無知の知

ほたるぶくろの日記

自己意識の変容

2010-06-03 23:52:13 | 日記

自分はひとりではなく、つねに多くの先祖霊と共に全てを体験している、と思います。
深い孤独から救われることは大きいことです。つねに見守られている、という感覚は自堕落から身を守ってくれます。また子供と向かい合うとき、誰かに見守られている、子供の先祖霊が見守っている、と思えれば悲惨なできごとも減りましょう。

ところで先日親戚のかたから頂いた「修証義」の現代語訳がなかなか面白いとおもっています。曹洞宗のバイブルのようなものでしょうか。目を見張ったのは第2節「人間に生まれてくることは非常に得難いことであり」の部分です。この一節がどのくらい重いことであるか。また第五節「三時」にもはっとしました。「第一は順現報受です。この世で行った善悪の報いをこの世で受けます。
第二は順次生受です。この世で行った善悪の報いを次の生で受けます。
第三は順後次受です。この世で行った善悪の報いを受けず、次の世でも受けず、次の次の生以後、百千生の間に受けるのです。これを三時と言います。」というものですが、つまり因果の報いはいつかは必ずある、というものです。今生にないとしても次の人生で、あるいはその次かもしれません。気の長い話です。しかし、必ずある。と書かれています。

ともかく、さまざまの宗教書をみますと大変おもしろいものです。先日話題にしていた、古代エジプトの「死者の書」もなかなか興味深いものです。折口信夫、ティベットのものも以前読んだはずなのですが、さっぱり思い出せません。そのうちまたみてみようと思います。