風塵社的業務日誌

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乃木坂へ

2017年07月18日 | 出版
今月も半ばを過ぎてしまった。しかし、まったく資金繰りのめどが立たない。立たないどころか、壊滅的な状況である。まだ月末でもないのに、すでに睡眠障害と胃の痛みが始まっている。困ったなあ。そのうえ、このクソ暑さにやられてしまい、夏バテ症状まで呈している始末だ。生きているのがいやになってくる。
そんな状況で週末を迎える。世間は休みである。会社の資金繰りを休日に思い悩んでもしょうがない。しかし、家の中でゴロゴロしていても暑いだけだ。「どっか出かける?」と妻にたずねたら、「ジャコメッティ展でも見にいこうか」げな。「六本木の新国立美術館でやっているけど、お客さんの入りが悪いみたいだから、わりと空いているんじゃないのかな」。それはよろしい。なにかの展示を見にいっても、お客さんが多いとそれだけでうんざりしてしまう。
そこで、夫婦二人してそそくさと六本木に出かけることにした。ついつい六本木と記してしまったけれど、国立新美術館は乃木坂駅に直結である。したがって、この暑さの中を六本木から歩いていくよりも、地下鉄で乃木坂に向かうことを選択するに決まっている。池袋で200円引きの前売り券を買ってから、副都心線で明治神宮前に向かい、そこで千代田線に乗り換え。何回もこの場で述べているように、副都心線が通るようになってから、小生はずいぶんと便利になったものだ。
早速展示室に入ってみたら、東京での開催としてはめずらしく、本当に人が少ない。いつもなら、入り口を入ってすぐのところに人だかりができるものなのに、スラッと通り抜けられる。なんだろうなあ、彫刻はそれほど人々の関心を惹かないのか、それとも知名度の問題なのだろうか。しかし、赤字の補填を小生がするわけではないので、売れ行きを小生が心配するだけ無駄である。それよりも、ゆっくり鑑賞できることを喜ぶべきだ。
ところが、実際に現物を目の当たりにしても、それほどの感動も湧いてこないのである。不思議だ。初期のシュールリアリズムに作者がかぶれていたときの作品は、女性は丸みを帯びた感じ、男性は角ばった感じと定型的なものが多く、さほどの感興もわかない。それは若さゆえの未熟さであると、目をつぶることにしよう。
次のコーナーに移ると、ジャコメッティが縮小現象なる作品しか作れなかった時期のものが並んでいる。パネルに書かれていた説明によると、作ろうとする作品が次から次に小さくなってしまい、本人も悩んでいたときのものらしい。実際に爪楊枝くらいの大きさのものが並んでいる。そんなサイズのひょろひょろした人物像を見ても、面白いわけがない。
そこで疑問を感じてしまった。その当時は第二次大戦のさなかである。ジャコメッティはジュネーブで制作に悩んでいたそうであるが、いくら戦乱を避けられたとしても、よくもまあ爪楊枝サイズの銅像を作っていて生活が成り立ったものだ。たとえ売れてもたいした金額にはならないだろうし、そもそもが世界全体に経済的に大変だった時代である。それでよく生き延びられたなあと、つまんないことに感心してしまった。ジュネーブは、文無しでも生きられるいい街なのだろう。
お次のコーナーは、戦後になって、ジャコメッティをよく理解してくれる画商に出会ってからの作品群なのであるけれど、これがさえない。かえって、悩んでいるときの作品の方が訴求力を持っているように感じた。例のひょろ長い人物像もあるのだけれど、現物よりも写真で見た方がカッコよく感じるのだ。フォトジェニックはあっても、現物は感動を呼ばない作品。「なんだ、こんなものか」と感じてしまう現物。これってなんなのだろうと、作品群を前にして考えてしまった。
当然ながら、その作品群を眺めている主体は小生であり、小生の感受性の低さとか美術作品に対する理解のなさというものがある。しかし、ここで述べていることはそうではなく、写真写りのよい芸術作品とはなにかという問いである。ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」という小論で(所収されている岩波文庫の書名を忘れてしまった)「アウラ」という言葉を使っていた。オリジナルの作品に出くわしたときの衝撃のようなもの(あくまでも「のようなもの」)をアウラと称するようであるけれど、したがって、アウラのない素晴らしい複製技術とはなにかという疑問が、ジャコメッティ展で湧いてしまったというわけである。
典型だったのが犬の像で、現物を眺めてもさっぱり面白くはない(それは小生が阿呆だからだろう)。しかし、写真でながめるとカッコいい。写真家の腕がかなりすごいのか、それとも照明がうまいのか、デザイナーの力なのか、印刷技術が高いのかと、複製技術の素晴らしさがどこに由来しているのかなあと、ついつい思いをめぐらしてしまう。
そんなわけで、作品そのものにはさほどの感動を受けなかったけれど、なかなか興味深い展示ではあった。そして、ジャコメッティのいい作品をあまり集められなかった催しなのではなかろうかと、ついつい邪推してしまった。いいなあと思った作品は、最後にあった「歩く男」くらいだったか。これならば、安曇野の碌山美術館の方がよっぽどお勧めということになる。

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