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公害と添加物と過去のトラウマ

公害を端に発した社会運動は根強く残っている。特に化学産業が目の敵にされ、化学産業=悪で(その恩恵については全無視)、その象徴が添加物ということか。

我々メーカーは消費者が望むモノを提供するのが仕事だ。安全で安価な化学合成物質を排除したり、有益な添加物を排除したり。そうすると安定性や性能が悪くなるので添加物の代わりに何か入れたりと大変。消費者が望むとはいえ、プロの目から見ると狂ってる訳だ。簡単に言うと消費者は安全性がぎりぎりの、安定性もぎりぎりの、低性能で高コストのモノを望んでいる。もちろんそのようなトラウマから解放されている顧客には高品質低コストの製品を提供している。その品質の差は歴然で笑ってしまうほどだ。

このような自然回帰の根本はやはり化学・金属産業が引き起こした公害がトラウマになっているのであろう。公害の対極が自然で、自然の方がありがたいという根拠の無い信念だ。根拠が無いと述べたが、それはおよそ控えめな表現で、間違っていると言って過言ではない。

例を挙げよう。ブラック缶コーヒーで無添加というのがある。添加物の代表は香料だ。缶コーヒーはレトルトやUHTで殺菌するので香味成分がどうしても劣化してしまう。そこで殺菌後の香りを想定して香料で香りを補強する。ところが「無添加」という縛りを入れるとその分だけ味で妥協することになる。ようは不味いものをわざわざ選んでいる=付加価値というおかしな状況を選択しているわけだ。

話は逸れるが、エコプロダクツで高温殺菌と低温殺菌の牛乳の飲み比べが農協グループで行われていた。風味の減衰を防ぐのは高温短時間殺菌が常識なので、高温殺菌(UHT殺菌)の方が美味しいという先入観を抱きながらの試飲だったが、臭いはともかく味は変わらない感じがした。臭いは低温殺菌の方が強く感じた、これは多分慣れの問題であろう。

そうは言いつつも私は「化学調味料の味」がする料理は余り好きではない。しかしこれは味覚の問題で化学調味料が悪いと言う意味ではない。そして過去のエントリーで挙げたが、鶏がらや豚骨で鍋のスープを作った際には少しの化学調味料を加えた方が美味かった。要は加減の話なのだ。もちろんグルタミンソーダは通常の物質に含まれている化学物質なので危険とは程遠い。取り過ぎという点では塩(NaCl)の方が余程危険な物質であろう。

公害などの闘争を調べると、「安全だ」という声明が信じられないのは分かる。ならその内容を調べるべきで、頭から「(合成)化学物質はだめだ」とかは逆に馬鹿に見える、実際そのような人は損していると思う。その延長線なのか分からないけど「過去礼賛」は論理すらない。過去の日本人の寿命を調べてからと思う。

まぁそれでも極少数だけが地獄に向かうのはいいんだけど。割と多くの日本人が「質が悪くて、安全でぎりぎりの、高コスト」な製品を好んで買うのは不思議で仕方が無い、というよりプロの良心として「これでいいのかなぁ」と思ってしまうわけだ。

まぁ売れればいいんだろうけど、買った人もそれで幸せなんだろうし。根拠の無い理念に捉われて、その人達が宣伝するから性質が悪い。靡く方もだよ、高校理科くらいほぼ100%やってるよね?

納得行かないなぁ。

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