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死刑は合法的な復讐になっているのではないか

凶悪事件がそこそこ頻繁に起こり、そして被害者の遺族が「犯人に極刑を」と言っている。一つ確認なのだが被害者は加害者に極刑が下っても精神的な部分はともかく、全くメリットは無い。

被害者遺族は究極的には加害者がどんな刑事的な待遇になろうが一切関係ないのだ。死刑であろうが無罪になろうが。違うとしたら民事の場合であろう、多くの事件の被害者遺族が刑事事件での量刑に不服であることからそういう視点ではないであろう。

事件被害者家族が怨念の部分かもしれないがやはり加害者への量刑の多寡を述べても、被害者遺族はなんのメリットは無い。冷たいかもしれないが厳然たる事実だ。加害者が死刑になれば被害者が生き返るわけでもなく、被害者家族が得をする事は精神的な満足を除けばなにも無い。民事であれば分かるが、多くの加害者が貧乏なので(そもそも金持ちは喧嘩しない)、民事で得るものもほとんど無い。

死刑をやめさせるのを反対するグループがある、死刑推進論者だ。でもその犯人を死刑にしたら「スーッとした」というだけでは遺族にどのような利点があるのかという点ではなはだ疑問だ。もちろん(光市事件のように)遺族がそれを希望することもあるかもしれないが被害者遺族が犯人を極刑にしても精神的な何かを除けば利得はなにも無い。要はリンチの延長線上なのだ。

ちょっと話はずれるが医療訴訟で遺族が「医師はミスを認めて謝れ」的な発言が気になる。遺族は「患者死亡=医療ミス」と短絡的に捕らえている、なので無罪になると「素直に認めて欲しい」と会見を行う。医師にしたら「素直に(遺族の死を)認めて欲しい」ということか。議論が全く噛み合っていない。

医療問題では客観的に遺族側が「そうじゃないだろ」という主張をしてもある程度許されるようだ。犯罪がらみであればその経過や状況は全無視で犯人悪しという論調だ。

そこで冷静になろうって感じは全然無い。犯人が死んでも被害者は帰ってこない。犯人とされている人はどうなんだろ?

 

 

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