」は他人の不幸によってさらに引き立てられる、と考えているその方の「幸せ」は、おそらく常に相対的な「幸せ」なのだと思います。他人に比べて自分は・・・という例のやつです。相対的な「幸せ」はきりのない欲望です。決して満足や安心にはつながらない「幸せ」。大いなる誤解をされている気の毒な方でした。
今朝は信じられないほどの暖かい朝でした。湿気もあり、季節が一気に春になったように感じました。今はもう冬に戻ってしまいましたが、なんとなく春に向かっている感じが残り心が軽くなったようにおもいます。もうすぐ梅が咲き始めます。夕方も日に日に明るくなってきています。太陽が近く感じられるのです。
太陽活動の活発な領域が少し見えてきました。大変活動度が高いようです。中規模のフレアも今日観察されたようです。太陽黒点は一昨日が0でしたが昨日はこちら向きになってきた活動領域の太陽黒点が観察されていたようです。太陽表面がにぎやかになってきました。
話しはがらりと変わりますが、最近、血液の中に含まれる細胞の中に血管を新たに作る能力のあるかなりの多分化能を有する細胞についての研究が進んでいます。バージャー病などの患者さんの治療や膠原病(特に強皮症)の患者さんへの治療で効果を上げているようです。まだ標準化された治療には至っていないのですが、いずれ改良され一般に使われる治療法になると思います。殆ど薬を使わず、自分の血液中の一部の細胞を患部に少しずつ注入するだけです。その細胞が新生血管をつくり、虚血し、壊疽をおこしている患部を蘇生させるのです。自分の力で治癒することができるという画期的なものです。多くの患者さんが早くこの治療の恩恵を受けられるようになるといいですね。
一昨日まで地球の方を向いていた太陽の活発な部分が隠れ、昨日今日は地球から黒点が見えなくなりました。しかし、明日には次の活発な部位が地球の方に姿を現します。その部分で起こっているとおもわれるフレアの活動が昨日から今日にかけて何度も観測されているようです。それから推測するに、これからこちらを向いてくる活動領域はかなり活発であるとおもわれます。これから地球への影響があるかもしれません。
先日仕事場の方たちと話しをしていて、ある方についての話しになりました。Aさんとしておきます。私はつい先日、Aさんが新興宗教の活動を熱心にされていることを知りました。しかしまったく驚きませんでした。ああ、なるほどという感じでありました。なんとなくわかるものです。
話しの中心はAさんに宗教についてはなしかけられたか、さらに勧誘されたかどうかでした。私はなんとなくAさんとは距離をおくようにしておりまして、Aさんの信仰されている宗教のはなしも聞いたことはなく、勧誘もされたことはありません。ある方は宗教の話しは聞いたことがあるが誘われたことはないといいます。また別の方はかなり熱心に勧誘されたそうです。その他、信仰について熱い議論をした方もいらしたようでした。
しかし、そうして話しをうかがっているうちに、何となくAさんはAさんなりの視点で人について判断し、声をかけていることがわかりました。しつこく勧誘された方はたいへん優しい方で、誰に対しても丁寧に対応する方です。Bさんとしましょう。良心を前面にだして行動されているかたです。それなのに、いえだからこそ、Bさんは他の方から疎んじられている面があります。バカじゃない?と思っている方さえいるようです。
AさんはBさんをピンポイントに選び、勧誘したようでした。その話しの場にいたある方はBさんがAさんに勧誘されたという話しから、Bさんも仲間になったのではないか?などと言っておりましたので、Bさんをよく知る私は「ありえません。」ときっぱり否定しておきました。
しかし、その話しの流れは実にこの社会を象徴するものであるな、と興味深く聞いていたことです。良心を見える形で外に出す方は「おかしな人間」と認識され、新興宗教にでもはまってるんじゃないか?と疑われ、実際新興宗教に勧誘される。これは一体どういうことなのでしょうか。良心の人間には次々に試練が来るようになっているのです。
まわりの方々は鬱陶しいと思うようです。Bさんは自分は正しい主張をしているのであって、なぜいろいろ嫌なめに会わなくてはならないのかわからない。といいます。かといって投げ出すことはなく、たんたんと努力されているその姿は、しかし痛々しい。私としては神々しくあってほしいとおもうのですが、そうではない。Bさんを覆う薄い灰色の霧のようなものがあるのです。
何か決定的に重要なセンサーを起動できなくしているような感じがするのです。たとえば、生き生きとしたもの、暖かさ、などがBさんからあまり感じられないからです。私はもどかしく思っているばかりです。ひたすら見守り続けるだけです。
今日、子供がララララ~♪とかルルルル~♪とやっているのを聞いていて、
はた、と思いつきました。
ラリルレロの歌は幸せを呼ぶ歌です♪
ららららら~
勇気リンリンリン!
るるるるる~るるる~♪(みーさん風に)
レレレのレ~(かの有名なレレレのおじさん風に)
オロ?(オロオロはだめですよ~)
ら行は舌をパタパタさせますが、うきうきした心は舌の動きを軽くするからでしょうか?
は行も笑いの行で重要です。
はははは(あっけらかん系)
ヒヒヒヒ(う~ん、ちょっと。。。)
ふふふふ(私のお得意)
へへへへ(うちの子の誤摩化し笑い)
おほほほほのほ~(かの有名な笑い)
は行は腹から腹筋を使って息を出しますから、呼吸も深くなるでしょうし、いいですね~
あ行は感動の行でしょうか。これもいいかも。
自分のために強く行動することももちろんできます。ですが、そうしますと、あとでがっくりと来ます。良心の呵責、というやつですか。それに対抗するために言い訳を重ねたくなります。