石、巨石について私の中で想いがふくらんでいます。なぜそんなに気になるのでしょうか。このところ、古代における信仰、あるいは祭祀の原初の姿についておもうことが多くなりました。その原初の祭祀に重要な要素として存在するのが石、巨石などの自然物です。つまりそれらは人間の太古における原初の神祭りへの手がかりであるからでしょう。
現在、たくさんの神社が覇を競うようにそれぞれの祭神をまつり鎮座しています。私は日本神話についても子供のときに読んだきりですから詳細を知りません。そこで自分なりに少しいろいろの祭神について調べたり、神社について調べたりしてきました。
そこには必ず神社の成立過程についての記載があります。そして、式内社(延喜式(927年)に記載された神社2661社)、式外社(例えば熊野那智大社など)のほとんどが延喜式が編纂された時点ですでに長い歴史を持つ神社であったという事実を知りました。また、それぞれの神社でお祭りされている祭神についても、それぞれ時代の要請によって変遷してきていることなどもわかりました。
つまりどうやら古代から人々は現在神社のある場所(まれに例外あり)で神をお祭りしてきたらしいのです。神社がおかれた場所は、何らかの理由で人々が神霊を感じることのできた場所であったのでしょう。そしてそれは山であったり、巨石であったり、滝であったりしました。巨木も神霊がおりる重要な寄り代であったようです(御嶽や鎮守の杜など)。神社の儀式にわざわざ長大な柱を立てることもあります(諏訪大社の御柱祭)。おそらくそれらの神々は名付けられることのない、原初のエネルギー体であったのだと思います。
これらのことを知るに至って、神霊の名は重要ではない、となんとなくわかってきたのでした。このことは私を深く感動させました。なぜなら、この古代の人々の神祭りをおこなった情熱のようなものを直截に感じることができたからです。私はこれまで仕事として日々自然を観察してきています。その中で、自然に潜む法則の素晴らしさにひれ伏したくなるような感動を覚えることがしばしばありました。その感動に通じるものがあるからだと思います。
また引き続き、それぞれの神社の古代の姿などに思いを馳せ、古代の信仰のことなど考えていきたいと思います。